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第12話 友からの紹介

午後の授業中も、頭の片隅にはずっと天野とのデートのことがあった。窓際をちらと見れば、澄ました顔で天野がノートをとっている。こんなにぐるぐる情けなく考えているのは、やっぱり俺だけなんだろう。 悩みすぎたのか、弁当を食べたのにうっすら空腹を覚えつつあった。 黒板の内容をノートに機械的に写した現代文の授業の後、次の数学までの僅かな休憩時間に、くるりと中村さんが振り返った。 「いいことあった?」 思わず窓際を見る。浅井はスマホに夢中で、天野は席にいなかった。トイレだろう、多分。中村さんのタイミングの見計らい方は相変わらず神がかっている。センサーでも搭載しているんだろうか。 「な、何で」 「そわそわしてるから」 何も言っていないのに。そんなに顔に出てたのか。中村さんは目線で天野の席を指した。わかっていますよ、という顔だ。何でわかるんだ。中村さんと俺の接点は俺の天野への片恋だから、話がそこへ行くのはわからないではないけれど。 俺は何とか「あとで」ともごもご呟いた。中村さんが眉を上げてから前を向く。ポニーテールが軽く舞ったその時、俺の背後を人が通った。天野だ。トイレから帰って来たらしい。間一髪、まさにぎりぎりだ。本当にセンサーでもついているのかもしれない。 「やったじゃん!」 放課後、そのセンサー搭載女子高生である中村さんは、屋上へと続く階段でテンション高めに跳ねていた。 屋上の扉は施錠されているため、基本ここに人は寄り付かない。それでも、より人目につかないようにという気遣いからか、三階から目に入る踊り場ではなく、そこから屋上へ伸びる階段のど真ん中で彼女は俺の話を聞いていた。 「デートってことでしょ⁉」 中村さんの方が一段上にいるので、目線がほぼ同じになっている。 俺は中村さんに、次の土日に天野と食事に行くことを簡潔に伝えた。鼻息荒く「誘ったの?」勇気出したんだ、という称賛を滲ませられると気まずい。俺はずっとビビりだから。 「いや、天野の方から……」 「えっ」 中村さんの目が、それはもう丸くなった。目玉焼きだ。「えっでも、え……じゃあ」 「――脈あり?」 「ちが、そういうんじゃなくて!」 まずい。浮かれるままに話してしまったけど、中村さんにそこに至る経緯まで知られるのはまずい。俺にとっても天野にとっても。特に天野からしたらえらい迷惑だ。……中村さんは、もしかしたら喜ぶかも……しれないけど……。 中村さんのお気に入りの漫画を思い浮かべ、遠い目になる。 「その……ちょっとトラブル――トラブルって程でもないんだけど、それのお詫びみたいな……ほら、天野は優しいから」 設定ぐらい考えておくんだった。どれだけふわふわしてるんだ、俺の頭は。 中村さんは深く追求しなかった。ふーん、と言う声はどこか気持ちがこもっていない感じだったが、すぐに「それで?」と次へ行ってくれた。 「何着てったらいいかとか、天野と制服以外で会ったことないし、それ以前に何喋ろうとか」 「成程?」 煮詰まってるねえと中村さんは腕を組み、うんうんと頷く振りをした。 「話題がないってことはないんじゃない? 同じ学校通ってるんだしさ」 「そうだけどさ……でも部活は違うし、普段喋るわけでもないし、ドーナツ好きなのかなとか思っててもそれ言ったら何で知ってんだって話だし」 「ドーナツ好きなの? 天野君」 「昼休みに時々食べてる」 購買に売ってる、四つセットになっているやつだ。プレーンとチョコ味が二つずつ入っていて、コンビニでも見たことがある。中村さんがにまにま笑うので、そっぽを向いた。どうせ天野ばっか見てますよ俺は。見てるだけで話題がないんだから困っているのだ。 「別に、普通に『時々食べてるけど好きなの?』でいいじゃん。教室で食べてるところ見られたって変には思わないでしょ」 「そうか……そうかも……」 何を話すにも、最初に浮かぶのは「嫌われたくない」だ。俺のことを好きになってもらおう! だなんて気持ちにはなかなかなれない。 でも、確かに言われてみればドーナツの話題は悪くはなさそうだった。好きなドーナツの種類は何ですか……下手くそな会話術みたいだ。ネットで悪い例として載っていそうな。 はあ、と巨大な溜息が出る。 「……誰かお手本を教えてほしい……」 男が、好きな男と楽しく話せる方法を。女の子を楽しませる方法でも、友達になる方法でもない。……いや、俺と天野の現在の関係を考えると先に友達になった方がいいのかもしれないけれど……俺の本心は友達になりたいわけじゃないと言っているのだから仕方がない。 「お手本か……」 中村さんが足元に視線を落とした。そしておもむろにスマホを弄り出す。 「私の友達の叔父さんがゲイバーやってるんだよね」 「ゲイバー」 「そう。ここ」 くるりと向けられたスマホの液晶には地図アプリが表示され、件のバーが赤いピンで示されていた。「カフェ&バー・ヒアシンス」という結構優雅な名前がついている。 