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Trick or treat1

「ぜってえやだ」 スワローがこの上なく不機嫌に断言。 「どうして?きっと楽しいぞ」 ピジョンが辛抱強く説得。 ソファーに頬杖付いて寝そべった弟は、そんな兄をうざったそうに一瞥して煙草の煙を吐き、灰皿を引き寄せ灰を落とす。 「楽しいわけあるか馬鹿、うるさくて汚えガキの相手なんか願い下げだ。ハロウィン仮装パーティー?正気かピジョン、早い話タダ働きじゃねえか。いいかよく聞け俺達は大道芸人か?金持ちのガキの誕生会にゲストで呼ばれて芸見せる愉快なピエロか?違うだろ賞金稼ぎだろーが。何が哀しくて寒いコスプレしてガキのご機嫌とりしなきゃいけねーんだ、子守の手ェたりねーなら他あたれ」 大胆不敵にのたまって兄の顔面に煙を吹きかける。 煙にむせて潤んだ目を瞬き、真正面から罵倒を浴びせられ一度はしおらしくうなだれるも決してへこたれないのがピジョンの美点。 なんたって弟に虐げられてきた年月で精神が鍛えられた。 事の発端は数日前に遡る。 『ハロウィン、ですか?』 『ええ、人手が足りずに悩んでおりましてね』 その日、ピジョンは仕事帰りに教会に立ち寄った。 嘗て修行中に寄宿し、神父を筆頭とした面々に大変世話になった経緯から、彼らとはなまなかならぬ交流がある。 ピジョンは恩義と礼節を重んじる性格だ。 実際居候していた期間は半年ほどだが、神父のことは戦闘のみならず人生の手本としたい良き師と慕っているし、美人どころが多く優しく逞しいシスターたちには憧憬の念を募らせている。 賞金稼ぎとして得た収入の何割かを自発的に教会に寄付しているのは、純粋にここに住む人たちが好きだからだ。 そんな心優しい弟子の援助を今回もまた押し切られて押し頂いた神父は、茶飲み話の成り行きがてら、ハロウィンイベントの進捗を相談した。 私室の窓からはシスターの立ち合いのもと、中庭で遊ぶ子供たちの姿が見渡せる。 教会付属の孤児院に保護されているのは、ミュータントやその混血児が多い。 よその施設が受け入れを渋る被差別階級の落とし子を、この院では積極的にむかえている。 犬耳や猫耳などわかりやすい動物の特徴を持った子もいれば、パッと見なんのミュータントかわからない子もいる。 誤解されやすいが、ミュータントと一口に言っても内実はさまざまだ。 外見に特徴がない潜在的ミュータントも数多く存在する。 大戦中、人間の遺伝子を操作して生物兵器を作りあげた政府の研究機関では|超能力《ESP》の実験もさかんに行われていた。 イルカの超音波を応用したテレパシーや犬の鼻腔細胞を移植した追跡能力の発現などその対象は実に多岐に及び、潜在的ミュータントの多くは大戦中に生み出された超能力者の末裔といわれている。 無邪気な歓声を上げて走り回る子どもたちを愛情深く見守り、神父が呟く。 『ハロウィンといえばクリスマスに引き続き、子どもたちが大変楽しみにしている行事。うちの孤児院でも仮装かくれんぼを開催する予定なのですが、肝心かなめの脅かし役が不足しておりましてね。衣装と小道具は準備万端とりそろえたのですが……なにぶん元気がありあまったお転婆娘とわんぱく坊主の集まりですから、私とシスターだけで相手が務まるか心許ないのですよ』 『募集はかけましたか』 『ええ一応……ご近所に貼り紙はしたのですが』 神父の顔色は冴えない。 気まずげに俯いて一口紅茶を啜り、眼鏡の位置を直す。 『聞いてるでしょう噂は』 『…………』 |ミュータント《人もどき》の稚児を囲い込む物好き神父、フリークスのハーレムを作って悦に入るペド野郎、イレギュラーに施しを与える偽善者。 ここに来る途中、孤児院と教会の敷地を囲む塀に誹謗中傷の落書きを何箇所か目撃した。 