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第36話

 今日の分の抑制剤は飲んだ。だけど、予備として持っている錠剤はもう飲むことができない。スマホも使えないから和人にも桐生にも連絡を取ることができない。  偶然でも和人が通りかかってくれたらいいのに。  もう夕方になろうとしている。和人が今日部屋に帰って来るかも分からない。  こんな繁華街のアパートだと人も多くて見過ごすかもしれない。  周りを見渡して電話ボックスを探す。反対側の通りに見つけて、電話番号を覚えていた会社に電話をかけた。  しかし、桐生は出張で連絡が取れなかった。仕方なく、もし連絡があればスマホが壊れたことを伝えてほしいとお願いした。  運がない。  せっかくここまできたのに。  ため息をこぼして見回すが、どれが和人のアパートなのか全く分からない。  もう少し、もう少し……。  ゆっくりと時間が過ぎて、雨はひどくなる一方だ。傘からの雫でスーツのジャケットの肩は濡れて、ワイシャツが肌に張り付く。  革靴の中もぐっしょりだ。  連絡してから来ればよかった。  時計を見ると夜の8時近い。  今夜はホテルにでも泊まって明日帰ろう。  運命の番でも引き合うことは叶わなかったのだろう。  和人はいつも笑っていた。感情表現の下手な僕の気持ちを汲み取ってくれた。  桐生をずっと追いかけて、それだけに縋っていた僕を引っ張り上げて感情を与えてくれた。  桐生じゃないと、運命の番が桐生じゃないと教えてくれた。  僕に甘えていいと言ってくれた。  もう、流されて甘えていいと言ってくれた。  こんな僕を愛したいと言ってくれた。 「和人……」  呟いて唇を噛み締める。  時間も遅くなって雨もひどくて人通りも少なくなった。  そろそろホテルを探して鍵を閉めないと抑制剤が切れる。  もう、抑制剤もない。  このまま切れてしまったら、発情期が近いからフェロモンは溢れ出してしまう。  Ωの甘い香りが溢れて、襲われるかもしれない。  傘の柄を握りしめる。  もう少しだけ。

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