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嫉妬✦side秋人✦ 2
「秋人、本気か?」
「本気です」
「やっぱり無理だろう。やめとけ」
「大丈夫ですよ」
テレビ局の中を榊さんと並んで歩く。目指すは蓮がドラマ撮影をしているGスタジオ。
「だって。まるで見に行けって言われてるみたいに早く終わっちゃったし……」
今日に限って蓮と同じテレビ局の仕事。バラエティの撮影が巻きで終わった。どうにも気になって美月さんに確認すると、もう少しでキスシーンの撮影だという。
そんなん、行くだろ。
「絶対顔に出すなよ? フォローできないぞ」
「分かってます。仮面被りますよ。完璧に」
「……本当か?」
「どうですか? これ」
めちゃくちゃ笑顔を貼り付けた顔を榊さんに向ける。
蓮と出会うまではこれが普通だった。こんなのチョロい。
「……はがすなよ、絶対」
「絶対大丈夫です」
不安そうな榊さんにめいっぱい笑って見せた。
ポーカーフェイスは得意だ。ちょっとくらいの嫉妬なんか隠してみせる。
エレベーターを降りると、Gスタジオの前で美月さんが手を振ってくる。見に行くと連絡した俺を親切に待っていてくれた。
「美月さん、わざわざすみません」
「いいのよ。撮影中は私も見てるだけだし。もう少しで本番よ。ちょうどいいタイミング」
俺にとって、それはちょうどいいタイミングだったのか悪かったのか……。
見れば後悔しそうだし、見なければモヤモヤしそうだし、どちらがよかったのか分からない。
榊さんが「すみませんご迷惑を……」と頭を下げると、「全然ですよ〜」という美月さんの明るい返事。
美月さんの案内でスタジオに入ると、大学サークルの部室が再現されたセットが広がり、カメラやマイク、そしてスタッフが大勢囲んでいた。
セットの中では、蓮と主演女優が並んで窓辺に寄りかかっている。たしか……そう、雪村さん。まだ十代だったはずだ。
まさに本番前のようで、スタッフがメイクや髪の毛を整えている。
そうされながら、二人が仲が良さそうに笑顔で会話をしてた。
……うん。大丈夫。意外と冷静に見ていられそう。
俺たちは目立たないようスタジオの端に寄る。
そっと入ってきた俺たちに気を留める人は誰もいなかった。
「秋人くんが来ること、蓮くんには伝えてないの。変に緊張するかなって思って」
俺たちにだけ聞こえるように美月さんが言った。
うん、そうだよな。絶対そのほうがいい。
「あ、始まるわよ」
スタジオ内に「アクション!」のかけ声が響き、撮影がスタートした。
その瞬間、俺の中で感情があふれ出た。……こんなの、嫉妬するなってほうが無理だ。
愛おしさがあふれた熱い瞳を、まっすぐ雪村さんに向ける蓮。あれは俺に愛をささやくときの瞳だ。俺が毎日骨抜きにされる蓮の瞳。
雪村さんは今売り出し中の若手女優で、このドラマが初主演だという。それであんな瞳で見つめられたら……どうなる?
蓮を見つめる女優の瞳も熱い。あれは演技なのか? あの子……そんなに演技が上手いのか?
女優の頬を両手で優しく包み込み、そっと親指で撫でる。
蓮の切なげな声が、空気を震わせるように響いた。
「あいつのことは忘れろ。もう俺だけを見ろって。……な?」
「そ……そんな……都合のいいこと、できない……」
「……そっか。分かった」
「…………」
「なら俺が無理やり手に入れるから。嫌だったら、殴れよ?」
「え……?」
雪村さんの頬を親指で撫で、蓮はゆっくりと顔を近づけた。
瞳をゆらしながら蓮に見惚れる雪村さんの頬が染まり、二人の唇がゆっくりと重なった。
雪村さんの震える手が蓮の服をぎゅっと握る。
唇が離れるまで、ものすごく長く感じた。まだかよ……と胸がジリジリしてきたとき、やっと離れて二人が見つめ合った。
やっと終わった。唇を合わせるだけの軽いキスだった。よかった……と胸を撫で下ろす。
撫で下ろしたのに……。
「……ん…………」
ふたたび二人の唇が合わさった。
まるで舌を絡めているかのような深いキス。濡れた音がここまで聞こえてきそうだった。
台本どおりなんだろうとは分かっていても、ホッとしたあとのこのキスは胸がえぐられた。
「大丈夫か……秋人」
「…………はい」
榊さんに返事をするのもやっとだっだ。少しも大丈夫じゃない。心が悲鳴をあげ、ギリッと奥歯を噛みしめた。
監督のカットの声が響き渡った。
ゆっくりと唇を離した二人が、照れくさそうに笑う。
雪村さんの瞳は、少しも熱が消えていかない。
それはそうだろう。蓮の瞳がいつまでも愛を伝え続けてる。カットがかかっても愛おしそうに雪村さんを見つめてる。
いや……二人で見つめ合っている。