ペンキやスプレーで殴り書きされた罵詈雑言の数々、聞くに堪えない差別用語には、強烈な憎悪と悪意が滲んでいた。 のみならず、誰が貼っているか不明なポスターが教会関係者一同を激しく攻撃していたので、ピジョンは神父や子どもたちの目に触れる前にそれらを全部剥ぎ取って捨ててきた。 『誰があんな酷いことを……』 『犯人さがしに意味はありません』 『俺がいた頃だって石が投げ込まれたじゃないですか、アレが子どもたちに当たったらどうするんですか』 『身を挺して庇ってくださいましたね。額を切ってまで……』 『こんなの間違ってる。あの子たちは悪くないのに』 本気で腹を立てる弟子の真っ直ぐさを好ましく思い、神父は不器用に微笑む。 『これでも孤児院ができた頃に比べればだいぶ風当たりが和らいだんですよ。人々の偏見は根強い。劣等感や恐怖に根ざす差別も激しい。人は自分と異質なモノに対し、なかなか寛容になれません』 静かに教え諭す口調は凪いで、諦念か達観か、経験から学んだ不条理への処し方を穏やかに示唆する。 眼鏡の奥の糸目に感情を封じ、謂れなき迫害をも殉教の精神で耐え忍ぶ神父に対し、歯痒さを募らせたピジョンが口を開く。 『だけど』 『だからこそ、お祭りは派手にしたいんです』 肩透かしをくって閉口するピジョンに悪戯っぽくほくそえみ、流暢に続ける。 『子どもたちはハロウィンを本当に楽しみにしています、もちろん私やシスターも例外なく。ハロウィンは子どもだけのお祭りじゃない、大人も楽しんでいい特別な日。万霊節には死者が甦り人の列に加わる、これは非常に示唆的じゃないでしょうか。人と人ならぬものが無礼講で踊り騒いで仲良く羽目を外す……相互理解を促す建前などなくても、私たちが楽しそうにやってればその雰囲気はきっと周囲に伝わるはずです』 うまくいけば、誤解をとくきっかけになるかもしれない。 近隣住民との溝が埋まるかもしれない。 『聖書の一節を諳んじる記憶力は、人の顔と名前を結び付ける努力に回せ。居丈高なお説教を振りかざさずとも、まずは自分が率先して全力で楽しむことです。一段上に立って見下ろしていてはわからない神の御心が、人の輪に加わって初めて浮き彫りになります』 神父にあるまじき発言ですがねと呑気に笑って紅茶を干し、うってかわって思い詰めた様子でへどもどする。 『報酬はその……がんばれば少し……できれば無料で引き受けてくれると嬉しいのですが。都合よいお願いだとわかってます。今月分の食費をギリギリまで切り詰めてそれでなんとか……聖職者は粗食が美徳、一摘まみの塩と水で乗り切ってやりますよハハ……賞金稼ぎの趣味の幅は異様に広いですし、君の仕事仲間に無料で仮装してくれる奇特な性癖の持ち主はいらっしゃいませんか?』 『やります、やらせてください』 回想を終えたピジョンは決意も新たに肘掛けを掴み、ツレない弟にくりかえしせがむ。 「いいじゃないか別に、減るもんじゃなし……年に一度のハロウィンなんだ、子どもたちには楽しんでもらいたい。シスターたちがはりきって企画したんだけど脅かし役の人手が足りなくて……」 尊敬する師の役に立ちたい。 子どもたちの力になりたい。 神父に相談を持ちかけられた時、既に心は決まっていた。 ハロウィンのオバケ役を意気込んで引き受けたピジョンに対し、スワローの目の温度はどんどん低下していく。 「で、案の定ほだされて安請け合いしてきたんだな?」 「それは……悪かったと思ってるよ」 「カーッ」 首が大きく仰け反りまた戻る、煙草で栓をしてなかったら啖か唾でも吐きかけていたかもしれない。 それくらいはらわた煮えくり返ってる。 「ったくてめえのお人好しは病気だな、いい加減頼まれたら嫌とは言えねえ甘ちゃんな性格直せよ、ンな弱腰だから頼めばアナルくらい舐めてくれそうなちょろいのって陰口叩かれんだ」 「なめ……ないよ汚い、何言ってんだ破廉恥だぞ!?」 