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第13話 お仲間とのエンカウント

油崎は、開口一番に「阿呆だなお前は」と言った。 「がっつり流されてるじゃないか。詐欺に引っ掛かっても驚かないぞ」 「うるさい、お前が俺は滑落してるって言ったんだろ」 「自分で言ってちゃ始末に負えないな」 俺のベッドにうつ伏せで寝転び、油崎は漫画のページを捲っている。いつの間にか二十巻目になっている。ニートみたいな生活してるなこいつ。食事も排泄も必要なさそうだから、下手したらニートより楽そうだ。 「でも、そのゲイバーへの紹介を得たのは上出来だな」 目線はコマを追いながら、油崎は冷静に言った。「最初からターゲットになり得る奴の分母を絞っておくのは大事だ」 「俺だって考えてるんだよ」 「二兎を追う者、一兎をもなんてことにならなきゃいいがな」 「お前は俺の味方なのかそうじゃないのかどっちなんだよ」 褒めたかと思うと嘲るように笑う。呆れた風に返す俺も、いい加減こいつのことがわかってきた。気分のムラが異常に激しいのだ。それも短いスパンで上がったり下がったりするから、ムラと認識できないぐらいの波長で。上げたら同じぐらい下げて、下げたら同じぐらい上げて――と平均値を一定に保たないと安心しない質なのかもしれない。推測だけど。 現に油崎は、俺の文句に漫画から目を離し「オレがお前の一番の味方だろうが」と微笑むのだから。 土曜の十時、繁華街の方へ電車で移動し、中村さんに送ってもらった地図を頼りに人混みの間を縫って行く。 隣に従えた油崎は初登場時と同じトレーナーとジーンズ姿だ。俺は取り敢えず紹介してもらった立場だし、と上はシャツにしておいた。それでも顔面偏差値の差か、油崎の方が決まって見えるから腹が立つ。周囲からの控えめな視線も感じるし。 「そういえばお前ローションの精かなんかだって話なのに、普通に電車乗れるのな」 「は? ああ、人型だしそりゃ乗れるだろ」 「いやそっちじゃなくて」 一般常識の方だと言えば、油崎は「そういうのはいい感じに何してくれる」と意味不明なことを返してくる。 「いい感じってなんだよそりゃ」 「人間が教えてくれる。人間はオレ達に勝手なイメージを植え付けるが、同時に自分達の生き様を見せてくれるからわりに面白い」 「お前に教えた人間がいるのか? え、俺?」 使用者――油崎の本体であるローションの――である俺から、こう何かミラクルなサムシングで知識が伝わっているのだろうか。油崎は「個人じゃない」と言った。 「確かにオレはお前のローションが本体だけど、それが心臓ってわけじゃない。お前とはそもそも造りが違うんだ。概念なんだよ。……何でも自分の基準ではかろうとすると全部燃えるぞ」 ……意味を理解しようとした俺の頑張りが、後半で全部どこかへ行った。急にそんな抽象的な物言いをされても。何だそれ、意味わからん……とは、でも言えなかった。油崎が人混みを、その頭達を貫通してどこかを見ていたから。 油崎はきっとわかっていて、俺にはわからない場所をしっかり見ていた。 それ以上何か言うことができなくて、俺は黙った。ほんとはこのまま油崎が俺に話していないことを聞きだしてやろうと思っていたのに。 カフェ&バー・ヒアシンスの外観は、雰囲気のよさそうなカフェそのものだった。通りから一本横道に入ったビルの一階に収まったカフェの、白いタイルに覆われた外壁に取り付けられた窓から、オレンジに薄暗い店内が見えている。 道中油崎から聞き出せたことと言えば、食事と排泄を必要としないことだけだった。二つだけって。しかもその二つはほぼワンセットなので実質一つだし、大体予想のついていたことだ。飲食店が並ぶエリアで何とか絞り出したその問いだけでここまで来てしまうとは。しかもどういう流れだったか、天野がドーナツ好きなことも話してしまった。ほんとに何でだ。 