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#4「迷惑じゃなければ」 ②

 今日の業務も何事もなく無事終了した。  駅に向かい、電車に乗り、家までの道のりを数分歩く。時刻は午後六時半。  家のドアの前に着くと、雨宮に鍵を渡していたことを思い出した。ドアノブを回すが、鍵は開かない。雨宮はまだ帰ってきていないようだ。 『雨宮、俺仕事終わったんだけど』 『どこにいる? 家に入れない』  メッセージを送るが、既読はつかない。 『まだバイト終わってないのか? 時間潰しとくから、終わったらすぐ連絡くれ』  仕方無く、近所のファミレスで時間を潰すことにした。夕飯もまだだったので丁度いいと思い、ミートドリアとコーヒーを注文し、食べながら雨宮からの返事を待った。         ◆ 「…おっせえなあ…。なにやってんだよあいつ…」  ファミレスに入ったのが七時頃。現在時刻は八時半をとうに過ぎていた。なのに雨宮からの返事が無いどころか、既読すらつかない。 「あいつ、マジでふざけんなよ…。明日も朝からバイトだってのに」  …いや、雨宮は昼からバイトに行くと言っていたんだ。昼からのバイトということは、実働八時間のフルタイムなら九時頃まで業務があってもなんらおかしくはない。  雨宮の事となるとすぐに邪推し、勝手に苛ついてしまうのは俺の悪い癖だ。苛立つ自分を頭の中で言い聞かせ、大人しく返事を待つことにした。  午後九時前。ようやくスマホに通知が入った。 『ごめん泉くん 今から帰るよ』  雨宮からの返事を受け、すぐさま家へ向かった。俺の方が先に着いたらしく、まだ雨宮の姿はない。ドアにもまだ鍵がかかっている。  ドアの前で数分ほど待ち惚けていると、階段を上がる音が聞こえてきた。いつものコート姿の雨宮が部屋へ向かってきた。  だがどうも様子がおかしい。俯きがちで歩いており、足取りがおぼつかないように見える。 「雨宮…遅いじゃねえか」 「うん…ごめん、泉くん」  声もいつもよりか細く、元気がない。 「早く鍵開けてくれ」  雨宮はポケットの中に手を入れ、鍵を探す。その動作も随分ともたついている。 「あれ、鍵どこ…」 「無くしてないだろうな?」 「うーん…」 「…おい、お前大丈夫か? 体調悪そうだぞ。疲れてるのか?」 「だいじょうぶ…あ、あった」  鍵を手に取り、ドアを開ける雨宮。暗い部屋の中に入るや否や、玄関にドサッと倒れ込んだ。 「おい、雨宮! 大丈夫か!?」  倒れ込んだ雨宮を抱きかかえると、雨宮から酒の匂いが漂ってきた。 「…なんか酒臭いんだけど?」 「…」 「酒飲んでたのか…? バイトに行ってたんじゃないのか?」 「いや、違う…」 「何が違うんだよ? バイトで酒飲むか、普通? しかもこんなに泥酔して…。本当にバイトに行ってたのか?」 「…えっと…」 「……お前、もしかして…」  酩酊している雨宮の顔を見ながら尋ねた。 「誰かと会ってた?」 「……」 「答えろ、雨宮。誰と何してた?」 「…ごめん。………またおじさんと、会ってた」  俺と雨宮は玄関から動くことなく、その場で話を続けた。 「おじさん…、あの援交相手か?」  無言で頷く雨宮。 「もう会ってないって言ってなかったか? ていうか、俺と約束したよな。援交はもうしないって」 「……だって、それ以外に出来ること、無いんだもん」  …呆れた。雨宮は俺に嘘をついて、また援交で金を受け取っていた。 「どうしても普通に働けないんだったら、ここから出て行ってもらうぞ。援交なんかしてるやつを泊めておくなんて、俺嫌だからな」 「いやだ! お願い泉くん。一緒に居てよ」 「援交相手のとこにでも行けばいいだろ?」 「…だっておじさん、家族いるもん…」 「…はあ…?」  