「んじゃキスは」 「え……それはまあ、事情を聞いてからで」 弟の問題発言に取り乱すも、続いて提示された条件に戸惑いが浮かぶ。 こめかみに青筋立てたスワローが煙草を半ばでへし折り、空想の中で押し切られ検討をはじめるピジョンを怒鳴りとばす。 「だからちょろいって言われんだよこのビッチが!!」 「くちびるの粘膜を接触させないと死ぬ病気かもしれないだろ」 「ンな面白おかしい病気ねーよばーかラブコメの読みすぎだっての」 「先生たちには世話になったし恩返しをするいい機会だ、俺とお前で一肌脱ごうよ」 雑誌をめくってシカトをきめこむ弟の傍らに跪き、両手を立てて小声で耳打ち。 「スワローの。ちょっといいとこ見てみたい」 「泣いて頼んだらアナルぺろぺろしてくれそうな賞金稼ぎ暫定一位は黙ってろよ」 「ありもしないランキング捏造するなよ!!」 「壁ドンしたらフェラしてくれそうな賞金稼ぎ一位のがいいか?」 「ちょっと待て、そんなランキング実在しないよな?陰口叩いてたってのもデマカセだろ、誰が言ってたんだ?劉?劉はそんなことしないよな?」 「さーてどうだか」 スワローが捏造したランキングに踊らされ一喜一憂するピジョン。 そっぽを向いてじらすスワローの上腕を揺すり、自らの名誉にかけた真剣極まりない剣幕で詰め寄る。 「とぼけるなよスワロー、俺の目を見ろ。まさかとは思うけどサシャやスイートまで妙な噂真に受けてないよな、泣いて頼めばアナルもなめる最低野郎だなんて思われてないよな!?」 すがり付くピジョンの爪に、赤い塗料がめりこんでるのを確かめて退屈そうに月刊バウンティハンター最新号を開く。 今月号の巻頭はハロウィン特集が組まれ、ピンクパンサー・スタンがほぼ半裸の雌豹のコスプレを披露していた。 肉球付き手袋を前に出してセクシーに招くポーズがあざと可愛くて癪にさわる。 無言で雑誌を掲げ、豹柄ビキニに包まれた胸元を集中的に透かし見る。 「なあ兄貴、やっぱシリコン入れてねコイツ」 「人の話を聞けよ!!」 ピジョンがキレる。 ちなみにピンクパンサー・スタンが偽乳か否かは兄弟が子どもの頃からしばしば討論してきた議題で、スワローは偽乳派、ピジョンは本物だと夢を見たい派で意見が衝突している。 不名誉甚だしいランキングの存在は一時おいとくとして、スワローの腕に力なく縋ったピジョンが拗ねたように呟く。 「……あんな恥ずかしいことお前以外にやるわけないだろ」 「へえ?」 目の位置から雑誌をずらしたスワローがいやらしく笑い、口が滑ったピジョンが咳払いで話を戻す。 「もう約束しちゃったんだ」 「そりゃテメエの都合だろ、俺は知らねェ。先生とやらにも世話んなった覚えはねえ」 「ガキかよお前は。そんなんだから賞金稼ぎは乱暴で怖い人たちって世間に嫌われるんだ、少しは奉仕活動でイメージアップの努力しろ」 「賞金稼ぎが乱暴で怖いヤツらなのは事実だろーが」 「少なくとも俺はそうじゃないしそうなる予定もない。できればお前にもそうなってほしくない」 「手遅れだ諦めろ」 「思い出作りに貢献しようよ」 「俺がにばんめに嫌いな言葉教えてやる。ボランティアだ」 「いちばんめは?」 「|隣人愛《寝取られ》」 「スワローあのな……」 「オバケのかっこしてガキども脅かして回りゃ満足?仲良しこよしでトリックオアトリートしろってか?賞金稼ぎの仕事は悪党退治、ままごとじゃねえ。今回の件はテメエが俺にだまって勝手に引き受けてきたんだろ」 「シスターにお前のファンがいて会えるの楽しみにしてる、絶対連れてくるって約束したんだ」 「またオンナか」 「そ、それだけじゃない。子どもたちの中にもファンがいるんだ、前にバンチに載ったろ、注目株のルーキーって……アレ見て憧れてる子が」 「で、『よーしピジョンお兄ちゃんがみんな大好き無敵のヒーロースワローくんを引っ張ってくるからね!握手とサインは順番だよ!』