「早く開けろよ」 扉を前にして止まってしまった俺を油崎が急かす。自分が開ける気はないらしい。お前が紹介されてお前が行くんだろ、と言われれば正論すぎて何も言えなかったが。 カラン、と軽い鐘の音がして木製の扉が開く。店内から涼しい風が緩く吹き付けた。 「いらっしゃいませ」 若干語尾を伸ばした声。店内は十人掛けのL字型のカウンターとボックス席が五つ。カウンター席の奥に男性が一人座っている以外は閑散としている。カウンターの内側で男性が二人グラスを拭いていた。 声はその内、細身の男性の方から発せられたものだったらしい。優しそうな人だ。垂れ目がちな目も、柔らかそうな髪も口元の皴も全てが柔和な印象をもたらしている。この人が中村さんの友人の叔父さんだろうか。 「あ、えと、小竹です。中村さんの紹介で……」 「望美ちゃんのお友達ねー、お待ちしてましたよ、どうぞぉ」 やはり柔らかい語尾でカウンター席を指し示す。俺は浅いお辞儀を繰り返しながらカウンターに向かった。 「あれ、そっちの子は?」 「油崎です。友人です」 さらっと油崎が嘘を吐く。男性はそうなの、と言ってそれ以上気にした風もなく、俺に「もっと真ん中に座ってよ」と笑った。 既に埋まっているL字の先の反対側に座ろうとしていた俺は「あ、じゃあ……」とか何とか言って男性の正面に移動した。 「何か飲む? ご飯も出せるけど……」 「いえ、すみません開店前にそんな」 中村さんから、相手の厚意で開店の少し前に入れるようにしてもらえたと聞いた時は申し訳なさの方が勝った。身内の友人の友人サービス、と訳のわかるようなわからない理由らしい。相談もしてご飯も食べちゃえ、そんでパワーをつけろ、というメッセージと共に「がんばれー」と気の抜けた絵柄のスタンプが送られてきたことを思い出す。 「オレンジジュースで」 しゃあしゃあとメニューをチラ見した油崎が言う。待て、お前食事は必要ないんじゃなかったのか。「お前は」「……俺も同じので」メニューを差し出そうとする油崎を押しとどめる。油崎は声を潜めた。 「必要ないが、食べられないとは言っていない」 「すぐ持ってきますんでねー」 お前、と言いかけたところで、よく日焼けした太い腕がにゅっと伸びて目の前に水が入ったグラスが置かれる。カウンターの中のもう一人だ。かなりガタイがいい。髪も刈られていて、ラグビー等の経験者を思わせる。 水を口に含んだところで細身の方の男性が「じゃあ自己紹介」と拭いていたグラスを置いた。 「あたしは蘭っていいます。ここのママやってますー。それで、こっちの子が」 「鹿でーす」 器用にオレンジジュースを注ぎながらピースをする鹿さん。蘭と鹿、源氏名というやつだろうか。それにしても蘭はともかく鹿とはなかなか、ガタイからはもっとこう肉食獣的な……などと失礼なことを考えてしまう。 「今、鹿っていうより熊だろって思ったでしょ」 「え、いや」 俺の思考を読んだかのようににやりと鹿さんが笑う。大慌てで顔の前で手を振る俺に、蘭さんが「いいのよ、この子の持ちネタだから」と手を柳のように振った。何だかいちいち動作が優雅な人だ。女性的、というか……それに対して鹿さんは少年っぽさがある。少年っていう体格じゃないけど。 「はいお待ちどお」 「ありがとうございます」 「あ、ありがとうございます」 背の高いグラスに入ったオレンジジュースとストローがやって来る。油崎はさらっと礼を言い、早速ストローを出して飲み始めた。早い。 「あんたも自己紹介しなさいな」 ストローの封を切りかけていたところで聞こえた蘭さんの声にびくっとする。こっちからも自己紹介しなきゃだめだったか⁉ そりゃそうか、中村さんの紹介があるとはいえ一応初対面――だが、見上げた先の蘭さんの顔は横を向いていた。俺に言ったんじゃないのか。 ……待てよ。中村さんは、俺に開店前に入れるようにしてもらったと言っていた。俺達が入って来た時、カウンターのL字の短い方に一人男性が座って……。 「何で?」 