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第5話  欲望のゲージ

死んだら終いって、お前が俺は死んだって言ったんだろうが。 あの日、言い返せなかったセリフをぼんやり思いながら、俺は校門へ吸い込まれて行く人間の、頭の横に浮かぶゲージを片っ端から確認していた。 眠そうにのろのろ歩き、また友人と話しながら、歩きスマホをしながら――思い思いのスタイルで登校する生徒の頭付近には、全員もれなく二本のゲージが浮いている。ゲームのステータスを見ているみたいで、ちょっと面白い。HPとMPみたいな。が、このゲージはそんなかわいいものじゃない。 「何だこりゃ……」 「こっちがカルマゲージ、もう片方がムラムラゲージだ」 「だっさ。どういうネーミングセンスしてんだお前」 「わかりやすさ重視だ。カルマは別にダサくないだろ」 「だとしても中二だろ」 あの日、投げられたローションボトルを受け取った俺に、油崎は「見ろ」と言って指を鳴らした。途端、音もなく二つのゲージが俺の横に出現する。長さは三十センチ定規程で、形状は液体の入ったメスシリンダーに似ている。 油崎がカルマゲージと言った左側は、薄赤の液体が親指ぐらいの高さで入っていた。対するムラムラゲージ――何て名前だ――は、どぎついピンクが五割程溜まっている。 「カルマゲージは、そいつの性癖の濃さを表す。業の深さとも言うな。これの量が多ければ多いほど、放出した際の変態エネルギーが大きくなる。色はそいつの持っている性癖の数と種類による。きつい性癖なら色が濃くなるし、複数持ちは濁りやすい。お前は結構ノーマルというか、淡白なんだよな」 喘いでいるのを聞かれるのが趣味なのか、などと言っていたくせに、油崎は前から知っていましたみたいな顔で俺のゲージを見ていた。それを指摘してやると、「俺達にはデフォルトで見えている」と宣いやがる。やっぱりわかっててやっていたな。 「後ろでオナってても?」 半笑いで自嘲すると、油崎はきょとんと目を瞬いた。 「別にそこまで特殊じゃないだろ。そりゃ皆やってるとは言わないけどな」 その言いようがあまりにも自然だったから、俺は自分を傷つける笑みを引っ込めた。「カルマゲージの基準はその時代の大衆の平均だから、移り変わりがある」と続けた油崎の言と、あまり主張の激しくない己のカルマゲージの色を見て、俺は僅かにほっとした。……どこかで、こんな自慰をしている自分を責めていたのかもしれなかった。 「ムラムラゲージはその名の通り、性欲がどれだけ溜まっているかだな。満タンなら性欲モンスター、空っぽなら解脱済みってところか」 何ともまあわかりやすく雑な説明だ。色はこのパッションピンクで固定らしい。目に痛い。 一般的にどれぐらいが普通なのかはわからないが、俺のゲージが半分近くあるのは、間違いなく油崎にお楽しみを邪魔されたからだろう。性欲を可視化されると、いやにきまりが悪いことを知った。 「このゲージを参考にして、エネルギーを回収するやつを決めろ」 言って、油崎は俺に合図を決めさせた。ゲージの表示と非表示を切り替えるための合図だ。確かにずっとこれが視界にあるのは邪魔くさい。邪魔なだけではなく、他人の性癖と性欲の状態が常に見えるなんてことになると気が狂ってしまうだろう。 合図は、人差し指を三回上下させるというものに決まった。と言うのも、俺が指パッチンをできないからだ。それに気付いた時の油崎の顔は想像通り癪に障るものだったが、無視してやった。 早速決めた合図で数回ゲージの出し入れをするが、油崎の横には何も変化がない。 「あんたのゲージは?」 「人間にしかない」 さらりとした答えに、本当に人間じゃないんだなあ、と妙に感心したのを覚えている。 