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#5「都合のいい二人」 ②
八月三一日。特に何もする事がないまま、夏休みが残り半分になろうとしていた。
夏休みは九月いっぱいまで。このままでは、残りの一ヶ月も無駄に時間を過ごしてしまいそうだ…。とにかくなにかを成し遂げなければ。
そういえば、特に夏らしいことをしていなかったな。というのも、同居している雨宮が出かけるのを面倒臭がるからなのだが。
だが、そろそろ限界だ。外に出かけて気分をリフレッシュさせたい。後悔が残るような大学生最初の夏休みを過ごしたくない…。
「…海にでも行くか」
「…え? 海?」
「うん」
「…なんで?」不思議そうな顔で雨宮が尋ねる。
「なんでって、夏休みだからだよ」
「えー、海とか絶対人いっぱいいるよ。それに暑いし、面倒臭いじゃん」
「別にがっつり泳いだりとかはしないって。見に行くだけ」
「えーそんだけ? 何の為に? 家に居とこうよ」
「じゃあ俺一人で行く。お前は留守番してろ」
「ええーっ、やだ、一人にしないでよ。もう、しょうがないなあ」
渋る雨宮と共に出かける準備をする。いつも通り、コートを羽織る雨宮。
「そのコート絶対暑いって。脱げよ」
「えー…。いいよ。着て行く」
「あっそう。変なやつだな…」
荷物を持ち家を出て、駅へと向かう。
時刻は午後三時前。今日の最高気温は二九度。直射日光が痛いほど肌に刺さる。 蝉の鳴く声が頭に響く。クーラーの効いた部屋でずっとダラダラと過ごしていた身体に夏の陽射しと気温がこたえる。
隣を歩く雨宮は一見涼しげな顔をしているが、額や首元から少し汗が滲み出ている。何故そんなにそのコートに拘るんだ?
「なあ、そのコート、やっぱ暑いんじゃないのか? てかなんでずっと着てるの?」
「うーん…。まあ、大した理由じゃないんだけどさ。僕ってほら、男にしては身体細いし、背も低いでしょ。それでよく女の子と間違えられてさ」
「まあ、顔も女子っぽいからな」
「僕って結構、何もしなくても男の人が寄ってくるんだよね。でも結局…全員、最終的には知らない女子のところへ行っちゃう」
そう話している雨宮の横顔も、やはり女子のような見た目をしている。
「結局、男って女が好きなんだなって思ったよ。女の子みたいに華奢で可愛いとか、男だけど全然抱けるわとか、そう言って近寄ってきた奴って何人もいたけど…。結局、誰も僕のもとには残ってない。だから、女の子と間違われないように体型を隠す服を着てるの」
それでも女の子に見えなくもないが…。そうか、見た目で判断して寄って来た奴らに悉く捨てられてきてるのか。
…それと、話を聞いて思い浮かんだのは左腕の傷。常に長袖の服を着ているのは、腕の傷を隠す為だったのか…?
「人からこんな扱いばっか受けてると、自分って本当に他と同じ人間なのかなって思えてくるんだよね。そもそも男好きってのもあって、自分ってもしかして男じゃないのかもって思ったりするし。でも別に女子になりたいわけでもないし」
雨宮にこんな悩みがあったのか。普段自分の見た目に対して悩んでいる素振りを見せないどころか、自分の容姿を利用して人を誘惑している印象があったから意外だ。
話をただ聞いていると、雨宮が俺の顔を横目で見た。
「泉くんは、自分が何で男なのかとか、考えたことなさそうだよね」
そう言って俯き、下を見ながら歩く。
「僕って何なんだろうね?」
…確かに、雨宮のことは女子のような見た目をしているとは思っていたが、だからといって女子だと思って接したことはない。とは言え、男らしさのようなものも感じない。よくわからないが、所謂「中性的」ってやつか…?
「…まあ、悩んでるのはわかったけど。別にそんなの気にしなくて良いんじゃね?」
「…え?」
「確かに女子みたいな見た目してるけど、なんというか…雨宮は雨宮だよな。男子とか女子とかの括りで言い表せられないような、ぶっ飛んだ人間だと思うよ、お前は」
「…えー、なにそれ、褒めてるの?」
「うーん、わからん。でも、そういうことわざわざ考えなくても、そのままのお前がお前らしいってことだよ。いつも通り、好きにしたら?」
「……」
「ああでも、人様に迷惑をかけるのはやめたほうがいいけどな。それは個性でもなんでもないから。男か女かっていうよりも、まずは大人になれってことだよ」
「…ふふ。そっか。そうだよね…」
◆
雨宮がコートにこだわる理由が何となくわかったところで、最寄駅についた。
電車に乗るのも随分と久しぶりだ。海がある土地まで行ける切符を購入し、電車に乗り込む。
電車の中は大勢の人で鮨詰めで座れる場所が無かった為、出入り口付近で雨宮と二人で立つことにした。
雨宮をドア側に立たせ、その前に俺が立ちふさがるような形で、手すりに掴まりながら立つ。
雨宮は外の景色や中吊り広告などには目を向けず、目の前に立っている俺の胴体をただじっと見つめている。いや、見つめているというよりかはボーッとしている様子だ。目的地に着く前なのに、もうすでに疲れてしまったのか?