って約束しちまったのか」 「子どもの夢壊すなよ頼むよ、俺の顔立てると思って」 「テメエが俺の倅勃てるなら考えてやる」 「昨日も手と口でしてやったろ」 「あんなんじゃ足りねえ」 「どんだけ絶倫だよ……俺の身体のことも考えろ、毎日じゃ腰がもたない」 ヤリたい盛りの弟のわがままにピジョンはほとほと困り果てる。 手を変え品を変え懐柔しようと躍起になるが、成果は芳しくなく徒労感ばかりが募りゆく。 「俺達だって子供の頃はハロウィン楽しみにしてたじゃないか。シーツにくるまってオバケごっこしてさ……母さんのお客にお菓子もらったろ」 「子供だましのキャンディバーで幸せになれる時間は終わったね」 「クローゼットから飛び出してきた時は腰を抜かしたよ」 「ガキは嫌い、教会も嫌い。両方そろって虫唾が走る」 「フルーツポンチにリコリス飴に……シスターたちの手作りクッキーやカップケーキも待ってる」 「テメエが食いたいんじゃねえかヨダレたらしそうな顔しやがって、食べ物に釣られて恥ずかしくねえのか」 居間のソファーをのびのびと占領し、退屈そうにポルノ雑誌を読み耽る弟の嫌味に、ピジョンは哀しげな眉八の字で降参する。 「……わかったよ。一人でいく」 ぴくり、とスワローの耳が動く。 「シスターには急用ができたって言っとく。久しぶりに|先生《ファーザー》とじっくり話したいし……お前が一緒だと落ち着いて話せない、逆に好都合だ」 「待てよピジョン」 「お前のぶんまで楽しんでくる、あとでうらやましがっても知らないぞ。子どもたちはがっかりするだろうけど、まあそこはほら、俺だって一応賞金稼ぎのはしくれだしね。バンチに載ったことすらない影の薄さだけど……」 スワローが顔から雑誌を下ろして呼びかけるも聞いてない。 心ははやハロウィンの夜に飛び、子どもたちに囲まれる空想に占められている。 ピジョンはもともと子供好きだ。 しかも頼まれたら断れないお人好しときてる。 スラムの孤児院で行われるイベントに誘われたら、スワローが難色を示して留守番をきめこもうが、一人でひょいひょい尻軽にでかけてくに決まってる。 しかも、だ。 招待主は十字架の贈り主にしてピジョンの唯一無二の師匠ときてる。 もう現時点で、はりきりすぎて空回りドン滑る醜態が目に浮かぶ。 鈍くさい兄貴に人気取りのような器用なまねができるはずない、せいぜい幼稚な手品を見せて笑われるのがオチだ、最近のガキは目が肥えてやがるのだ、ひっこめへたくそとピーナッツを投げられてべそをかくのが関の山。 そこに満を持してあらわれた神父がなにを言うか…… 優しくされたらホイホイ付いてく、股の緩さは母さん譲りだ。 「衣装はあっちで用意してくれるみたいだけど、子どもたちが楽しめる余興を考えなきゃね……手品はどうだろ、屋上の鳩小屋から一匹借りてさ。大人しくシルクハットに入ってくれるかな……中で糞したら厄介だぞ、なかなか落ちないんだ。閃いた、スリングショット!アレならイケるぞ、百発百中の腕前……は言い過ぎだけど九割九分九厘当たるし、ウィリアムテルやロビンフッドになって林檎を撃ちおとせばみんな大喜びだ!サインねだられたら困るな、考えてないのに……」 ほら当たった。スワローは天を仰ぐ。 ピジョンは初の晴れ舞台に浮き立ち、「Pの丸の部分を翼にしたら……」と、まだ求められてもないへたくそなサインをナプキンの裏にぐるぐる練習しだす。 孤児院に慰問? 冗談じゃねえ。 ボランティア? ぞっとする。 ハロウィンの催しとやらには全く乗り気になれないが、ピジョン一人で行かせるのは大いに不安だ。 俺が一番嫌いな言葉は|隣人愛《寝取られ》だ。 「…………だーーーーーーーーーっもーーーー!!」 癇癪をおこして雑誌を放り投げたスワローが、憤懣やるかたなく頭をかきむしってソファーに胡坐をかく。 「貸しだかんなピジョン」 10月31日はハロウィンだ。 