まさにその方向から、気だるげな声がした。肘をついた男性の姿が見える。スポーツマンっぽい風貌だが、鹿さんほどではない。ジムとかに行ってそうだ。三十代ぐらいだろうか。クルーネックのシャツにグレーのジャケットだから、無意識に客だと思っていた。コーヒーも飲んでるし。 「言ってたじゃない、望美ちゃんのお友達!」 「ああ、そうだったかもなあ」 興味なさそうに返事をして、男性は座ったままこちらを覗き込んだ。「どうも、藤です」 「……どうも」 会釈をすれば、藤さんはまたコーヒーを飲みに戻って行った。……え、どういうこと? 恐らく店員なのに滅茶苦茶普通にコーヒー飲んで……いや、今日はシフトが入ってないとか、そういうことなのかもしれない。 「ごめんね、あいつ、開店してからしか働かない主義とか言って」 シフト自体は入っているらしい。本当にどういうことだ。準備には参加しないってこと? それってどうなんだ? まあでも本人の自由……自由か? L字の短辺側から声がする。 「開店してからが労働時間だから」 「それはあんたのでしょ。その言い方だと準備時間にお金払ってないみたいじゃない。今も鹿ちゃんには給料発生してますー」 小学生の言い合いみたいだ。ごめんねーと俺達に笑う蘭さんにも剣呑な感じはない。藤さんにとって労働前のコーヒーはルーチンもしくは賄いみたいなものなんだろうか。 「じゃあ気を取り直して。デートなのよね?」 蘭さんの目がキラキラしている。最近同じ輝きをどこかで見たことが……と思って、中村さんの目だと思い当たる。カウンターに身を乗り出さんとするところもそっくりだ。恋バナを前にすると、皆こうなってしまうのかもしれない。 デートと言うかなんというか、と口ごもりながら、ちらりと藤さんの方を見る。なぜかはわからないが、藤さんに聞かれると思うと少し恥ずかしい。蘭さんや鹿さんに聞かれるのも気恥ずかしいのだけど、藤さんは何か違う。と、思う。 何でだろう。態度? あんまり優しい感じじゃないから? 違う、もっとこう……。 カラン、と鐘が鳴った。 「ただいま戻りました」 硬く神経質そうな声が背後から投げられる。振り向けば、眼鏡をかけた長身の男性が扉をゆっくり閉めているところだった。手にはビニール袋を持っている。藤さんと似たような服装で、さらにフォーマルな感じだ。シャツは襟付きだし、ジャケットの前も閉じられている。 「ありがとーコンちゃん、お疲れ様ー」 「いえ……――」 蘭さんに返事をした男性は、ぎしりと固まった。俺を見て。 アンダーリムの眼鏡越し、切れ長の目が見開かれている。待って、俺なんかした? あ、開店前なのに部外者がいるから驚いている? いや、でもさっき藤さんに対する蘭さんの態度からして、伝達されていないっていうのはなさそうだけど……。 「何やってんだお前」 隣からとんでもない発言が飛び出した気がして、勢いよく俺は油崎の方を見た。「何やってんだお前」明確に油崎の口が動く。 気のせいじゃなかった。二度も言いやがったこいつ。何やってんだじゃない、お前が何言ってんだ。油崎が普通の人間なら「知り合い?」とか訊くところだが、生憎こいつは人間じゃない。 すみません! と俺が叫ぼうとする直前だった。 「何やってるんですかあなた」 眼鏡の男性が油崎と全く同じトーンで言った。「え、な、何やってるんですかあなた……」やっぱり二度言った。何、そういうルール? 「コンちゃん知り合い?」 俺と同じくクエスチョンマークを頭に浮かべているらしい蘭さんが首を傾げる。 「知り合い……ええ、まあ……」 対するコンちゃん?は歯切れが悪い。「なんだなんだ」藤さんが半笑いで言う。 「お前の同類なのか?」 「……そうですね」 同意して、ふーっと男性は虚空に息を吐いた。何が何だかわからない。油崎に訊こうにも、男性と同じような表情で天井を見ているだけだった。

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