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運命の 1

 大学生になって一週間。キャンパスは広く、まだ健人先生には会えていない。連絡先を交換しなかったことをかなり後悔した。  ――同じ大学ならもっと簡単に会えると思ってたのに。学部が同じでも、学年が違うとこんなに接点がないのかよ。このまま、一生会えないのかな。  毎日きょろきょろしながら構内を歩いた。毎日いろんなサークルからビラを渡され、「新歓コンパ」という言葉を初めて覚えた。  ――先生が入ってるサークルくらい、聞いておけばよかったな。  正門から教育学部棟に向かうコンクリート敷の道を歩いている時、ブッという振動を感じて、俺は尻ポケットからスマートフォンを取り出した。 『今ヒマ? 一緒に学食行かね?』  入学式で仲良くなった友だちからメッセージが来ていた。  ――学食か。他の学年も使うし、もしかしたら先生に会えるかも。  立ち止まり、「いいね」と返信しようとした瞬間、風が吹いて俺の前髪が舞い上がった。目を細め、何気なく顔を上げる。前を歩く人影を見て、目が勝手に大きく開いていくのを感じた。  ずっと思い描いていた背中、恋焦がれてきた背中が、俺の数メートル前を歩いている。  そう思うより先に、体が動き出していた。  スマートフォンをポケットにしまう。足を前に、左右交互に踏み出して。手を大きく振って、駆ける。 「先生!」  俺が声をかけると、目の前の人がゆっくり振り返った。  ――やっと見つけた。  頬が緩んだ。足は勝手に動き続けて、このままだと健人先生にぶつかってしまう。それでもいいか、と思った。感動の再会なら、抱きついたって不自然じゃないはずだ。それに、先生が腕を広げて待ってくれている。 「僕はもう君の『先生』じゃありませんよ」  先生に抱きとめられる。背中に手を回して、ぎゅっと力を入れた。嬉しい。好きだ。会えなかった時間に蓄積されていた思いがあふれだす。 「会いたかった」  俺が言うと、先生が俺の両肩に手を当てる。腕を伸ばして、ぐっと引きはがされた。拒否されたと思って一瞬胸が痛んだが、先生が照れたように笑っていたからホッとする。 「お久しぶりです。元気そうですね」  先生は、言いながらあとずさりして俺から距離をとった。 「それにしても、あんな勢いで走ってくるなんて、危ないですよ。僕が怪我するかもしれない、とは考えなかったんですか? 君は馬鹿なんですか?」  先生に「馬鹿」と言われ、懐かしくなる。「先生と仲良くなれそうにない」と思っていた頃の記憶がよみがえってきた。 「バカって言われると――」  言い終わる前に先生が口を挟む。 「『本当に馬鹿になる』でしょ? それ、間違ってるから、もう忘れた方がいいですよ」 「どうして?」  先生は真剣な顔で言う。 「僕がどれだけ『馬鹿』と言ったって、君は馬鹿にならなかったじゃないですか。君が今ここにいることがなによりの証拠です。合格おめでとう。悠里」  最後は目を泳がせていたけれど。 「俺の、名前。呼ん、で――」  言葉にならない嬉しさを表現するために、俺はもう一度、先生に抱きついた。 「こんな道の真ん中で。やめましょう。通行の妨げになりますよ」  先生の声が落ち着いているのが悔しくて、俺は先生の耳元で言った。 「なんでそんなに冷静なの。ずるい……」 「僕は大人ですから。人からどう見られるかを気にして生きてるんです。今は誰もいませんが、誰かが来た時に迷惑でしょう? 前言撤回します。そんなことも分からないなんて、君はやっぱり馬鹿ですね」  呆れたような声が返ってきて、俺はムッとして先生から離れた。  でも、先生の顔を見た瞬間、怒りが全て吹き飛んでしまった。  ――先生、真っ赤じゃん。  平静を装ってはいるけど、本当は俺と同じように冷静じゃないんだ。俺との再会に高揚してくれているんだ。そう思ったら嬉しくて、頬に力が入らなくなった。もっと照れた顔が見たくて、俺はわざと先生の顔を真っ直ぐに見つめた。

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