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重なりそうで重ならない 6

 学校案内は学食の前で終わり、解散となった。案内してくれた三年生の先輩が、「安くて美味しいです。ぜひ味わってみてください」と笑顔で言った効果か、一緒に移動していた人たちのうち、半分が建物の中に入っていった。  俺はそこには混ざらずに、入り口から離れた場所でスマートフォンを取り出した。一時十八分。少し時間があるから、英単語学習アプリを立ち上げようと思った時、色めきだった女子の声が聞こえてきた。 「ねえ、あの人すごくイケメン!」 「本当だ。実はアイドルとかなんじゃないの?」 「わ、やば。こっち来る!」  俺の近くにいる高校生らしき二人組が、遠くを見つめ、目を輝かせた。視線の先をたどると、健人先生が近づいてきていた。ボタンを全開にした青い半袖シャツが風ではためいて、中の白いTシャツが見えた。下は黒っぽいジーンズとスニーカー。左肩には、教科書が縦に入りそうな大きさのショルダーバッグを()げていた。俺と目が合うと、ひらひらっと右手を振ってくれる。  息が止まる。その美しさから思わず目をそらした。  ――ちょっと会わない間にすごくかっこよくなってる。どうしよう、どきどきが止まらない。  やっぱり俺は、恋愛的な意味で先生のことが「好き」なのだと改めて自覚させられた。 「お久しぶりです」  目の前に立った先生から、笑顔を向けられる。太陽よりもまぶしい。先生がますます魅力的になっていることに、不安が募った。  もともとルックスが良い先生が、外見をさらに磨き、さわやかさを身にまとっている。先生は性格も良いから、第一印象がいい上に「加点法」になってしまう。最強じゃないか。先生の魅力がこんなにもあふれ出しているのに、周りの人たちが気づかないわけがない。モテる要素しかない。先生が女性に言い寄られているところは、容易に想像できた。  ――もう誰かの「恋人」になってたらどうしよう。この変化が「恋人」のおかげだったら、すごく嫌だ。 「どうしましたか?」  先生が首を傾げた。  好き。口をつきそうになって、慌てて咳払いでごまかした。 「久しぶりに会ったら、ますますかっこよくなってて、びっくりしただけ」  俺は足元に視線を落とした。太陽が高い位置にあるせいで、自分の影がとても短い。先生の影がわずかに動いた。声は聞こえない。不思議に思って顔を上げると、先生が自分の顔を両手で覆っていた。 「え、なんで?」 「君はまたそういうことを無自覚に――!」  最後まで言い切らないので、続きが気になってしまう。 「何?」 「何でもないです!」  先生がそっぽを向いた。顔は手のひらで隠されたままだ。 「変なの」  先生の首が赤いような気がする。今の会話で照れる要素があっただろうか。  先生の後ろについて、建物に入った。すぐに学食に通じているわけではなく、扉を抜けると風除室だった。左側に男子トイレ、右側に女子トイレがあった。正面に自動ドアがあり、その手前のイーゼルには、額に入ったポスターが立てられていた。  中央には「今月のおすすめメニュー」と青い文字で書いてある。美味しそうな料理の写真が周りに配置され、その下には商品名と値段、カロリーまで表記してあった。丼ものやラーメン、小鉢などおすすめメニューだけでも種類が豊富だ。全体に、ひまわりや太陽、入道雲のイラストが散りばめられており、夏らしさを感じる。  見終わって顔を上げると、先生がいなくなっていた。中に入ったのかもしれない。前に進む。 「ここです」  きょろきょろと目を動かしながら自動ドアをくぐった瞬間、横から声が聞こえて、びくっと肩が跳ねた。先生は列には並ばずに俺を待っていてくれたのだ。申し訳ない気分になる。 「何か、面白いものがありましたか?」  先生に微笑まれて、恥ずかしくなった。 「ごめん」 「何で謝るんですか?」 「待たせちゃったから……」 「全然待ってません。気にしないでください。僕も去年、初めて学食に来た時に、いろいろ眺めましたから、君の気持ちが分かります」  先生が話している間にも、どんどん人が入ってきていた。列に並んでいない俺たちは、当然存在が無視されて、ここにいればいるほど、順番が後ろに回っていく。先生は気にしなくていいと言ってくれたけど、これ以上無駄な時間を使わせるわけにはいかないと思った。 「でも、ごめんね。もう大丈夫だから、並ぼう」 「はい」  少しでも先生の役に立ちたくて、俺は小走りで列の最後尾についた。

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