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第7話  生徒会長の秘密

おしっこ……我慢……? 何を言ってるんだこいつは。 俺は自分の耳を疑った。 検尿というわけでもないだろう。こんな時間にこんなところで採りはしないだろうし、大体他人がいるような状況でやることじゃない。 丸眼鏡の男子生徒が、おもむろに手を伸ばして丸木先輩の腹を押した。「うっ」と声を漏らして体をくの字にする丸木先輩に構わず、ぐいぐい押し込んでいる。 「さ、佐渡、漏れる、もれるから……」 「好きなくせに」 丸眼鏡の生徒は、佐渡というらしかった。多分丸木先輩と同じ三年生だろう。 佐渡先輩は息を荒げる丸木先輩に笑うと、ネクタイを掴んで引き寄せ、口づけた。 身長は丸木先輩の方が高いし、体格も結構差があるのに、見た目とは関係のない部分でどちらに主導権があるのかは何となく察せた。 「ひえ……」 俺は意図せず出た声を抑え、ローションボトルを持ったままの手で視界を覆った。指の隙間から見えてはいる。でも、こうでもしないと気まずすぎる。向こうからはロッカーにいるせいで見えないとしてもだ。 水音と丸木先輩の鼻息がよく聞こえる。目じゃなくて耳を塞ぐべきだったかもしれない。 佐渡先輩の舌は丸木先輩の口内を好き勝手蹂躙しているらしい。時々丸木先輩の喘ぎが漏れ出している。 佐渡先輩が丸木先輩の下唇を甘噛みして、舌を吸っているのも見える。それはもうめちゃくちゃ見える。俺達が隠れているロッカーの真正面で繰り広げられているからだ。 「ふ……あ、んっ……ぅ……佐渡ぉ……」 「ん、ふふ……」 余裕そうな佐渡先輩と違い、丸木先輩はいっぱいいっぱいらしい。もじもじと内股を擦り合わせている。スラックスが生む衣擦れの音が、ロッカー内の俺に夜の気配を運んで来て、勝手に頬が熱くなった。 ――いや待てよ。 はっと俺は思い出した。そうだ、丸木先輩はトイレを我慢してるんじゃなかったか。足を擦り合わせているのも、たちそうなんじゃなくて、漏れそうなのか? まさかここで出す気じゃないだろうな⁉ いつもにこやか爽やかな生徒会長が、生徒会室でお漏らし――見出しとしては最悪だ。まあ既に、にこやか爽やか生徒会長像は崩れ去っているが。 「ピーガズムか。久しぶりに見たな」 「ぴ……なんて?」 焦る俺とは裏腹に、油崎は興味深そうに囁いた。バレないようにという配慮はしてくれるらしい。ちょっと意外性を感じている自分に、俺は呆れた。 「他の言い方だと……おしがま?」 「何だそりゃ」 俺の頭の中で、ガマガエルと窯がぽんぽんと浮かんですぐに消える。聞けば何てことはない、尿意を我慢することだった。おしがま、おしっこがまん。ピーガズムになると、我慢時や放尿時に快楽がついてくる……らしい。 つまり、生徒会長は尿意を我慢した状態で恋人――多分――といちゃつくのがお好き、ということか。意味がわからない。トイレを我慢していたら他がそれどころじゃなくなると思うのだが。 俺なら絶対にキスしている場合じゃなくなる。……撤回、天野相手ならそうじゃないかもしれない。もし、万が一、天野とキスできるラッキーに恵まれたなら、その時猛烈にトイレに行きたくても我慢してしまうだろう。きっと。 「おい、何ぼさっとしてる。早く回収しろ。無駄にする気か?」 俺がもしもの妄想に浸っていると、背後から油崎が肩を叩いてきた。そうだった。こんな野次馬じみた行動をしているのは、変態エネルギーの回収というミッションがあるからだった。目の前の光景がわりに衝撃的で忘れていた。 油崎曰く、ローションボトルの口をエネルギーを解放させている人間に向ければ、自動的に回収してくれるらしい。 「ロッカー越しにいけるのか?」 「遮蔽物があると無理だな」 無理なのかよ! 思わず舌打ちしそうになり、何とか堪える。何で最初に言わないんだこいつは。 