さて。色とりどりのゲージ達を順に見ながら、俺は重い溜息を吐いた。説明を受けた日から、実は既に二日が経過してしまっている。想像以上に、他人の性的ステータスが表示される視界というのは、俺の精神を削った。 更にここから、変態エネルギーを頂戴する人間を選ばなければならない。回収先を検討するにあたって、油崎の言っていた「面倒」の意味がわかりつつあった。 俺は高校一年生、十六歳だ。これがあまりよくない。性的なことが行われるような店や場所には行けない、もしくは行きづらいのだ。風俗店で性癖を売りにしている人を探したり、ラブホでヤっているカップルからエネルギーを拝借――室内に入れないとしても、廊下等で盛り上がっているところを狙う――といったことがまずできない。 「おす!」 「ああ、おす」 周囲に目を凝らしていたせいで、肩を叩いてきた浅井への反応が遅れた。初彼女ができてから絶好調の浅井の頭の横にも、二本のゲージがある。カルマゲージはほぼ無色透明で、飲み残しのお茶のように、かろうじて底に液体がへばりついているだけだ。これを初めて見た時、俺は正直開いた口が塞がらなかった。 こいつ、性癖がほぼないんだ。いや、正しく言うと、今の時代の世間の平均に収まっている。俺はどうやら、自分のカルマゲージの色があまり濃くなかったのを嬉しく思っていたらしい。 ただ、浅井もムラムラゲージの方は三割ぐらいあったので、男子高校生はこういうものなんだろう。 浅井だけじゃなく、大半の男子生徒は似たようなものだった。カルマゲージはほぼ無色透明か、薄い黄色や薄い緑等とにかくパステルカラーで、ムラムラゲージが三分の一ぐらいある。女子生徒の場合は、ここからムラムラゲージが少し下がる。 時々この平均から外れている人間がいるので、その人達に狙いを定める必要がある。 男子生徒はともかく、女子生徒のゲージを見るのは気まずいものがあるが、これが慣れて来ると案外面白い。ゲージが平均から外れている場合、男子生徒は大体ムラムラゲージの方が高めなのだが、女子生徒はカルマゲージの色や多さに表れる傾向にあるようだ。 ……つまり、中村さんはヤバかった。 カルマゲージの色が、紫に茶色を混ぜたような色になっていた。量も半分近くあったのだ。顔を見るや否や固まった俺を心配してくれたのに、思いっきり目を逸らしてしまって申し訳なく思う。……ムラムラゲージも結構あった。スマホを弄っている時には上昇が見られるから、やっぱりその手の漫画か小説を読んでいるんだろう。中村さんタイプの女子生徒はちらほら見受けられ、俺は世界の広さを知った。 じゃあとっとと中村さんに協力を仰げよという話だが、それは既に油崎によって否定されてしまっている。 「……女か?」 「……そうだけど」 その言い草はどうなんだ、と思ったが油崎が剣呑な雰囲気を出したので押し込む。 「じゃあ無理だな」 「何でだよ」 「男じゃないと無理だ」 「は⁉」 何だそのルール。 説明を聞いた次の日、学校中のゲージを一通り見て疲れ切った俺に、油崎は初耳の条件を捻じ込んで来た。 「お前の性対象が男だから、男からしか回収できない。正しく言うと、男が好きな男からだけだな」 「え、は⁉ ちょっと待て、俺は別にゲイじゃない、たまたま好きになったやつが、その」 男、天野だっただけで。そう続けようとしたが、油崎の方が速かった。 「お前の性的指向の遍歴は関係ない。『今』は男が好き――好きな奴が男で、その男とヤりたいんだろ。まあ、今から性対象を変えれば、女からも回収できるようになるだろうが」 それは無理だ。考える必要すらない提案だった。天野以外なんて、考えられない。女の子と付き合うという外観をとることは多分不可能ではないけれど、心が天野のことを想ったままだろう。