なんだよ……あれ。
「秋人、もう時間だ。行くぞ。美月さん、ありがとうございました」
「あ、はい。お疲れ様でしたっ」
榊さんが俺の背中をグイグイ押してスタジオの出口に向かう。
もう時間って……今日はもう帰るだけなのに。
そう思ったとき、視界がゆがんだ。そうなってから気が付く。ああ……仮面が剥がれたのかと。
榊さんに頭を上から押さえつけられ、うつむきながらスタジオを出た。
エレベーターではなく階段へのドアを開き、榊さんは俺を押し込んだ。
ガチャンとドアが閉まると、シンと静まり返る空気。横から深く息をつく榊さんから冷気が漂ってくる。
「どこが絶対大丈夫なんだ」
「……す……すみませ……」
「だから無理だと言ったんだ」
「……すみ……ません……」
「……まあ、誰にも気づかれなかったとは思うが。しかし……あれはないな。何をやってるんだ蓮くんは……」
「あ……あれはその……っ」
榊さんに誤解された。されてもおかしくない。あれじゃまるで本当に好き合ってる二人だ。
慌てて誤解を解こうと開きかけた口を、榊さんにさえぎられた。
「あれじゃダメだ。そのうち誤解されるぞ」
「え、……え?」
「秋人を想像して演じてるんだろ」
榊さんの洞察力に唖然とさせられた。
「経験を参考に演技するのはよくあることだから別にいい。でも、蓮くんは切り替えができてない。あれじゃダメだ。リスクが大きすぎる。……お前、泣いてる場合じゃないぞ。あれはなんとかしないと」
「……はい」
榊さんに『俺を想像して演じてる』と言いきられてひどくホッとした。ホッとした自分に気づいて分かった。
本当は、ちょっとだけ疑いそうになったんだ。そんなわけはないのに信じきれなかった。だってあれはどう見ても好き合ってる二人だ。
雪村さんは間違いなく蓮が好きだろ。そりゃ、あんな愛おしそうに見つめられたらイチコロだ……。
榊さんに心配されながらなんとか帰宅した。
何もする気力が出ない。シャワーを浴びて頭を冷やしても何も変わらない。見つめ合う二人が頭から離れない。
帰りの遅い蓮を待ちながら、無気力にソファにうずくまる。食欲もわかない。もう何もしたくない。
明日が休みでよかった……。
ベッドに入っても眠れなかった。眠れるわけがない。
蓮がまたあんな瞳で雪村さんを見ているのかと思うと、嫉妬で胸が押しつぶされる。
あれは俺だけの瞳だ……。俺だけに向けろよ……蓮のバカ……。
眠れないまま日付が変わり、蓮の帰宅した音が聞こえてくる。
途端に胸がモヤった。まるで浮気した夫の帰宅に反応してるみたいな自分に、激しく自己嫌悪におちいる。
寝室のドアが開いてとっさに寝たふりをすると、静かにドアが閉まり、足音が去って行った。
蓮がシャワーと寝る準備を済ませて戻ってくるまで、俺は頭を整理した。このままじゃダメなんだ。なんとかさせないと。
蓮のためにも……俺のためにも。
ふたたびドアが開き、蓮がそっとベッドにもぐってくる。
いつものように腕枕をしようとする蓮に、俺は言い放った。
「さわるな」
「っえ? あ、起きてた? え、なんか怒ってる?」
蓮に背中を向けたまま、頭から布団を被る。
「お前、今日のあれ何? 雪村さんのことが好きになった? 俺と別れる?」
「……は、え、何……なんのこと? ていうか……え、別れるって何っ?」
「今日見に行ったんだよキスシーンの撮影」
「え、え、そうだったの? え、ねえ別れるって何っ?」
「カットかかっても二人で見つめ合ってさ。もういつ熱愛発覚ってニュースになってもおかしくねぇじゃん」
「え、見つめ合ってないよ!」
「は? 自覚ねぇの? 雪村さんが愛おしいって瞳で見つめてたろ。雪村さんもさ。もう完全にお前に惚れてるぞ」
「見つめてない! 秋さんだと思って演技してるだけで、雪村さんを愛おしいなんて思ってないよ! 思うわけないじゃん! ねぇ秋さん!」
肩をグイッと引かれたその手を払いのけ「うるせぇなっ!」と俺は叫んだ。
上半身を起こし蓮を振り返って睨みつける。
「分かるか?! 俺も榊さんもそう見えたんだよっ。なら、あそこにいた大勢のスタッフの目にもそう見えてるってことだぞ?!」
「……っ」
「もう明日には熱愛発覚ってニュースになるかもな。そうなったらお前、カメラマンに追われるな。俺たち、もう一緒に住むどころじゃねぇな」
「そ……っ」
蓮は、思いもよらなかったという顔で青ざめていく。
「俺だってな。お前が俺だけを好きじゃないならもう一緒にいたくねぇよ。もしそうなら俺はお前と別れる」
蓮が驚愕の表情で、これでもかというほど目を見開いた。
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