ロッカーの細長い穴にボトルの口を持って行くが、できてるんだかできてないんだかよく見えない。俺が試行錯誤していると、油崎が暢気に「穴が細すぎるな。扉を開けてそこから出せ」と言った。 「いやバレるだろ!」 「どうせ二人の世界だ、思い切りいけ」 元々、出られなくなっては困るのでロッカーの扉は完全に閉め切っていなかった。ゆっくり、ゆっくり音をたてないようにスチールの扉を押し開ける。親指程の幅の縦筋がはしり、ロッカー内に光を差し入れた。 隙間にローションボトルの口を当てると、ボトル内に霧のような靄のような、霞がかった何かがぼんやりと溜まっていくのが見える。それは底まで到達すると、手を取り合って液体になるようだ。 油崎の言うとおり、ロッカー内でどたばたしていても、外の二人に気付かれた様子はない。自分達の唾液が絡む音で聞こえないのだろう。丸木先輩に至っては、佐渡先輩の指で片耳を塞がれているし。 丸木先輩の顎に滴った唾液を佐渡先輩が啜る。――俺は何を見せられてるんだ。いや、勝手に見ているのはこっちなんだけど。 初めはただネクタイを引っ張られて下を向かされているだけだった丸木先輩だが、俺と油崎がごちゃごちゃやっている間に、大分足が言うことを聞かなくなっているらしかった。 膝が曲がって佐渡先輩と同じぐらいの高さの位置に顔がある。その膝は内向きで、太腿が震えている。手は腹を押さえたり、腿の上に置いたり、はたまた佐渡先輩のシャツを握ったりと忙しない。 ……大分限界が近いんじゃないか? 俺は気まずさが薄れるのを感じながら、丸木先輩の膀胱を心配した。というか、そのおしがまとかいうのは、どう考えても体に悪いと思うんだけど、どうなんだろう。膀胱炎になりそうだ。 佐渡先輩の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。 「ほんと、生徒会長が放課後にこんなことしてるなんて知られたら、どうなっちゃうだろうね」 「さ、佐渡」 「どうする? 生徒会の誰かが来ちゃったりして」 「……っあ、見られるのは、困る……」 「うんうん、そうだね」 言いながら、佐渡先輩は丸木先輩の股間を思いっきり膝で押し込んだ。よ、容赦がない。丸木先輩は喉を反らしてがくがく震えている。膝が曲がっているから、今にも崩れ落ちそうだ。 「待って、待って……!」 「出そう?」 「漏れちゃう、漏れちゃうから、あっ……うぅ……」 丸木先輩が半泣きになったところで、佐渡先輩はぱっと膝を離した。倒れそうになるのを、ネクタイを引いて無理やり立たせている。佐渡先輩、見た目にそぐわずえげつないな。クリオネの捕食シーンを初めて見た時の気分を思い出す。 「ほら、次は僕の番ね」 「う、うん」 今度は何だ。佐渡先輩が丸木先輩の両手を掴み、自分の首へ――。 「あっ、そっち⁉」 まずい。ばっと俺は自分の口を塞いだ。まずい。結構普通の声が出た……気がする。が、それは本当に気のせいだったらしい。恐る恐る様子を窺うと、外では相変わらず二人だけの世界が展開されている。油崎が短く俺の背中を叩いた。 丸木先輩の手が佐渡先輩の首に食い込んでいく。ちゃんと喉仏を避けて首の側面を圧迫している様は、二人がこの行為に慣れていることを示していた。 俺も、この行為は知っていた。首絞めだ。脳への酸素供給を滞らせることでぼうっとした感覚に陥れる……。ネット知識を基に一回自分でやってみたが、生命の危機を感じてやめた。 何と言うか、意外だ。てっきりやるなら佐渡先輩が丸木先輩にだと思っていたのに。急な方向転換に頭が追い付かない。背後で油崎が「首絞め単体か……SMか……いずれにせよ複数持ち……」等と呟いている。 丸木先輩の手は、さっきの責め苦で力が入らないのか、小刻みに震えていた。おまけに腰が引けている気がする。佐渡先輩はその手首をがっちり握って瞼を下ろしていたが、突然かっと目を見開いた。 勢いよく丸木先輩の手を外し、そのまま斜め後ろにある長机へ丸木先輩を押し倒した。