「夜中はバーで、休日の昼間だけカフェをやってて。ゲイバーって言っても、ゲイじゃない男性も女性も入店可能なんだよね。まあお店への理解は必須だけど……ここならそういう目線でのアドバイスとかももらえるんじゃないかな」 ゲイバー。考えたこともなかった。バーとはお酒を飲む場所で、未成年の俺には関係がないと思っていたからだ。昼はカフェ、なるほどそういう営業形態も聞いたことはある。 そこに行けば、もしかしなくても仲間が見つかるかもしれないということだ。中村さんには知られているけれど、彼女は女性だし、俺と同じ属性で話を聞いてくれる人というのは今までいなかった。生徒会長達はそうかもしれないけれど、話しかける理由がない。でも、ここなら客として入店できる。 「よかったら、友達を通じて話しておくけど」 「お願いします」 俺は食い気味に頭を下げた。勢い、と言って中村さんが笑う。 「友達が片思い相手との初デートでめちゃくちゃ緊張してる、って言っとくわ」なぜか楽しそうに中村さんは彼女の友人にメッセージを送り始めた。画面上を高速で親指が動く。 「今週ってことは明日じゃないとまずいよね? あ、天野君とのデート土曜日だったらまずいか……」 「いやデートじゃ……まあいいや、日曜日にしてもらえないか訊いてみる」 「おっけー」 トークアプリを開き、天野へのメッセージを考える。『約束なんだけど、日曜日にしてもらってもいいですか』……これ、俺が日にち指定してもいいんだろうか。昼休みに会った時はいつにしてほしいなんて言っていなかったのに、なんて思われないだろうか。いやいや、家の用事とかの可能性もあるし、そんなに怪しまれることはないだろう。何でこんな一文を送るのに時間を掛けてるんだ……。 俺がぐずぐずしている内に、中村さんは、よし、と言ってスマホをポケットにしまった。早い。俺も慌てて送信ボタンを押してしまう。――あ。やってしまった。 「返事来たら知らせるね。多分大丈夫だと思うけど」 「あ、うん、ありがとう」 中村さんが階段を下りて行く。二人でいる場面をなるべく見られないようにとの配慮から、中村さんから提案されたことだ。二人で会った後は、大体こうやってその場から去る時間をずらしている。 俺はそっとスマートフォンの画面を見つめた。 (なんか……怒ってるみたいに見えるかも……) 絵文字も記号もない文章はひどく無機質で硬い。喋り口調で打つべきか書き言葉で打つべきか判断がつかず、結果中途半端になっているのもいただけない。でもここから何か付け足すのも不自然だし、付け足す内容も思い浮かばない。書き直し……と思ってメッセージを長押しした時だった。「既読」の文字が付いた。 「……」 何でこんなにタイミングがいいんだ。俺は画面に押し付けていた親指をずらした。ぽこん、と吹き出しが上がって来る。 『わかりました』 ごりごりの敬語。天野とのトークは敬語ばっかりだ。それが彼との距離を表しているようで、いやでも天野は俺に負い目があるから敬語になっているだけなのかも、等とぐちゃぐちゃ考えながらも、取り敢えずほっとしていた。 これで中村さんからオーケーの返事が来れば、中村さんの友達の叔父さんとやらのアドバイスを受けてから天野と会える。 天野への返事にスタンプを送信しながら、俺はもう一つの考えへ目を向けた。 中村さんからバーを紹介された時、俺の頭には天野のこととは別に、変態エネルギーのことがあった。 ゲイバーということは、他の場所よりも、男性を恋愛対象とする男性が集まりやすいということだ。正直、生徒会長達のエネルギーを回収する作業は面倒くさかった。 エネルギー回収作業そのものと言うより、それに至るまでの、ターゲット決めの方が労力としては大きい。あの時はたまたま生徒会長達がビンゴだったからよかったけれど、そうじゃなかったらまた学校中を駆けずり回らなければならなかった。 カルマゲージが性対象を教えてくれないから、その人の性対象が男性かどうかは、本人に訊くか生徒会長達のように現場を見るしかない。 本人に訊くのはまず無理だ。俺だって、訊かれてもほいほい答えることはできない。仮に相手がそうだとしても、質問する俺の方から仲間であることを示す必要があるだろう。ただ、それでも警戒は解けないかもしれないし、相手がそうじゃなかった場合にただ俺が自分の性指向をさらけ出すだけになってしまう。 だから、中村さんからの提案は渡りに船だった。 天野のこととエネルギー集め、もしかしたら一石二鳥を狙えるかもしれない。 ……だとすると、バーには油崎も連れて行った方がいいんだろうか。エネルギー回収に関しては間違いなくあいつの方が詳しいだろうし、俺だけでは見落とすこともあるかもしれない。ああそれに、あいつには知っていることを洗いざらい喋ってもらわなくては……後出しじゃんけんはごめんだ。 俺は勝負の週末のことを考えながら、階段を下りて行った。

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