それに、正直なところを言えば、女の子と付き合っている自分はあまり想像がつかなかった。 「今も女から全く回収できないわけじゃないが、猛烈に効率が悪いぞ。同じ労力をかけるなら、男から回収しろ」 「……カルマゲージで、相手の性的指向ってわかるのか?」 「いや?」 何でだよ! 一番大事なところだろ! エネルギー回収まであと一歩のところで、相手が女の子が好きだとわかったらどうするんだ。それまでの苦労が全て水の泡になる。まさかプライバシーとかを気にしてるんじゃないだろうな。こんなセンシティブなゲージを出しておいて? ぎゃんぎゃん吠えても、油崎はまあ頑張れ、と言うだけだった。 だから、中村さんはもちろん、横でデレデレしている浅井からも、エネルギーの回収は望めない。要は、今の俺と性的指向がダブっている相手からじゃないと駄目だという話なのだろう。何だか輸血みたいだ。 飽きもせず彼女とのエピソードを語る浅井に頷きつつ、俺は前方に見えて来たターゲットに目を細めた。校舎の正面玄関前で元気に挨拶している男子生徒。我が校の生徒会長だ。 登校してくる生徒達に爽やかな笑みで「おはよう」だの、「今日も頑張れよ」だのと声をかけている。初めて見た時はこの高校の慣例なのかと思ったが、どうやらそうではなく、この生徒会長、丸木先輩が勝手に始めたことらしい。 何でも、一日の初めに挨拶をされるのもするのも気持ちがいいとか、気が引き締まるとか、生徒会長として全校生徒と関りを持っておきたいだとか。そんな素晴らしい精神で行っているのだという。俺とは完全に別人種だ。挨拶のためにわざわざ早起きをするとか、絶対にしたくない。……天野にするっていうなら別だけど。いや、嘘。緊張してできない。 とにかく、丸木先輩は今日も爽やかスマイルを生徒達に振りまいていた。笑顔のとおり容姿もすっきりした顔立ちで、女子生徒の中には嬉しそうにしている子達もいる。だからこそ、違和感が凄まじい。彼の隣に浮いているゲージとの差異が。 オレンジと濃い緑を混ぜて、茶色を一滴垂らしたようなカルマゲージの色。身も蓋もない言い方をすると、汚い。しかも量も多い。七割近く溜まっている。これは、今まで見た中でも相当えぐい部類に入る。 ムラムラゲージも六割超え。これも凄い。なんだかんだ言って、量が半分を超えている人というのはあんまりいないのだ。オナニーを油崎に邪魔された俺をも超える量って、この人は一体普段何を考えているんだ。 丸木先輩の横に立っている副会長が、欠伸をかみ殺している。副会長は丸木先輩と同系統の見た目の人だが、丸木先輩ほど真面目ではないらしい。正面玄関前には、いる日といない日がある。今日も眠そうにしている副会長のゲージは、カルマゲージが薄く黄色に色づいているぐらいで、浅井とそう変わらなかった。 だからこそ、隣の丸木先輩のゲージがより目立つ。 ゲージが見えていない生徒達は、丸木先輩の笑顔を受けて挨拶を返している。俺も前まではあちら側だったのに。こればっかりは見えてなかった頃に戻りたい。 「なあ、何がいいと思う?」 「ハンカチとかでいいんじゃないか」 浅井は彼女へのプレゼントに悩んでいるらしかった。ぱっと思いついたものを返せば、「いや、でも……」等と言って首を捻る。なら訊くなよ、とは言わないでおいてやる。あんまり無理するな、うちの学校アルバイト禁止なんだから。 そうこうしている内に、正面玄関がすぐそこまで迫っていた。 「おはよう」 「おはようございまーす」 「……おはようございます」 俺と浅井にも、丸木先輩は完璧な笑顔を向けてくる。正面を向きながら先輩方の前を通り過ぎ、俺は今日の手順を頭の中で再確認していた。

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