床を、ロックのかけられた机のキャスターが、無理やり引きずられていく音がする。 「相変わらず下手だね。もっと思いっきりやってよ」 「あ、ご、ごめん、でも――あ゛っ」 佐渡先輩の指が丸木先輩の首に回った。丸木先輩の口から引き攣った声が漏れ出る。 結局こうなるのか。俺はちょっと安心している自分がいることに自分で引いた。安心ってなんだ。学校で首絞めプレイしてるんだぞあの二人。しかも片方はトイレを我慢している。 「ほらほら、いつも皆に挨拶してる生徒会長が首絞められて喜んでるなんて、まずいんじゃない? 誰かが来たら、まあ僕が人殺し扱いされそうだけど……ふふ、そこで思いっきり漏らしてみるのはどう? 君がおしっこ出してイっちゃう変態だってバレちゃうね」 佐渡先輩の息が荒い。喋る言葉に楽しそうな笑いが乗っかり始めた。それに丸木先輩は弱々しく首を振っている。佐渡先輩に押さえられているせいで、動かせる範囲には限りがあるようだが。 一瞬、本当に事件なのでは? という思いが頭を掠めるが、すぐに丸木先輩が尿意を我慢している事実が全てを押し潰していった。何だろう、ああ、合意なんだろうな……という気分にさせられるから不思議だ。 と、ここで俺は引っ掛かりを覚えた。さっきから丸木先輩は誰かに見られることを気にしているようだが、この部屋に入ったときはむしろ佐渡先輩の方がその点を気にしていた気がする。 うん、間違いない。どちらかの家でしないかとか、鍵を掛けないかとか、人に見られる心配をしていたのは佐渡先輩の方で、丸木先輩は否定する側だった。それが今、逆転……逆転? している。 「お前、初めてにしてはなかなか凄いのを見つけたな」 「……どういう意味だよ」 ひそひそと油崎が耳元に囁いて来るのに距離をとる。外では佐渡先輩が首を絞めたまま丸木先輩にキスをし始めた。いよいよ息ができなさそうだ。 「ピーガズムに首絞め、露出癖。三点セットだ」 「露出癖?」 「自分の裸とか性行為だとかを見られるのが好きな奴のことだ。今首絞められてる奴がそうだろ。どっちかというと、見られるかもしれないというスリルの方だろうな」 なるほど⁉ 俺はすとんと腑に落ちるのを感じた。見られるかもしれないというスリル――。それを味わいたいために、丸木先輩は学校ですることにこだわり、そしていざ始まれば見られるかもしれないという恐怖に怯える振りをする……。佐渡先輩が見られたらという仮定の話をするたびに嫌がるのは、そういうポーズだったわけだ。 まあ、仮定も何も、今ここで俺達にばっちり見られているけど……。 今日一日、いや、この十数分間で俺の中の丸木先輩のイメージは一気に破壊され、組みなおされた。昨日尾行していた時も、おや? とは思ったが、まさかここまでとは。全校生徒の前で話す姿や、正面玄関前で挨拶してくる姿しか知らなかったから、衝撃の度合いはまだマシなんだろうけれど。 ……待てよ。生徒会長で、全校生徒の前で話す機会があって、別に慣習でも何でもない朝の挨拶を率先してやっていて……。 俺の中に、水の中に墨汁を一滴垂らしたような疑念が湧き始める。いやいやまさか、さすがにそんな……。 「中途半端なんだよね」 俺の思考に、佐渡先輩の言葉が割って入った。丸木先輩の首から手を離したり絞めたり、緩急をつけだしている。そのたびに、机から放り出された丸木先輩の足がびくついた。 「見られるかもって思いたいなら、旧校舎じゃなくて新校舎の教室でやればいいのに。ほんとに中途半端。首もちゃんと絞められないし、おしっこ漏らすわけでもないし。ペットボトルとか持って来てあげるのに。生徒会長として皆に見られるだけで満足してる場合? その程度の気持ちよさじゃ足りないくせに」 ――やっぱりか‼ 俺はロッカーの中で膝をつきそうになった。何てことだ。さすがにないと思った疑念が、当たってしまった。 