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#8「どこまでもお人好し」 ②

「そういえばどこに行って何が欲しいの?」 「えっとね、まだ秘密。とりあえず◯◯駅行こ」  言われるがまま電車に乗り、悠だけが知る目的地へと同行する。悠が言う◯◯駅は最寄りから二駅。電車に乗って間もなく到着した。  駅から出ると車道を挟んだ向こう側に、有名ディスカウントストアの大型店舗が見えた。横断歩道を渡ると、悠が真っ直ぐにその店舗へ向かっていった。 「え、ド●キで買うの?」 「うん」  よく分からないが、誕生日プレゼントを買うのにこの店舗へ出向く人はあまり一般的でないように思うがどうなのだろうか? 確かに品揃えは豊富だが…。  店内は非常に大きく、若者や観光客で賑わっている。悠は目当ての物がある場所を探しているのか、辺りを見回しながら歩いてる。悠の目的が分からないまま、しばらく歩き続けたその時。 「あ、みっけた」  悠が駆け寄った先にあったのは、18禁コーナーの入り口だった。 「…は? ココ?」  悠は立ち尽くす俺の手を強引に引き寄せ、暖簾の向こう側へ躊躇無く入っていった。 「え、ちょ、ちょっと待って」 「浩樹くんこういうとこ来るの初めて? 僕、実はあんまり無いんだよね」  狭い空間だが、そこには無数のアダルトグッズが敷き詰められている。幸い…と言って良いのかは分からないが、俺達以外に客の姿は見当たらない。 「…で、何が欲しいの?」  性的な二次元絵パッケージや派手な色の商品に囲まれ、慣れない場所ということもあってあまり落ち着かない。 「えっとねー…、あ、あった」  悠が指差した先には、手のひらで収まるサイズの楕円型のローターが複数並べられていた。 「…ローター欲しいの?」 「うん。これ使ったプレイしたいな」 「お前…誕生日だぞ? 何で誕生日プレゼントにこんなおもちゃねだるんだよ」 「良いじゃん別に、欲しかったんだもん」 「あっそう…」  数分間棚の商品を見つめた後、 「なんか色々あるけど、お金大丈夫? 予算とかどれくらい?」  と悠が問いかけた。 「誕生日なんだからそんなの気にするな。好きなの選べ」 「えっいいの? やったー、じゃあこれ」  手にしたのは、三千円しないくらいの無線タイプのローターだった。 「それでいいの?」 「うん」  その場を後にしようと出口へ向かったその時、男女の二人組が談笑しながら18禁コーナーへと入り込んできた。動揺した俺は咄嗟に顔を下へ向け、足早にその二人の横を通り過ぎて暖簾の外側へ出た。 「えっ、今の男同士じゃなかった?」  背後から微かに声が聞こえた。間違いなく俺達のことを見て放った言葉だろう。  悠との関係を持つようになってから約七ヶ月、正式に付き合い始めてからは約四ヶ月が経っていた。もうこの関係にも慣れ、人目を気にせず出歩けるようになったと思っていたが、先程のように第三者からあからさまに関係性を意識されると、途端に自分達が周りからどう見られているのかが気になってきた。  18禁コーナーからだいぶ離れた場所まで来たところで、無意識に一人で足早に歩いていたことに気が付き、咄嗟に後ろを振り返った。そこには数歩遅れで着いてきていた悠の姿があった。 「…ごめん」 「慌てすぎ。男二人でアダルトコーナーに居たのを見られたのがそんなに恥ずかしかった?」  内心取り乱していたのが悠には丸分かりだったようだ。慣れたつもりでいても、まだまだ自意識に囚われていることを痛感した。 「ほら、これで足りるだろ」レジの付近に来たところで、財布の中から現金を取り出して悠に買ってくるように促そうとした。 「え、浩樹くんが買ってくれるんじゃないの?」 「え、俺が行くの?」 「うん。だって僕へのプレゼントでしょ? 僕が買いにいってどうすんの」  確かに一理ある。が、今回は買う物が物だ。今までにアダルトグッズを購入した事はないし、それを持ってレジに並んだことも勿論ない。 