キリスト教の諸聖人に祈りを捧げる祝日「万聖節」の前夜祭として行われるヨーロッパ発祥の祭りであり、秋の収穫を祝い、先祖の霊を迎えるとともに悪霊を祓う意味もある。 キリスト教圏では期間中この世に戻ってくる死者の霊を慰める礼典を執り行うが、時代を経て巷間に定着すると同時に宗教色は薄れ、賑やかに仮装を愉しむ行事と認識されるようになった。 思い思いの怪物に扮した子どもたちがバスケットをさげて家々を行進する微笑ましい光景は、アンデッドエンドでも健在だ。 この街の住人は老若男女問わず羽目を外すのが好きなのだ。 否、正確には羽目を外す口実をもらえるイベントが好きなのかもしれない。 それはここ、スラム街でも例外ではない。 「遅れてすいません先生!」 「お待ちしてました、よく来てくれましたねピジョン君!」 門前でそわそわ到着を待っていた神父がピジョンを歓迎、職員の私室がある別棟へ通される。 途中すれちがったシスターたちと挨拶するが、皆おもいおもいのメイクで怪物に化けていた。 ホッケーマスクや麻袋を被り、血糊をぶちまけたハリボテチェーンソーをさげた猛者もいる。 「本格的ですね……」 「子どもたちより気合入ってると評判です」 「異様にノリがいいですよね、ここの人」 「概要のおさらいは?」 「説明受けたんで大丈夫です、安心してください。えーと……好きなオバケのかっこして子どもたちから逃げればいいんですよね?捕まったらゲームオーバー即アウト、お菓子をあげる」 「追いかけっことかくれんぼの合体技です。フィールドは建物の内外含む敷地内、逃げ隠れはOKですが脅かし役の暴力はダメ絶対」 「子どもたちの手出しは……」 「やりすぎ厳禁とよく言い聞かせましたのでご安心を」 「よかったあ」 安堵に胸なでおろすピジョンに微笑みかけた神父が、ふと懸念の色を浮かべる。 「話では弟くんもご一緒とのことでしたが、姿が見当たりませんね」 ピジョンが固まる。 「実は遅刻を……」 「なんと」 「大丈夫です、はじまる前に必ず間に合わせますから!場所はほらメモに地図書いて口うるさく叩きこんだし……」 ていうか、一度きたことあるし。 下宿中、ふらりとスワローが訪ねてきたことを思い出す。 アイツときたらどんな抜け道を使ったのか、シスターをたぶらかし手引きさせたのか、ちゃっかりピジョンの目の前にあらわれて心臓が止まった。 『てめえと仲良く神父さまにお礼参り?冗談キツいなオイ』 一緒に行こうと誘うも突っぱねられ、仕方なく一人で来たのだが…… 「どうしてアイツ、先生に会うの避けてるんだろ」 どうしてもそうとしか思えない。 内心困惑するピジョンと並んで歩き、神父が鷹揚に首肯。 「多少遅れても問題ありません、途中参加も大歓迎です。もし不都合で来れなくても、ピジョン君がいてくれればなんとかなります」 「先生は何の仮装するんですか?」 「見てのお楽しみ、ということで」 唇の前に人さし指を立てる。相当自信があるようだ。 もし滑っても驚いてあげなきゃ……とピジョンは心に決める。 「この部屋です。私は教会にいますので、着替え終わったら呼んでください」 「わかりました」 「期待してますよ」 「はは……」 スキップせんばかりに上機嫌に去っていく神父を転ばないか心配げに見送り、見届けてからドアを開ける。 着替え用の控室は簡素な造りで、クローゼットとドレッサー、机と椅子以外に殆ど調度がない。 殺風景な室内を見まわし、ウォールナットのクローゼットを開ける。 「わ、すごい、いろいろある」 観音開きの扉を開け放ち、中を覗き込んで驚く。 カーテンレールに連なるハンガーには、様々な衣装が掛けられ今か今かと出番を待っている。 好奇心の赴くまま手あたり次第に引っ張り出しては掛け直し、ピジョンは歓声を上げる。 「ミニスカメイド服、プリンセスラインの赤ドレス、マーメイドラインの青ドレス、真っ白なウェディングドレス……ちょっと待て、ドレスの占有率高すぎるぞ誰の趣味?