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ガキはガキらしく 8

「もし田丸が、今の思い人と仲を深めたいと思っているんなら、これから生きていく中で、同じような『冗談』を言われて、傷つくことがあるだろう」  近藤先生が、諦めのにじんだ声で言う。 「そういうことを言う人間は、『自分が当たり前と思っていることを、当たり前に言っただけ』という認識で、人を傷つけている意識がない。それどころか、ご機嫌なジョークをかましてやった気でいて、傷ついた顔を見せると『冗談通じないのかよ』と、あたかもこっちが悪いかのように責めてくるやつもいる。そういうやつら相手に、『不快だからやめてくれ』って指摘しても意味がない。だって、自分が悪いことをしている自覚がないんだからな」  目を開けた。傷ついたような瞳で、先生が俺に微笑みかけていた。 「だから、そんな『冗談』をまともに受け取ってやる必要はない。『自分を大事にしろ』というさっきの発言と矛盾するかもしれないが、そいつらのせいでいちいち傷ついてたら身がもたないんだよ。田丸には、かわす術を身につけてほしいと思う。もちろん、つらい時は素直に吐き出していいが、受ける傷が最小限で済むような考え方を、田丸も見つけてほしい。人は変えられないから、自己防衛するしかない。なんでこっちが努力して我慢しなきゃいけねえんだよって思うと悔しいがな。世知辛いよ」  先生が、煙を吐き出すように、口からふーっと細い息を出した。「こっち」という、自分も含めた言い方に引っかかる。勇気を出して尋ねた。 「先生、もしかして同性愛者なんですか?」 「いや。俺は女が好きだ。だが、バイセクシュアルの親友がいる。そいつと関わるようになって、少し勉強しただけだ。すごく明るくて、強い人なんだ。親友が同性と付き合ってた時、クラスメイトから心ないことを言われたのに、『ストレートの人よりも選択肢が多いんだ。お得だよ。なんせ、世界中の全ての人が恋人候補だからね』って言い返してた。肝がすわってる。人間として尊敬できるやつだ」  先生の目は俺の方を向いていたが、その瞳には俺ではなく、この場にいない「親友」が映っているような気がした。 「その人はその……性別って言っていいんでしょうか? それは?」 「ああ。体も心も女だよ」  その人のこと好きなんですか、とは聞かなくても分かった。学校では一度も見せたことのない、柔和な表情を浮かべていたから。 「親友は、高校時代は女性と付き合っていたが、大学進学を機に別れた。大学で出会って好きになった人がたまたま男性で、数年付き合ってそのまま結婚した。今や二人の子供を育てるお母さんだ。立派だよ。俺は過去に囚われて動けないっていうのにな」  最後にさらりと付け足された言葉は、先生の未練を表しているみたいで、勝手に切ないような苦しいような気持ちになった。俺が黙っていると、先生は一瞬怪訝そうな顔をしたが、何かに思い当たったように目を見開いて、舌打ちをした。さっきのは、無意識のうちに飛び出した言葉だったのかもしれない。  先生は、俺が口を開く前に、苦虫を噛み潰したような顔で吐き出した。 「俺を慰めようとか思うなよ。ガキに心配されるとか、虫唾が走る。田丸はガキらしく、自分のことだけ悩んでろ」 「……分かりました」 「これで『進路相談』は済んだか?」  先生が頭の後ろで手を組み、椅子に背中を預けた。 「はい。ありがとうございます。モヤモヤが晴れました」 「良かったな」 「たっぷり話を聞いてもらって、嬉しかったです。先生には感謝してもしきれません。本当にありがとうございます」  頭を下げる。先生がため息をついた。 「そんなにかしこまるなよ……。俺の優しさには賃金が支払われているからな、条件付きの優しさだからな。気にしなくていい」 「プライベートの時に話しかけたらどうなるんですか?」  俺が尋ねると、「無視に決まってるだろ。ボランティアはしない」と返ってきた。 「ひどい!」 「ひどくはない!」  大きな声で俺の言葉を否定したあと、先生が突然笑いはじめた。俺はぽかんとして、まばたきを繰り返した。 「ま、その調子で自分の感情を大事にしろ」 「へ? あ、はい」 「前家庭教師のことは早めになんとかしろよ。受験に支障が出る前に」 「分かりました。とりあえず、近藤先生のアドバイス通り、健人先生と連絡とってみます」 「おう。頑張れ」  戸惑いながら返答すると、先生が目を細めて笑った。この笑顔も無償で向けられているわけではないと思うと、「してもらっているばかりで申し訳ない」という気分が薄れていった。「自分の感情を大事に」という言葉には、あまりピンときていないが、まずは「健人先生に会いたい」という気持ちを大事にしてみたいと思った。

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