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#3「あのこと」 ①
七月下旬。
この時期になるとどの授業も締め括りの段階に入り、期末試験・レポート提出などに追われる毎日だ。だがこれが全て終われば夏期休暇に突入する。大学の夏期休暇は課題も出ないので、やりたいことをやるにはうってつけの期間だ。
大学生の夏季休暇といえば旅行やキャンプなどの娯楽はもちろんのこと、バイトやサークル活動…いろいろあるが、俺には休暇に入る前に、どうしても解決させたい心残りな事があった。
『遥さん、お久し振りです。泉です。突然連絡してごめんなさい。
話したいことがあるので、明日の昼休みにロビーで待ち合わせできませんか?
急なお願いで本当に申し訳ないですが、ぜひ来てくれると嬉しいです。』
スマホに打ち込んだ文章を何回も読み返す。えらくかしこまった文章になってしまったが、気さくなノリで連絡することはできない。
五月に俺と雨宮の関係を目撃されて以来、遥ちゃんとは一切会話が出来ていない。当たり前だ。あんなところを見られてしまっては、もうまともに関わることは出来ないだろう。
それでも、このまま風化させてしまうのはいけない気がしていた。もうあれから二ヶ月近く経ってしまったが、長期休暇に入る前にどうしても俺の方から彼女に謝罪をしたかった。
許されるとは思っていないし、また仲良くしてください、なんて都合のいい事を言うつもりもない。
もしかすると、話し合いすら拒絶されてしまうかもしれない。
そうなった時は彼女の意思を尊重するが、悪い事をしたのにそれを無かった事にしようとするのは気分が悪い。
あの時のことをしっかり謝り、少しでも互いの蟠りが解消されればいいのだが…。そう思いながら、メッセージの送信ボタンを押した。
◆
次の日。
結局、あれから遥ちゃんからの連絡はなかった。既読も付いていない。もしかすると既にブロックされていて、遥ちゃんの方にはメッセージが表示されていないのかもしれない…。
今日は火曜日だ。五月までは遥ちゃんと一緒に受けていたこの授業も最終日。この授業は期末試験はなく期末レポートの提出のみなので幾分か気が楽だが、なんせ授業よりも遥ちゃんのことが気がかりで仕方がない。
教室に入り、辺りを見回す。前方の席に女友達と座り、楽しそうに会話をしている遥ちゃんの後ろ姿を見つけた。俺はそこから遠く離れた、一番後ろの席に座った。遥ちゃんのことは気になるが、こちらから接近する勇気は無い。
授業開始五分前、教室に入って来た黒いコートの男。雨宮だ。こちらを見るや否や、一直線に向かって来た。
「おはよ」
いつものように軽く挨拶を済ませ、断りなく俺の隣に座る雨宮。
元はと言えば遥ちゃんを傷つけてしまったのはこいつが元凶で、こいつがまず最初に遥ちゃんに謝らないといけないんじゃないかとは思うが…。
「どうしたの? なんか今日元気ないじゃん。もしかしてレポート忘れちゃったとか?」
「いや、持って来た…」
「じゃあどうしたの? ほんとに元気なさそうだけど。僕が元気付けてあげよっか? 今日の放課後」
「うるさいな。すぐそういう話に持ってくなよ」
「そういう話って何のこと? 元気付けるとだけしか言ってないんだけど。どんな想像してたの? 変態泉くん」
「うるせーうるせー。黙れマジで…」
こんなやつが人に誠意をもって謝罪ができるとは到底思えない。遥ちゃんと顔を合わせたって、相手の気分を害すだけだ。
◆
午前の授業が終わり、昼休みに入った。
「ねえねえ泉くん」
荷物を片している最中の俺に、雨宮が話しかけてきた。
「今日の放課後、本当に泉くんち行ってもいい? 用事とか無ければ」
「…好きにしろ」
本当は断りたかったが、一刻も早くロビーに向かいたいが為に、雨宮と顔をあわせることもなく適当に返事をしてその場を去った。
遥ちゃんは、俺からのメッセージを見てくれているだろうか…。スマホを見てみると、一件の通知が入っていた。
棟の一階のロビー。この広めのロビーには椅子やテーブルが数台設置されており、数名の生徒が座って談笑をしていた。
周りを見わたすと、窓に面したカウンター席に座った見覚えのある後ろ姿を見つけ、急ぎ足でその場に駆け寄った。
