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重なりそうで重ならない 15
「どうしました? A大教育学部、合わなそうですか?」
先生が首を傾げた。心配そうな顔をしている。
「ううん。今日オープンキャンパスに参加して、ますます行きたくなったけど、合格できるのかなって不安になっちゃった」
ちゅう、とストローを吸うと、グラスの中の氷がからんと音を立てて崩れた。
「そうですよね。僕も受験の時は、得体のしれない不安や恐怖と毎日戦っていました」
「えっ。先生も?」
驚いた。先生は大学入試も余裕でこなしたんじゃないか、って勝手に思っていたから。
「僕もかなり不安でしたよ。これでいいんだろうかって毎日ソワソワしていました。受験生はみんなそうなんじゃないかと思います」
目が合う。ふっと微笑んでくれた。
「そっか。それ聞いて安心した」
勉強が得意な先生でも不安だったなら、苦手な俺が不安を抱くのは当たり前だ。
「……ねえ、先生」
俺が居住まいを正すと、先生がわずかに眉をひそめて真面目な顔つきになった。
「何ですか?」
「俺がA大に入ったら、嬉しい?」
「もちろんです」
間髪入れずに言葉が返ってくる。
「待っててくれる?」
「約束、したじゃないですか。忘れたんですか?」
少し寂しげな笑顔を向けられて、胸が苦しくなった。
「忘れてないよ。忘れるわけない」
急いで否定してから、先生の目を見た。視線をそらさないで、言い切る。
「先生が待っててくれるなら、俺、頑張れる」
「はい。待ってます。応援してます」
先生が柔らかい表情に戻った。
「先生に渡したいものがあるんだ。俺だと思って大事にしてほしい」
リュックから、犬のチャームつきのシャープペンシルを取り出す。先生が左右の手のひらをこちらに向けていたので、上にそっと乗せてあげた。手を目の高さに上げた先生が、首を動かしていろんな角度からシャープペンシルを観察しはじめた。
「僕がこんなかわいいものを持っていても大丈夫でしょうか?」
「大丈夫。俺とおそろいだから」
リュックから赤い方のシャープペンシルを出し、振ってみせた。チャームが軸に当たって、チャリという音が聞こえた。
「おそろい……」
先生がメタリックブルーの犬を指先でつつく。「俺だと思って大事にして」と言ってしまったものだから、過剰に意識してしまう。自分がくすぐられているような気分になって、思わず身をよじった。
「や、やめてよ」
「ふはっ」
先生が吹き出した。
「ありがとうございます。大切にしますね。では、僕からも」
今度は先生が紙袋を俺によこした。開けてみると、赤地の袋に白いひもが結ばれた合格祈願のお守りと、鉛筆の箱が入っていた。鉛筆は十二本入り。学校の先生が「マークシートを塗りやすい鉛筆」として紹介してくれた鉛筆だった。その時に調べたが、一本百円もする高級品だ。値段を見て買うのを諦めていたから、このプレゼントはかなり嬉しい。
「お守りを買った時、お賽銭もはずんできました。ご利益があるといいのですが」
「ありがとう!」
素直に受け取ってしまってから、先生を思い出すアイテムが増えてしまったことに気づく。鉛筆一本を「一」と数えれば、十三個も一気に増えたことになる。家庭教師の時にもらったプリントも数えきれないほどある。それに対して俺が渡したのは、シャープペンシル一本だけだ。くそ、負けた。勝負ではないことは分かっているのだが、仕返ししたつもりでいたら、返り討ちにあった気分だ。
そんなことを考える一方で、「先生がプレゼントくれた! 嬉しい!」と無邪気に喜ぶ自分もいる。相反する思いがぶつかって、思考回路がショートしかけた。
「大丈夫ですか?」
先生の声で現実に引き戻される。俺の顔をのぞき込んでいた。
「あ。うん……」
「ものすごく複雑な顔してましたよ。そんなに心配してなくても大丈夫です。何とかなりますから」
俺の表情の変化は、受験の不安と捉えられたようだ。
「君ならできます。頑張ってください」
「うん」
俺が笑うと、先生も笑顔になった。無理に作ったわけじゃない、自然な笑顔。自然なトーンで先生が言う。
「連絡先、交換しておきますか?」
とても魅力的な提案だったけど、俺は首を横に振った。
「ううん。いい」
先生が目を見開いて固まってしまった。
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