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#7「友達だから」 ④
翌週の月曜日の五限目。遥ちゃんの言っていた通り、あの男もこの授業を履修していたようで、遥ちゃんの座っている席の三つ後ろの席に座っていた。俺はそれよりも更に後ろの席に座っている。
遥ちゃんは大学に入学して一、二ヶ月の時点で悠と俺の関係に巻き込まれて傷心し、それが収束したかと思いきや今度は付き纏いに悩まされ…。こんなに不安要素がある中でしっかりと授業にも出て単位を取らないといけないなんて、さぞかし大変で気が滅入る日々だろう。かつて悠と俺とで遥ちゃんを傷つけ、後ろめたい思いを抱えているからなのか、遥ちゃんには只々平穏に暮らしてほしいと思うばかりだ。
お節介はお節介だが、それでもただ見ているだけでは何も変わらない。今日あの男に俺から話をすることによって、流れが少しでも変われば良いのだが。
授業終了のチャイムが鳴り響いた。自分の荷物をまとめつつ、遥ちゃんと例の男の様子を伺う。
「浩樹くん、どこ見てんの。早く帰ろー」
悠が話し掛けてきたが、何か理由をつけて先に帰ってもらわなければ。
「悪い、教授と話があるから先行っててくれ」
「えっ、またぁ?」
「頼む」
「………」
悠は明らかに納得のいっていない顔をし、渋々と帰っていった。
悠が教室を出て行ったのを見送り、黒板の方へ視線を向けると、遥ちゃんは教授に話しかけに行っており、男は席から動かずただじっとしていた。
続々と学生達が教室を後にする。遥ちゃんとの話が終わった教授もその場を後にした。教室内に残っているのは、遥ちゃんと男と俺の三人。
男は俺が居る事を懸念しているのか、まだ動き出す気配はない。遥ちゃんと二人きり出すになるチャンスを伺っているのだろうか。一か八か、わざと二人きりにさせてみようと思い立ち、俺は席を立ち、教室の出入り口へと向かった。
案の定、俺が扉を出たタイミングで男が遥ちゃんの元へと近付いた。
「川崎さん、あの男、川崎さんの何なの?」
男の声が微かに聞こえた。おそらく、俺の事について尋ねているのだろう。
「あなたこそ、遥ちゃんの何なんですか?」
教室から出たはずの人間が出戻ってきて、男は困惑した様子を見せた。
「はっ…? アンタ…さっき出てったろ…!」
「あの、遥ちゃんに付き纏うのやめてもらって良いですか? 彼女迷惑してるんで」
「あ、アンタに関係無いだろ…! 何なんだよ急に出てきて…! 川崎さん! 川崎さんが早いとこ返事くれれば良いんだよ!」
そう言って男が遥ちゃんの腕を掴む。
「おい、やめろ!!」
遥ちゃんの腕を掴んでいる男の手を無理矢理引き剥がす。
「いてっ!」
「お前、一度遥ちゃんに告白して断られてるんだろ? その時点で諦めろよ、遥ちゃん困らせるなよ!」
「なっ…! なんでそこまで知ってるんだよ…?! ともかく、アンタが何言おうと関係ないだろ! 引っ込んでろよ!」
どこまでも食い下がり、諦める素振りを一向に見せない。
「おい、川崎さん! アンタ、男に頼って俺に諦めさせようったって無駄だぞ!」
男は怒りの矛先を遥ちゃんに向け始めた。
「あっ…、あの…」
怯えている遥ちゃん。逆上させないと豪語しておきながら、結局事態を収束させることすらできない。第三者が間に入れば事態が変化するかもしれないと思い込んでいたが、火に油を注いだだけのようだ。
悠の言う通り、考え無しな行動だった。次第に焦り始める。一体どうすれば男に諦めてもらえるんだ…?
すると、次の瞬間。
「話し合いで解決できないようなら、学生相談窓口あたりに報告したほうがいいよ」
教室の扉の方から声がした。振り返ると、先に帰ったはずの悠が立っていた。
「ゆ、悠…? お前、帰ったんじゃ…」
悠は手に持っていたスマホを三人の目の前にかざした。画面には、先程男が遥ちゃんの腕を無理矢理掴み、それを俺が止めている様子が録画されていた。
「……!!」
「この動画見せれば良いんじゃない。ずっと嫌がらせ受けてましたって」
すると今度は、遥ちゃんの方を向いてこう言った。
「あのさ、誰にでも良い顔しようとしないで、ちゃんとお前が嫌いだって言った方がいいよ。迷惑だって、もう関わってくるなって。ちゃんと言いなよ」
「……」
呆気に取られているのか、遥ちゃんは無言のままだ。
「…で、どうするの? アンタは。この動画、窓口に提出されても良いの?」
「…っ! ……クソっ!」
男は何も言い返す事なく、慌てて出て行ってしまった。俺が力づくでも出来なかったことを、悠はいとも容易く成し遂げた。
「悠…、お前…」
「……」
悠は無言のまま、教室の出入り口へと歩み始めた。
「待って、雨宮くん!」
咄嗟に遥ちゃんが悠を呼び止めた。
「あの…、ありがとう…!」
「……」
悠は遥ちゃんに返事も顔を向けることもせず、そのまま教室から出ていった。
(誰にでも良い顔をせず、嫌いだと言った方がいい)
先程の悠の言葉を反芻した。悠の言ったことは正論だが、それを遥ちゃんにすぐに受け入れろとは言えなかった。
「…ごめん、悠がキツい事言ったね」
「…え! いやいや、そんな事ないよ…!」
「気にしなくても大丈夫だよ。遥ちゃんは悪くないから」
「…ううん。私が、思わせぶりな態度だったのがいけないんだよ」
遥ちゃんのその発言に、思わず胸が締め付けられ苦しくなった。「思わせぶりな態度」…かつて悠が、遥ちゃんに対して悪口を言う際に使っていた言葉だ。
「誰にでも良い顔しようとするなって…全くその通りだね。私、人から嫌われるのがたまらなく怖かったのかも…」
…俺にも思い当たる節があったからこそ、遥ちゃんの心情が痛いほど理解できる。
だが、人に嫌われたくない…その思いだけで人と接してきて、物事が良い方向に進んだ事が、今までにどれくらいあっただろうか。
「自分の感じた事を相手に伝えようとするのって、すぐに出来ることじゃないかもしれないけど…、これからは、意識してみようかな」
そう言って遥ちゃんは自分のカバンを手に取った。
「泉くん、本当にありがとう。迷惑掛けてごめんね。…もしよかったら、一緒に帰らない?」
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