「遥ちゃん。ごめん、待たせちゃって」
遥ちゃんがこちらを振り返り、微笑んだ。
「ううん、大丈夫」
あの頃のままの遥ちゃんだ。少しだけ髪の毛が伸びているところ以外は、特に変わった様子はない。
遥ちゃんの隣に座り、身体を少しだけ遥ちゃん側に向けた。
「さっきは返信してくれてありがとう。急な連絡だったのに本当にごめんね」
「大丈夫だよ。でも本当に急だったからびっくりはしたけど」
笑いながら話してくれる遥ちゃん。その様子に少しだけ安堵したが、久しぶりの会話ということもあり、どうも緊張が抜けない。
「それで、話って何…?」
「あ、うん、えっと、話ってのはね…。その…、あの時の話なんだけど…」
案の定、言葉がうまく出てこない。かつてこんなに切り出しにくい会話を人としたことがあっただろうか。せめて相手の気分を害さないようにと、頭の中で言葉を慎重に選んでいく。
「五月頃に…。その、俺と雨宮が…その、あんなことをしているのを見せちゃって、ごめん、本当にビックリしたよね。あの時は俺も動揺しちゃって、すぐに遥ちゃんに説明することが出来なかった…」
俺の話を只々静かに聞いてくれる遥ちゃん。だが、少しだけ視線を俺からずらしているように見える。
「…言い訳に聞こえるかもしれないけど、実は、雨宮が遥ちゃんと付き合い始める少し前から、俺たちってあんな感じの関係で」
「…え? そうだったの…?」
「えっと、うん、一応…。なんか、付き合ってたとかそういうのではないんだけど、うーん、なんというか…」
「…だったら私が後から雨宮くんに告白した事になるんだね。泉くんと雨宮くんの間に割り込んで入ったのって、私の方だったんだ。ごめんね、泉くん…」
「いやいやそういうことじゃなくて…! 俺と雨宮は別に、正式に恋人同士だったわけではないから、その、遥ちゃんが割り込んできたとかではないよ。…雨宮が遥ちゃんの告白に応えたのも事実だし、遥ちゃんと付き合ってるのに俺とも関係を切ろうとしなかったのは、雨宮が不誠実だったせい。遥ちゃんは何も悪くないし、俺と雨宮が謝らないといけないことだから」
もっとも、雨宮は今この場には居ないが…。
「だから…本っっ当にごめんなさい! ごめんで済むような事じゃないのはわかってるけど、どうしてもうやむやにしたくなくて」
遥ちゃんに向かって頭を下げる。言いたいことは言えたはず。だが許されない事だというのは百も承知、これで遥ちゃんに罵倒されようが無視されようが、何も文句は言えない。
「…そっか、わかった。泉くん、話してくれてありがとう」
頭を上げて、遥ちゃんの方を見る。
「私も…あの時は凄いびっくりしちゃって、泉くんの話、聞こうとしなかったもんね。私と雨宮くん付き合ってたのに、裏切られたみたいで悲しかったけど…、泉くんと雨宮くんとの関係をあれこれ言うつもりはないよ。
…本当はあのまま泉くんと疎遠になっちゃって…というより、私が避けてただけなんだけど…、せっかく仲良くなれたのに会話できなくなっちゃったのは私もすごく気にしてたから、今日面と向かって話せて本当に良かった。泉くんのことは恨んでるとか、そういう事はないから気にしないで。
…うーん、でもさすがに…、雨宮くんとは…これからも会うことはできないかな。あはは…」
遥ちゃんが無理に笑う様子を見て、本当に取り返しのつかないことをしてしまったのだと改めて実感した。
遥ちゃんの想いを踏みにじった。それは雨宮だけじゃなく、俺も加担したことだ。それなのに、遥ちゃんは俺の話をちゃんと聞いてくれて、どうにか許そうとしてくれている。
「…もし雨宮が、面と向かって謝るって言ったら…?」
「え…雨宮くんが謝りたいって言ってくれてるの?」
「いや、そうじゃなくて、もしもの話なんだけど…。…ごめん」
「…無理に謝る必要ないんじゃないかな。私はもう、別に、大丈夫だから」
この様子だと本当に会いたくないようだ。嫌がる相手に無理に謝罪するよりかは、不誠実だが何もしない方がまだマシだろう。
「…俺が雨宮の分まで謝るよ。もちろん、無理して許す必要はないからね」
「うん、大丈夫だよ。ありがとう、泉くん」
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