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(遊園地)好きな人の前では 4

 お化け屋敷の中は想像よりも暗くて、一歩入ったところで立ち止まってしまった。 「怖いですか?」  健人さんが尋ねてくる。 「怖くないよ」  すぐに否定するが、健人さんが優しげな笑みを浮かべ、穏やかな声を出した。 「大丈夫です。僕が手を握っていますから。怖がらなくていいですよ」 「だから、怖くないって言ってんじゃん!」  くすり。健人さんが笑う。俺の右手は、健人さんの左手にするりと絡めとられた。 「子供扱い、しないでよ……」 「違いますよ。恋人扱いです。恋人同士が手をつなぐのは普通のことでしょう?」  再び恋人つなぎにされる。俺は自分の顔が熱くなるのを感じながら、健人さんに手を引かれるまま前に進んだ。  怖くないのは本当だ。ここにいるお化けは偽物だって分かってるから。お化け屋敷の嫌なところは、薄暗い中、予想外のところから何かが飛び出してくるところだ。俺は、びっくりするのが得意ではない。 「怖がらないでください。僕がついてますから」 「だから、怖くないんだってば――うわっ!」  口とは裏腹に、驚くたびに手を強く握ってしまう。俺がビビっていることは健人さんに伝わってしまっているだろう。めちゃくちゃ恥ずかしい。でも、これは反射的なもので、自分でおさえることができない。もどかしい。かっこつけたかったのに情けない。ジェットコースターに乗った後、健人さんが落ち込んでいた理由が分かった。 *  出口の光が見えてきた時、俺は思わず小走りになってしまった。やっと明るい世界に出られる! 外に飛び出す直前、手をつないだ男女カップルが見えて、はっとした。  ――男同士で手をつないでいるところを見られたら、変に思われる。  健人さんの手をふりほどいてしまった。目を細めながら、お化け屋敷を出た。まぶしい。ずっと暗い場所にいたから、目が慣れない。 「いや、でしたか?」  寂しげな健人さんの声が後ろから聞こえて、振り返った。健人さんは俯いて、足元を見ていた。 「お化け屋敷を提案してしまってすみません。別にどうしても行きたいわけではなかったので、君が苦手なのだと悟った時点で、強引にでも他の場所に誘導すべきでした。それに、君の同意を得ずに、勝手に手を握ってしまって申し訳ありませんでした」  ――またやってしまった。俺のせいで、健人さんが自分を責めはじめてしまった。そんなことしてほしいわけじゃなかったのに。 「ごめん、そういうつもりじゃ――」 「分かってます。分かりますから」  健人さんが俺の言葉をさえぎった。 「僕もまだ、人前で手をつなぐのはためらいがあります。本当にすみません。こんな思いを抱いているなんて口にしてしまったら、なおさら君を傷つけるだけなのに」  健人さんは、自分のシャツの裾を両手できゅっと握りしめながら喋っている。俺まで苦しくなってしまう。あんなに嬉しくて楽しくて、幸せだったのに。ツンと鼻の奥が痛くなる。でもぐっとこらえる。こんなタイミングで泣いたら、余計に健人さんが責任を感じてしまう。 「俺が言ったんだから、先生のせいじゃないよ」  一歩ずつ健人さんに近づきながら言った。目の前で立ち止まり、両手を健人さんの頬に当てた。手の力で顔を上げさせる。 「え?」  健人さんのうるんだ瞳が、震えながら俺をとらえた。 「俺が『手をつないで先生とデートがしたい』ってお願いしたから、つないでくれたんだよね。せっかく握っててくれたのに、離しちゃってごめんね。いやだったわけじゃなくて、すごく恥ずかしかっただけなんだ……。俺、びっくり系が苦手なんだけど、お化け屋敷も、先生と一緒だったから大丈夫だった。先生の手があったかくて、力強くて、すごく、嬉しかった。安心した。ありがとう。先生に手をつないでもらえるなら、お化け屋敷も悪くないかもって、ちょっと思った……」  健人さんの口が、わずかに開いた。「ゆうり」。そう動いたように見えた。  背後から、子供の嬉しそうな叫び声が聞こえてきた。 「きゃー! ゆーえんち、たのしいね! わたし、ここに住みたい!」  ぱたぱたという子供の足音と共に、両親のものと思われる、幸せな笑い声が通り過ぎていく。  俺は、健人さんの顔を両手で挟んだまま、黙って立っていた。健人さんの視線は、逡巡するように泳ぎっぱなしだ。じっと見つめても、一切目が合わない。  ――人に見られたって構わない。だって、ここは地元でも大学の近くでもない。知り合いなんていない。すれ違うのは、数秒後には顔の記憶すらおぼろげになってしまうような人たちだ。  俺は自分の唇を、健人さんの唇に押しつけた。健人さんの顔に添えていた手を離し、半歩後ずさる。健人さんが目を見開いていた。俺と視線が絡むと、みるみる赤くなっていく。照れ隠しをするように、がばっと抱きつかれた。その勢いのよさに、一瞬息が止まる。 「君は本当に優しいですね。僕は君のことが好きです。それなのに、傷つけてばかりでごめんなさい。こんな僕でも認めてくれてありがとうございます。大好き。離ればなれは、もういやだ……」 「大丈夫。俺、どんな先生も好きだから。先生の言動で傷ついたりしない。安心して。ずっとそばにいるよ」 「ありがとう、ございます……」  健人さんは鼻声だった。俺もつられてちょっとだけ泣いた。

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