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頑張ってきた自分を信じて 2
共通テスト一日目は、地理歴史・公民から始まる。模擬試験とは比べ物にならないくらい、異様な緊張感が試験会場内に充満していた。俺は日本史と公民を受験するから、一二〇分間の制限時間だ。黒板に貼り出されている時間割を見つめる。字面で見ると長いような気がするが、試験を受けていると二時間はあっという間だ。
俺は受験票を机の右上に置き、腕時計を外した。デジタルとアナログ両方ついている優れものだった。母さんが冬のボーナスで奮発して買ってくれた。大学合格の前祝という名目だったから、余計気が引き締まる。時計はベルト部分を利用して、少し角度をつけて机の左側に置いた。
時計と受験票の間に、鉛筆五本と、消しゴム二個を並べる。鉛筆はもちろん、健人先生がくれたものだ。模擬試験や日々の勉強で十二本をまんべんなく使ったから、全てが持ちやすい長さになっている。
リュックの中身といい、この机の上のものといい、俺はいろんな人に支えられて、ここまで勉強を頑張ってこられたのだと気づかされる。
「試験開始十分前になりました。これより、注意事項を読み上げます」
試験監督の声が聞こえ、会場の空気が張りつめた。俺も動悸が激しくなってきて、一気に緊張感が高まった。
この試験で失敗したらA大を受験することすらできなくなるんだというプレッシャーと、やっとここまできたという安堵感に挟まれる。
思い出すのは、今朝の母さんの声と、去年の八月の健人先生の声だ。
『頑張ってきた自分を信じて』
『待ってます。応援してます』
――絶対に絶対に絶対に大丈夫。だって俺は、いろんな人からパワーをもらいながら、いっぱい頑張ってきた。あとは自分を信じるだけだ。
大きく息を吸い込んで、細く口から吐き出した。
試験監督の指示のもと、マークシートに名前と高校名を記入していく。勝負の冬が始まる。
*
二日間にわたる共通テストが終了し、翌日は学校に集合して自己採点を行った。その結果をもとに、志望校を決める三者面談が、順次行われることになっていた。俺の面談予定日は遅い方だった。噂によると、志望校変更を余儀なくされるほど、共通テストを失敗した生徒が前半に固まっているとか。あくまでも噂だか。
そういう面でも、自己採点した手ごたえでも、なんとなく安心した気持ちで面談日を迎えることができた。
いつも生徒がたくさんいる教室に、近藤先生と俺、そして母さんの三人きりというのは、不思議な感じがする。近藤先生が、俺の合格可能性判定が書かれた「個人成績表」を机の上に広げた。予備校が行なっているもので、志望校を三つ書き、自己採点結果を記入して送ってやると、合格可能性をAからEの五段階で判定してくれるのだ。
「第一志望は、C判定の下の方ですが、二次試験で頑張れば、まあ問題ないと思います。この一年で実力がついてきましたし。このままA大を受けましょう。後期B大も手堅いと思います。滑り止めは、共通テスト利用で、地元私大に出願済みとのことですが、その後お変わりないですか?」
先生が淡々と言う。いつもぶっきらぼうな先生が丁寧語を喋っていることに違和感を抱くが、母さんは当然そんなことは気にせず、ほっとしたような顔を見せた。
「そうですね、私大は一つだけです。母としては、国立のA大かB大に入ってくれたら、とても嬉しいのですが」
「ですよね。みなさんそうおっしゃいます」
先生と母さんで穏やかに笑ったあと、先生の視線が俺に向いた。
「田丸はどうだ? たとえば、他に受けたいところがあったりするか?」
俺は少し考えた。
できれば、A大二次試験という本番前に、他の大学のテストを受けて、「試験を受ける」という特殊な空気を一度体験しておきたい、という気持ちがあった。でも、試験会場に行くのもタダではないし、受験料もかかる。これからもっとお金がかかることを考えると、この三つの大学にとどめておくのが無難な選択かもしれない。
「大丈夫です。それでお願いします」
「……分かった」
先生は何か言いたげだったが、重々しく頷いた。
「このままいけば、浪人しなくても済むということでしょうか?」
母さんがすがるような目で先生を見た。
「そうですね。田丸くんが志望校としてここに書いた、三つの大学のどれかには入れるでしょう。もちろん、このまま油断せずに頑張ってくれたら、ですけど」
ちらり。先生が俺を見た。
「はい。頑張ります!」
声を張って答えると、先生の表情が和らいだ。
「ここまでよく頑張ったな。もう一息だ」
「はい! 先生、ありがとうございました」
「お礼を言うのはまだ早い。合格してからにしろ」
照れくさそうに髪の毛をかき回す先生は、いつもの近藤先生と同じで、気が抜けた。まずはA大合格に一歩近づいた。母さんと目が合う。俺たちは顔を見合わせて笑った。
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