雨宮も雨宮なら、援交相手もたかが知れてるな。家庭があるにも関わらず、未成年を援助しているのか。 「…マジで最低だな。お前もおっさんも」 「…別に、泉くんにどうこう言われる筋合いないもん。お金貰えるんだからいいじゃん。泉くんには金銭面では迷惑かけないから」 「この状況がもう既に迷惑なんだけど?」 「…だって泉くん、僕と恋人同士じゃないでしょ? 恋人でもないのに僕の行動を制限しようとするのはおかしいって」 「はあ? お前、また屁理屈か?」 「屁理屈じゃないもん…。付き合ってもないのに彼氏ヅラしないでよ」 「…恋人とかそういう肩書きいらないって言ってたの、お前じゃなかったか? 俺前に言ったよな? 俺とお前の関係は明らかにおかしいって。そしたらお前は俺と一緒に居れたらそれでいいってはぐらかしたんだろ?」 「…じゃあ泉くん。僕と正式にお付き合いして、僕の彼氏になってくれる?」 「…!」 「この友達とも恋人とも言えない関係が嫌なら、僕と真剣に交際して。それができないなら、僕の行動に口出ししないで。泉くんに嫌がらせするような事はもうしないよ。だから泉くんも大目に見てよ…」 「………」  俺はすぐに答えを出すことができなかった。  確かにこの俺と雨宮の関係性…俗にいう「セフレ」のような関係にはずっと疑問を抱いてきた。だが、セフレではなくちゃんと付き合った上で身体の関係を持つことに対しても、中々踏ん切りをつけることができなかった。  なぜなら俺の雨宮に対する感情が、恋人や恋愛対象に向けるようなものにしてはどうも歪過ぎるからだ。憎悪、殺意、疑念、嫌悪…そんな感情を抱きつつも、雨宮との関係を続けている。一貫性の無い雨宮への想いに、俺自身が振り回されている。   答えが出せずに黙っていると、急に雨宮の呼吸が乱れてきた。 「お、おい、大丈夫か?」  雨宮の肩を支え、洗面所へ連れて行く。 「吐きそうだったら吐いてもいいからな」  雨宮の顔を洗面所へ向けさせると、案の定嘔吐し始めた。泣きながら咽せる雨宮。辛そうな雨宮の背中をさすりながら落ち着くのを待った。  一通り吐瀉物を吐き出した雨宮に水を飲ませ、ベッドへ連れて行く。だいぶ遅い時間になってしまったので、明日のことも考慮して自分もそのまま寝ることにした。  手段は感心しないが、言った通りお金を稼いできた雨宮。だが、未成年援助交際という法や倫理に反する行いをしている事には、嫌悪感を感じずにはいられない。  そしてそれ以上に…雨宮が別の男と関係を持っていることに対して、嫉妬心が芽生え始めているのに気が付いた。ただ単に、援交相手に嫉妬していたから雨宮に怒っていたのか?  認めたくない感情に気付いてしまったが、この感情を単なる気のせいだと言い切ってしまうのは無理がある。  横に目をやると、頬に涙の跡をつけた雨宮がぐったりとした様子で眠っていた。  雨宮と今のまま関係を継続し、援交に関しては目を瞑るか。それとも雨宮と正式に恋人同士になり、俺以外との身体の関係は切ってもらうか。  …どの選択肢も、すぐに決断を下すことが出来ない。こんなに悩まされたのは生まれて初めてだ。  …明日もバイトがある。とりあえず今日は何も考えずに寝てしまおう。急がずとも、いつか決断できる日が来るかも知れない。  …もしかしたら来ないのかも知れない。  この奇妙な関係性が、今後も続いていくのか、いつかは終わるのか。先が全く見通せず、抜け出したくても抜け出せない蟻地獄にはまったような気分だ。  普段は仰向けになって寝ているのだが、今日はもう何も考えたくない。  雨宮に背を向け、無理矢理目を瞑った。

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