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重なりそうで重ならない 13
「どれでも好きなものを頼んでください」
メニュー表を隔てた向こう側から声が聞こえる。
「本当に、おごってくれるの?」
手を少し下げて、目だけを出して先生を見ると、にっこりと微笑まれた。
「はい、もちろんです。何でも頼んでください」
テーブルの上にメニューを置き、一ページずつじっくり眺めていく。どれも高い……。
「じゃあ、バニラアイスで――バニラアイスクリームがいい」
俺は、最後のページに小さく載っていた写真を指差した。四百五十円。牛丼が食べられる値段だ。でも、この店の中で一番安いのがこれだった。
「遠慮してるんだったら怒りますよ」
先生の声が低くなった。「アイスで」の「で」を耳ざとく聞きつけたらしい。
「でも……」
先生だって「いい値段がするから、頻繁には来られない」と言っていた。俺よりはお金を持っているのかもしれないが、湯水のように使えるほど余裕があるわけではないだろう。先生が真っ直ぐに俺を見た。
「ケーキセットでいいですね?」
メニューに目を落とし、ページをめくる。ケーキセット、千二百八十円。セットのケーキ、ドリンクは以下からお選びください。
「本当にいいの?」
「はい。もともと――君に連絡をもらった日から、ごちそうするつもりでしたから。僕の財布の心配はしなくていいです」
ケーキは食べたい。心が揺らぐ。路上で「ケーキをごちそうします」と言われた瞬間に、俺の脳はケーキを食べる準備をしている。でもこんなに先生に良くしてもらっていいのだろうか。俺のわがままで先生を呼び出したのに、与えてもらってばかりでいいのだろうか。
ごちゃごちゃ考えすぎて何も言えなくなっていると、先生が鞄の中から黒いシステム手帳を取り出して、テーブルの上に乗せた。
「どうしても引け目を感じるなら、この話を教えましょう」
手帳を開き、中のポケットから二つに折り畳まれた茶封筒を出した。「健人くんへ」と母さんの字で書いてある。先生と最後に会った日、玄関先で渡した手紙だ。先生は封筒を広げ、中に人差し指と中指を差し込むと、するりと一万円札を抜き取った。それを俺に見せてから、手帳の隣に封筒と一万円札を並べて置く。
「田丸さんにお心遣いいただき、ありがたかったです。もったいなくて使えませんでした。僕への報酬はきっちりいただいていましたし、宙に浮いたお金です。つまりこれは、君のお母さんのお金を僕が預かっている状態です。君は、外食の時、お母さんにご飯を食べさせてもらって『申し訳ない』と思ったことがありますか?」
「……ないです」
「じゃあ問題ありませんね。これは僕のお金ではないのですから、罪悪感を抱く必要などありません。さあ、ケーキと飲み物を選んでください」
有無を言わさないような口調で言い、先生がメニューを指し示した。強引さを感じずにはいられなかったが、その優しさが身にしみた。
「アイスも頼んでいいですよ」
笑顔を向けられたので、ぶんぶんと首を横に振った。ケーキセットだけで充分だ。
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