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#5「都合のいい二人」 ③
午後六時過ぎ。辺りは少しずつ暗くなり始めていた。遠出したついでに、たまにはどこかで食事をしようと俺が提案すると、疲れているから早く帰りたいと雨宮が却下した。
帰りの電車内は割と空いていたので、二人で座席に並んで座った。久々の外出に雨宮は相当疲れてしまったらしく、俺の肩に頭を乗せて眠りについていた。
座った座席の対面側の窓に、俺と雨宮が並んで座っているのが反射して映っている。今まで雨宮と外で隣あっていたことは何度もあったが、こうして客観的に自分たちの姿を見たのは初めてだった。
男二人が寄り添って座っているこの状況、他人の目にはどう映っているのだろうか。
ただの友達同士に見えるのだろうか。それとも恋人同士だと察する人もいるのだろうか。つい先程、雨宮に誰も自分たちの事など気にしていないと言われたばかりだが、やはりまだ自意識過剰になっている自分がいる。
そんなことを考えていると、寝ていた雨宮が少しだけこちらに顔を向け、目をこすった。寝ぼけ眼で俺の顔を見つめた後、俺の腕を掴みながら再度眠りについた。
その姿を見て、不覚にもときめいてしまっている自分がいた。先程考えていたことや、人の目などが不意にどうでもよくなった感覚がした。
最寄駅に着いても、雨宮はまだすやすやと眠っている。
「おい、雨宮。着いたぞ」
「うーん…、ここどこ?」
「最寄。ほら、降りるぞ」
寝ぼけている雨宮の腕を引きながら電車を降り、改札を出た。時刻は二十時前。
「…僕、電車でずっと寝てたんだね」
駅から出て家の方向へ歩き出した時、雨宮がようやっと口を開いた。
「ああ、熟睡してたよ。もう帰っても眠れないんじゃないか?」
「そうかも。てかさ、お腹空いてない?」
「…さっき飯行こうって言ったのに行かないって言ったの誰ですか?」
「だってさっき凄い疲れてたからさ。ごめんって。コンビニで良いから行こうよ」
言うて俺も腹は減っている。道中にあるコンビニに寄り、適当に食べ物を購入し、再び家へ向かって二人並んで歩き出す。
「……あ」
何かを思い出したかのように雨宮が言った。
「どうした?」
「いやほら、せっかく外出たのに、海の写真とか一枚も撮らなかったなって」
「…ああ、そういやそうだったな…。でもお前、普段から写真とか撮るタイプだったっけ?」
「いや、撮らないんだけどさ。…初めて泉くんと遠出したのに、ちょっと勿体無かったかなって」
「お前そんなこと気にするやつだったか? …別に、またいつか行けばいいじゃん」
「…ほんと? また僕と一緒にお出かけしてくれるの?」
「気が向いたらな」
雨宮がふふっと笑う。
「なんだよ?」
「いや、相変わらず素っ気ないなって…。僕たち、付き合ってるんだよね?」
「…ん、まあ、そうだけど」
「男同士だからどっちが彼氏かわかんないけどさ、もうちょっと恋人っぽく振舞ってよ。あ、でも泉くん、今まで恋人いなかったから付き合い方とかわかんないか」
「うるせえなあ」
からかってくる雨宮の頭を軽く小突いた。雨宮がまた小さく笑う。
「恋人っぽく振舞ってってのはさ、普通に歩いてる時とかも、こういう事してほしいってことだよ」
そう言って雨宮が俺の手を握ってきた。
「おい、ちょっと…」
「はいはい、人の目は気にしない」
雨宮と手を繋ぎながら、人混みの中を歩いていく。やはり少し緊張するが、雨宮の白くて小さめな手を握り続けた。
「泉くんが彼氏になってくれて、僕本当に嬉しいんだよ」
「ああ、お前が彼女側なのね」
「そうなるのかな? どっちでもいいけどね。本当の彼女みたいに大切にしてね?」
「…それは、今後のお前次第だな」
「そこは嘘でも大切にするって言ってよ。泉くんってほんと嘘つけない性格だよね」
そんなことを話しながら歩くこと数分。この先に見える横断歩道を超えたら直に自宅に着く。横断歩道に差し掛かる数メートル前で、急に雨宮が立ち止まった。
「ん、どうした?」
「…ねえ、泉くん」
雨宮が歩道の端の方へ俺の身体を引き寄せた。
「キスして。今ここで」
「…はあ? え、いや、何でこんなところで…!」
「お願い」
「…帰ってからでいいだろ?」
「今してほしいの。お願い、泉くん。周りなんか気にしないで。僕たち、付き合ってるんだから…」
雨宮が俺の顔をじっと見つめながら、両手で俺の手を握った。ショーウィンドウの光が、雨宮の背後から差し掛かっている。
無言の時間が数秒続く。その間にも、何人もの通行人が俺達の側を通り過ぎていく。付近の横断歩道で信号待ちをしている人や、俺達と同じくショーウィンドウの前に佇む人もいる。だが、雨宮はそんな周りの人たちには一切目もくれない。じっと、俺の方だけを見つめて動かない。
握った手を離して、雨宮の肩を掴み、口づけをした。雨宮が目を瞑る。俺も、雨宮以外のことを考えないようにする為に目を閉じた。
…何秒程が経ったのだろうか。雨宮からそっと唇を離した。
近くに立っていた人がこちらを凝視していたが、すぐに目を逸らした。やはり、こんなに人が大勢いるところで堂々と口づけをしているやつらがいると、見る気が無くても見てしまうもんだよな。それも同性同士となると余計に。
それでも雨宮はそんなことは気にせず、満足そうに笑って俺の腕を掴み、再度家へと向かって歩き出した。
俺もいつの日かこうやって周りの目を気にせず、目の前の人だけを考えられるようになる日がくるのだろうか。恋人同士になってもなお、雨宮に対する感情は依然として複雑なままだ。
…そもそも、他人に対する想いなど、好きか嫌いかの極端な判断が出来るものではないのかもしれないが。
雨宮に対する蟠りのようなものを解消するには、相当な時間を要するような気がする。それに、恋人同士になった今、何かもう一段階…超えないといけない事がある気がする。うまく言い表せられないが…。
「あ、そうだ泉くん」
「んっ、あ、なんだ?」
いろいろ考え事をしていて、急に話しかけられて驚く俺に雨宮がこう言った。
「そろそろ下の名前で呼んでくれない? 僕も泉くんのこと浩樹 くんって呼ぶから」
雨宮に言われて気が付いた。そういえば、今までずっとお互いの苗字で呼び合っていたな。
「いいでしょ?」
「…わかったよ。…悠 」
「あ、僕の名前覚えてたんだね、浩樹くん」
「ん…、まあな」
初めてお互いを名前で呼び合う。少々照れくさい気もするが、俺が先程考えていたもう一段階を、名前呼びになったことで超えられたような気がした。
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