「雨宮、大丈夫か? 体調悪い?」
「ん、大丈夫…」
そうは言っているが、見るからに怠そうな雨宮。やはりコートが暑いんじゃないのか…。電車内は冷房がきいているとはいえ、熱中症にでもなったらどうするんだ。
電車で一時間ほど揺られた後、目的地の海に到着した。砂浜や浅瀬は大勢の人で溢れかえっていた。
俺と雨宮の二人は、歩道に面した防波堤の付近から海を眺める。防波堤の下を覗くと、砂浜まで繋がる大きな階段が目に入った。
「海なんて来たの久しぶりだな」
「僕も…」
先程までとてつもなく眩しかった太陽が、今は厚めの雲に隠れている。
「どうだ、気分転換になった?」
「うん、まあ…」
「…そんなに出掛けるの嫌い?」
「うーん、ぶっちゃけ疲れるし面倒臭いんだけど、泉くんと一緒なら良いかな…」
そう言って海を見つめる雨宮。そんな雨宮の髪を乱すように潮風が吹き抜ける。
「…ずっと家ん中に居るんじゃなくて、たまになら出掛けるのも良いだろ? あの狭い部屋の中だけでずっと過ごしてたら、なんというか…、腐っちまうよ」
「そうかなぁ…。だって、家に居ればいつでもセックスできるしさぁ…」
「はぁ…、またそんな話かよ」
雨宮の方に身体を向ける。
「お前、今のままの関係で本当に満足?」
「え…?」
「身体だけの関係で本当に良いのかって聞いてんの」
「…べつに、僕は…良いけど…」
「俺は良くない。このままだとお前を本当に好きになれる気がしないから」
「……」
「お前が俺を好きなのは痛いほど伝わるんだけど、それって性的な意味でだけ?」
「…違う、と思う…」
「さっきみたいに、お前の話を俺に聞かせるとか、もっとしても良いと思うけど? そういう段階を全部すっ飛ばして、身体だけの関係でコミュニケーションとってる気になってないよな?」
「……」
何も話さず黙ってはいるが、雨宮は俺の顔から目を逸らさない。
「さっきの話を聞いて、俺はもっとお前の人となりを知りたいと思った。じゃないとお前はだたのトラブルメーカーっていう印象しかないから。一緒に居てくれって頼むんだったら、それくらいしてくれても良いだろ?」
「…うん……」
「もう都合がいいだけの関係はやめよう」
「……それって…」
「うん?」
「…僕とちゃんと恋人同士になってくれる、ってことでいいの…?」
波の音と、人々が楽しそうにはしゃぐ声が入り混じって聞こえてくる。だが、俺と雨宮の周りにだけ静寂が漂っているような、そんな感覚だ。
その沈黙を破るように、俺はこう口にした。
「…そうだな」
その瞬間、雨宮が目を丸くする。
「え……本当に?」
「…お前がそれでいいなら」
「本当? 夢じゃないよね…?」
「おい、涙目になってるって。大丈夫かよ?」
涙が溢れると同時に、雨宮が俺に抱きつく。
「おい、人前でこんなことするなよ…!」
「…大丈夫、誰も僕たちなんか気にしてないって…」
周りを伺うと、男同士で抱き合っている俺達を横目に通り過ぎていく人達がいるが、皆過度に反応したり茶化したりするわけではなく、只々そばを通り過ぎていく。
というのも、皆誰かと一緒に海に来ているからだ。自分の一番近くにいる人を一番に意識し、関わりあっている。…俺が周りの目を意識し過ぎていただけなのかもしれない。
…そういえば、五月頃に遥ちゃんと夏休みに海に行こうと約束したのを思い出した。結局その約束が果たされることはなかったな…。
…いや、今は雨宮以外の人のことを考えるべきではないな。今一緒に海にいるのは遥ちゃんではなく、雨宮なんだから。
雨宮の胴体に両腕を回し、抱き締め返す。すると、ずっと動かなかった雨宮が急に俺の身体から離れた。
「…あっっっつい」
着ている服の襟をパタパタとあおぐ。
「…そんなコート着てるからだろうが。いい加減脱げよ」
「えー…」
「身体が細いのとか、誰も気にしないって。そうだろ?」
「…うん、そうだよね」
ようやく雨宮がコートを脱ぎ、防波堤の上に乗せた。コートの下にも長袖を着ていたが、夏でも着れそうな薄めの生地の服だ。雨宮はその服の袖も捲り、初めて外で二の腕を露にさせた。
「あ……」
白くて細い左腕に残る無数の傷跡。それを見て思わず反応してしまい、声が漏れてしまった。
「ん、何?」
…腕の傷、隠さなくてもいいのか? そう尋ねてしまいそうになったが、雨宮は腕を気にしている素振りは無い。それを見て、傷に関して無闇に問いかけるのは今はやめておくことにした。
俺と雨宮の間を通るように、冷たい潮風が吹き抜けた。
「あー涼しい」
そう言って微笑んだ雨宮の顔は、どこか開放的で涼しげだった。
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