こっちはヴィクトリア朝風ロング丈メイド服、天使の羽根付き全身白タイツ……キツいな……緑の全身タイツはピーターパン?これならギリギリ……あ」 髑髏のマークを染め抜いた漆黒の海賊帽子を発見、すかさず手にとって被る。 フック付きの義手もあったので、ためしに嵌めて振ってみる。 「フック船長かな」 扉の内側に固定された鏡を見て半回転、鉤爪の先端で帽子の庇を上げてドヤるも、くたびれたモッズコートのまんまじゃ様にならない。 現実に立ち返って羞恥し、そそくさと衣装選びにもどる。 「できるだけ無難で無個性なのがいいな……スワローと並んだらどうせかすむし……引き立て役はなれてるけどさ」 などと気弱なセリフを吐いて、ハンガーを出し入れしていた手が止まる。 それは漆黒を基調にした典雅なカソック。 神父が着ていたモノとデザインはほぼ同じだが、付属の小物が面白い。ガンベルトを兼用する革製のポーチには、太い木の杭がさしてある。 「ヴァンパイアハンターか」 イロモノぞろいのコスチュームの中では比較的無難、この格好なら出歩いても目立たない。 ピジョンは誘われるがまま、カソックに手を伸ばす。 モッズコートを脱いで掛け、上着とズボンも脱ぐ。 なめらかな生地の感触と樟脳の匂いに陶然とし、やや緊張の面持ちで袖を通し、渋い色合いのガンベルトを腰に締める。 仕上げに師からもらった銀十字を胸元にたらし、姿見で確認。 「……なかなかいいんじゃないか?」 襟を立て首元を隠し、髪を撫で付け自賛する。 露出が少なく禁欲的なイメージのカソックは、もとから誂えたようにピジョンによく似合った。 肩幅が少し角張った独特のシルエットの上からケープを羽織れば、さながら神の教えを尊ぶ、初々しい新米神父の風情。 本人が劣等感をおぼえるところの青臭さや生真面目さが、伝道者に欠くことできない清廉潔白な美質を引き立てる。 古典的なカソックと細腰を強調する鞣し革のガンベルトの組み合わせが、絶妙な遊び心を利かせるのも憎い演出。 「よし」 襟元を正し、両手に十字架と杭を構える。 気分は無敵のヴァンパイアハンター、きりりと顔を引き締める。 コンコンと音が響く。 慌てて振り返れば、堂々と遅刻まかりこした弟が窓をノックしている。 「遅いぞスワロー、寄り道してたな」 「ファッションショーはおしめえか」 「……全部見てた?」 「いいこと教えてやる、フック船長は左利きだ」 窓を開けて弟をむかえいれる。 スワローは礼も言わず桟を跨ぎ越すや、恥ずかしさに「あ゛あ゛あ゛あ゛」と悶える兄を素通り、クローゼットに手を突っ込んで中身を漁りはじめる。 「ここのシスター結構イケてんじゃねえか、美人ぞろいだ」 「……まさかとは思うけど物陰に引っ張りこんで一発ヤッてないよな、相手はシスターだぞ。いや、フツーにだれでもダメだけど……シスターのナンパ目的で別行動とか愛想が尽きるぞ」 兄の心弟知らず、ご機嫌に口笛ふきながら衣装を選ぶスワロー。 話を持ちかけた時は渋ってたくせに、よりどりみどりのコスチュームを前にしてテンションが上がったらしい。 ピジョンよりよっぽどうきうきと楽しげにハンガーを出し入れし、気に入らなければあっさり投げ捨て、次から次へと服の上からあてがっていく。 「散らかすな、片付けろ」 「きめた」 スワローの足元にちらばった衣類を腕一杯に拾い集めて片してるうちに、当人の着替えは終わった。 振り向いたピジョンの目に映ったのは…… 整髪料でオールバックに撫で付けたイエローゴールドの髪は眩いまでに輝き、くすんだ血色の眸を嵌めこんだ彫り深く端正な美貌が一際冴える。 口の端からは長く太い一対の牙が生え、貴族風のドレスシャツに織り込まれたドレープもエレガンスに、長身と釣り合いがとれた四肢に柔靭な筋肉を備えたスタイルのよさを惜しげもなくアピール。 仕上げに裏地が赤い漆黒のマントを羽織れば、そこにいたのはえもいわれぬ吸血鬼の貴公子。 