丸木先輩が、毎朝正面玄関前で挨拶をするのも、いや、そもそも生徒会長という目立つ役職になったのも、彼の性癖の発露だったと。 「まあ、『見られるかもしれない』は『見られたい』故だしな」 後ろで何やら納得している油崎に、思わず理由もない肘鉄を食らわせてしまった。「何すんだお前」ごめん。こればっかりはごめん。俺はローションボトルを挟んで油崎に手を合わせた。 「何を慌ててんだよ。性癖は別にセックスに限ったことじゃないだろ。嗜好とか性格も指すんだから」 「ああ、うん、だよな。うん、わかってる……」 油崎が冷静だから、こっちの頭も冷えてくる。そう、丸木先輩が人に見られるのが好きなのは別に変なことじゃない。ただ、油崎が変態エネルギーは性交関連じゃないと駄目だと言って、それを満たすために彼らを観察しているせいで、丸木先輩の普段の行動が目の前の行為とかなり直接的に結びついて動揺しただけだ。 そう、それだけだ、それだけ……。ああでも、毎日の挨拶は生徒との交流うんぬんと関係なかったのか……。本当にこの人印象変わるな……。 「やっぱり今度教室でしようよ。そっちの方が好きでしょ?」 ロッカーの外では、再び佐渡先輩の膝が丸木先輩の股間を押し込んでいた。丸木先輩は、ハッハッと犬のような短く荒い呼吸音を響かせている。その首から手を外し、佐渡先輩がブレザーを脱ぎ始めた。多分暑くなってきたんだろう。 「そ、れは、ちょっと……」 「何で。教壇でやるのとかよさそうじゃない? 君の机でもいいけど」 「見っ、られる……アッ、さすがにバレちゃうから、待って! 出る、出るから――う゛っ! うあ、ん……ぅ」 ビビりなんだから、と笑いながら佐渡先輩が不意にぐりぐりと捻じ込んでいた膝を離す。丸木先輩は両膝を腹まで持ち上げて、身を捩った。だが、すぐに佐渡先輩に足を机に押し付けられている。短かった呼吸は、どんどん不随意になっていくようだ。 佐渡先輩の手が丸木先輩の体を這い始める。ブレザーの下に突っ込まれているせいでよく見えないが、腕の角度的に胸や脇腹辺りで丸木先輩が吐息を漏らした。切羽詰まった悲鳴じみた声が鳴りを潜め、じんわりした愛撫に切り替わる。 「は、あ……」 「気持ちいい?」 「うん……」 佐渡先輩が屈みこみ、二人の舌先が触れ合う。ちろちろ遊んでいたかと思えば、水音が大きくなって角度が深くなる。上顎を舐められた丸木先輩が、上擦った呼気で喘いだ。 ――こっちの方が、見ていて気まずいかもしれない。 さっきまでの漏らす漏らさない、首を絞める絞めないももちろん衝撃的だったが、急にしっとりした雰囲気を出されると困る。ショーをしていた演者が突然お隣さんになったみたいな距離の詰められ方を感じた。 首から頬にかけてが熱い。 ありていに言うと、俺は二人に自分と天野を重ね合わせていた。天野のあの大きい手で触られたら、きっと気持ちいい。一人でする時は、その、後ろばっかりいじっていたせいで胸は未開発だけど、でも……。 ローションボトルを持つ手が汗をかき始めた。徐々に気持ちが妄想に傾いていく。俺の口の中が乾きだしたところで、佐渡先輩が丸木先輩の耳元に口を寄せた。――油崎の仕草に似ている。そう思った。 「ああ言ったけど、今日ペットボトル持って来てるんだよね」 ん? 佐渡先輩の唇が弧を描いた。いつの間にか、片手に空のペットボトルが握られている。「出しちゃえ」 丸木先輩の体を優しくなぞっていた手が下腹を押し込むのと、俺がそれに「えっ」と素っ頓狂な声を上げるのと、油崎が「どれぐらい溜まった?」と俺の手首を掴んだのは全く同時だった。 温い手だった。温かくて柔らかい手が、俺の手首の親指の付け根を撫でて、俺はそのぞわりとした感覚に耐え切れず――体が跳ねた。しかも前方に。 「え、おい!」 油崎の焦った声が後ろでする。珍しい。そう思ったのは一瞬で、俺はロッカーの外に転がり出た。

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