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第32話
引き留めたら残ってくれるだろう。
でも、僕が引き留めないことを和人は知ってる。
僕が桐生を選ぶことを知っている。
そう、思ってる。
「もっと甘えていいんだよ」
和人が手を回して抱き締める。甘い香りはしない。
αの香りはしない。
僕にもう興味は無くなったってことかな。
こんなに近くにいるのに、香がしないのは不安になる。
僕は魅了的ではないってことだろう。
もう、求めていないってことだろう。
「このまま寝るの?」
硬い床は冷たい。熱くなりそうな身体を冷ましてくれる。
「ねた、ら、連れて、って」
僕が寝るまででいい。
それだけでいいから。
明日も仕事がある。和人は僕が仕事に行っている間に帰るだろう。
そして、もう来ないかもしれない。
「ひなた。新しい店は日本で開くよ。ひなたが選んで」
日本。そんな遠く。
桐生の仕事は手伝えなくなる。
「今度はひなたが決断するんだ」
和人は強く抱きしめて髪に口づけをした。甘い香りがほんの少し香った気がした。
目が覚めると相変わらず和人はベッドにいない。
いつものことだけど、ばんばんとベッドを叩いた。ベッドの横にあったはずの布団が無くなっている。
「和人?」
声をかけても返事がない。
起き上がってリビングに行っても人の気配がない。
ローテーブルの上には甘い香りのチーズリゾットとトロトロのオムレツがラップをかけて置いてあった。
「和人?」
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