伯爵の冠位に封ぜられ永い歳月を閲した風格すら帯びて、ミステリアスに微笑む。 「どうだよ、ご感想は」 ……負けた。 完敗だ。 中身はスワローなのに、うっかり見とれてしまった。 蠱惑の美貌を誇る若き吸血鬼は、鋭く尖った牙を光らせてぼやく。 「動き辛ェな、失敗だったか」 「石ころになって出直せよ」 「ンだよ、俺様がなに着ても似合っちまうのがしかたねーだろ。惚れ直したよ、くらい言えねーのかよ」 どうあがいても自分は弟の引き立て役になる運命なのだと諦念、隅っこでいじける。 コイツ、わざわざ俺に当て付けて……いやがらせの手がこみすぎて笑えない。 背中を向けてうずくまるピジョンに、颯爽とマントをさばいてスワローがにじりよる。 足音で接近に気付いても頑として壁とにらめっこを続ければ、後ろ襟を指で押し広げ、暴きたてたうなじに吐息を吹きこむ。 「!ッあ、」 「俺にその固くてデカくてぶっといの刺してくんねーの、ハンターさん?」 悪ふざけは大概にしろ、神聖な教会だぞと怒鳴ろうとした瞬間― 「「トリックオアトリート!!」」 「うわ!!?」 開け放たれた窓からワッと怪物の大群が乗りこむ。 銀紙でくるんだティアラを冠したお姫様にハリボテの剣を携えた騎士、段ボール箱をクレヨンで塗った怪獣、背中に翅を広げた妖精にお星さまのステッキを振る魔女…… はては真っ白いカーテンをかぶってひきずるオバケまで、個性的な仮装に身を窶した子どもたちが殺到してくる。 「お菓子くれなきゃイタズラするぞ!」 「するぞするぞ!」 「窓開いてたのがいけないんだよ!」 「そうだそうだよ!」 「センテヒッショー、ユダンタイテキ!」 「鍵かけ忘れたな駄バト!!」 「お前が窓からくるのが悪い!!」 一斉に群がる子どもたちを寸手で躱し、仲良く喧嘩しながら部屋をとびだし廊下を逃げる。 ピジョンは必死に頭を働かせる。先生はたしか教会で待ってるって言ってたっけ、ここは別棟だから…… 「わっ!?」 足元で何かが爆ぜ、ぼふっと白い噴煙が舞い広がる。 「惜しいハズレ、もうちょっとだったのに!」 「~~~クソガキてめえっ、飛び道具は卑怯だぞ!」 「ロビンお手製の小麦粉爆弾、まだまだあるぞくらえー!」 子どもたちが笑いながら次々爆弾を投擲、ひた走る廊下に濛々と粉煙が充満する。 真っ白い煙幕を突っ切り、粉まみれになって駆けながら、ピジョンは別れ際の師ののほほんとした笑顔を回想する。 「やりすぎは禁物って、コレはやりすぎじゃないんですか先生!?」 「待てー」 「捕まえろー」 「吸血鬼にはニンニク爆弾がいいんじゃない?」 「厨房にあったっけ」 「まかせろ、とってくる!」 ……遥か後方で空恐ろしい会話が交わされる。 年に一度のハロウィンでテンションが振り切れて大はしゃぎの子どもたちは、時に先回りして待ち伏せ、時にニンニク爆弾をぶん投げ、抜群のチームワークで吸血鬼とハンターの凸凹コンビを追い詰めていく。 「なんとかしろよヴァンパイアハンター、その杭は飾り物か!?」 「飾り物だよ悪かったな、そっちこそ牙は差し歯か!?」 「そうだよ悪かったな!!」 不毛な罵り合いをくり広げながらもスピードは落とさず角を曲がれば、後方の部屋のドアがおもむろに開く。 「ぎゃーーーーっでたーーーーー!?」 足を前後に蹴り出しがてら振り向いたピジョンは、ホッケーマスクを装着した変質者に、ちび騎士が襲われる現場を目撃する。 「大丈夫シスターだ問題ない!」 ギャリギャリギャリギャリとチェーンソーの稼働音を口まねする変質者改めシスターに「もうおねしょしません許してー!」「トイレ掃除サボりませんー!」と泣き喚き命乞いする子どもたち。 そこへ隣のドアが開き、麻袋をすっぽり被った二人目が「悪い子はいねがあ゛あ゛あ゛あ゛ッ゛」と巻き舌でシャウトするや追っ手が何人か白目を剥く。 「シスターも楽しみにしてるってストレス発散的な意味……?」 おもわず真顔になるピジョン。 背後で巻き起こる阿鼻叫喚の地獄絵図は見ないふりをし、別棟と外廊で繋がった孤児院へ駆け込む。 「フィールドは建物の内外問わずって言ってた!」 「こっちは手薄だな!」 シスターたちが捨て身の演技でちびっこギャングを足止めしてくれてるあいだにまんまと移動、板張りの廊下をまっしぐらに駆け抜けた先、一番奥の大部屋へ縺れあってとびこむ。 スワローが扉を叩き閉める音を聞き、質素なパイプベッドが等間隔に並んだ室内を見まわす。 目の前に広がるのは標準的な孤児院の光景だ。 隅の箱にはオモチャが片付けられ、本棚には絵本や児童書が詰めこまれている。 「えーと……ベッドの下、は無理か。カーテンの裏はすぐ見付かる、オモチャ箱はいっぱい、床下……ダメだ剥がしたらもどさなきゃ」 「なんで飛び込んだんだ行き止まりだろーが!」 「なんで付いてきたんだお手上げだよ!」 すっかりパニックになったピジョンを見るに見かね、肘を掴んで引っ張っていくスワロー。 目指す先は隅に鎮座まします巨大なクローゼット。 「入れ」 カーテンレールには外套などの外出着が大量に吊られている。目くらましにはちょうどいい。ピジョンを突き飛ばし先に入れ、続いてスワローが上がりこむ。 最後に扉を閉じ、外套が顔や体を擦るこそばゆさに堪えて蹲る。 「うぅ……暗い……」 「ガマンしろ」 弱音をこぼす兄を小声で叱り、面白がって中を見回す。 「割と余裕あんな」 大部屋の子どもたち全員分の外套を収納しているせいか、クローゼットの中は案外広く、大人ふたり入っても動ける。 ピジョンが扉の裏面に耳を付け、不安げにひとりごちる。 「じっとしてればバレない、か?」 騒々しい足音が襲来、ドタドタとこっちへやってくる。ピジョンは固唾を飲んで気配を殺し、スワローは兄をマントで包んで覆い被さる。 傍目には吸血鬼がハンターを取りこんだと誤解されかねない光景だ。 ドアが爆発せんばかりの勢いで開け放たれ、大部屋にちびっこたちがなだれこむ。 ボフッ、ボフッと柔らかいモノがへこむ音が連続するのは、騎士がシーツや枕にハリボテの剣を突き刺しているのだろうか。 「いたか?」 「いないぞ」 「こっちもいないよー」 「ばーか、あんな図体でっけえオトナがおもちゃ箱なんかに隠れられるか」 「わかんないでしょ、吸血鬼はコウモリに化けられるんだよ」 「カーテンの裏にもいなーい」 「床板剥がしたら先生に怒られるかなあ……」 子どもたちが部屋の前で散開、好き放題に捜索をおっぱじめる。 がちゃがちゃオモチャ箱をひっくり返す音、ぼふぼふ枕に剣を突き刺す音、かりかり床板をひっかく音…… 「別のとこ行ったんじゃない?」 「隠れてるんだよきっと」 「屋根裏が怪しいぜ」 「びょんびょんしちゃいけないんだよ、先生に怒られるよ」 当初こそ真面目にさがしていたが、すぐ見付からないとなるや早々に飽き始め、ベッドでトランポリンしはじめる始末。 「自由すぎる……」 あきれるピジョンのうなじに痛みが走る。 片腕を上げてマントをたらし、その中にピジョンを抱きこんだスワローが、カソックを指で寛げた首筋に軽く歯を立てる。 「お前、何」 「なにって、吸血鬼のお仕事だよ」 まさか。 表には子どもたちがいる。俺たちはクローゼットに隠れている。 絶対バレちゃいけないこの状況で、発情してるのか? 窮屈な姿勢から身をよじり、辛うじて見上げる。 イエローゴールドの髪を後ろに撫で付け、形良い額をだした貴公子が、ノーブルに整った顔立ちに退廃の華やぎを添える、妖しく艶めかしい笑みをひと刷け。 「血ィ吸わせろ」 吐息にのせた甘い囁きと共にカソックの前に回った手が、襟の隙間へすべりこんだ。

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