「誰が買ったって同じだろ!」 「えーお願い。浩樹くんが並んで買ってきて欲しいな。誕生日だから。ね、お願い」  せめてもの足掻きで、女性店員がいるレジを避けて列に並んだ。今日は己の自意識との戦いだ。手にローターの箱一点のみを持って並んでいるこの状況だけでも恥ずかしい。  俺の番になり、慣れた手つきでレジを通す男性店員。一点しか購入しなかったせいか、袋の使用の有無を聞かれることなく箱に直接テープを貼られてしまった。早くその場を去りたい一心で、お釣りと商品を奪い取るようにしてレジを抜け出した。  その間、悠は列には並ばずに、レジを出た先にあるサッカー台の付近で俺のことを見ながらニヤニヤと笑っていた。俺が恥ずかしそうにしながらアダルトグッズを買っている様子を見て、楽しみたかっただけなのだと確信した。 「何笑ってんだてめえ…」  ヘラヘラしている悠の頭を軽く小突いた。購入したローターを、悠が着ているコートのポケットへ無理矢理ねじ込む。 「ごめんごめん、あはは。ありがとうね」  楽しそうに笑う悠。 「浩樹くん気にしすぎだって。だってさっきの店員さん、別に浩樹くんのこと変な目で見たりとかしてなかったよ? 普段からこういうの売ってるから慣れてるんだよ」 「…あっちが慣れてても俺は普通に恥ずいから…」  店を後にして、時刻を確認する。すでに午後十時を超えていた。 「よし、じゃあ帰るか…」 「…いや、うーん、えっと、お願いがあるんだけど」 「ん、何?」 「今からラブホ行かない? ラブホでこのローター試そうよ」 「…? いや家帰ってやりゃあいいじゃん」 「だってさ、家だとご近所さん気にして思いっきり声出したりとか出来ないからさ。良いじゃんたまには。それに…浩樹くん、前に女の人と初めてラブホ行ってそれっきりでしょ? 他の人と行ったのに僕とは行けてないの、何か嫌なんだもん」 「あーはいはい、わかったわかった…。この辺に空いてるとこあるかな…」 「え、浩樹くんが行った場所がいい」 「何でだよ! 別にいいだろうがどこだって!」 「どうせなら同じとこがいいなあ。場所覚えてる?」 「なんでそんな面倒なことしたがるんだよ…」  半ば強引に「誕生日だから」という理由だけで要望を全て受け入れる形となった。  当時は相当酔っていたので記憶に自信が無かったが、ホテルの近くの駅は覚えていた為、微かな記憶を頼りにホテルに辿り着くことができた。 「ここであってる?」 「多分。てか、クリスマスだし部屋埋まってるんじゃね? 知らんけど…」 「そうかもね。入った部屋って覚えてる?」  ホテルに入ってすぐのロビーのような場所に、各部屋が映し出されたモニターが設置されていた。自分の記憶と部屋の風貌を照らし合わせる。 「あー…、確か、ここ…?」  壁紙のデザインやベッドの配置など、見覚えがある部屋を見つけた。 「え、丁度空いてるよ。よかったー」  …何もかもがこいつの思い通りに行き過ぎている気がしてならない。  部屋に入るとすぐに悠がコートを脱ぎだした。そのまま流れるように浴室の扉を開ける。浴槽にお湯を溜める音を聞きながら、ベッドに腰掛けて目の前のモニターをぼーっと眺めた。この部屋があの時の部屋と同じだったかどうかは照合のしようがないが、そんなことはもうどうでもよかった。 「お湯溜まったよ」  悠は浴室から顔を出し、服を脱ぎ始めた。慣れたように風呂の準備をし始める様子を見るに、おそらく今までに何度も来たことがあったのだろう。自分も服を脱ぎ、浴室へと入り込む。悠はすでにシャワーで身体を流し始めていた。 「…あの人とも、このお風呂に一緒に入ったんだよね」  悠が身体を洗いながらボソリと呟いた。 「…ん。まあ」 「僕が浩樹くんの初体験全部貰うつもりだったのに。油断してたー…」 「…いやもう、何ヶ月前の話だよ。お前の目の前で連絡先も消して見せたろ。相手ももう俺のことなんか忘れてるよ。もう気にするなって」 「うん…。わかってるよ」  身体中の泡をシャワーで流しながら、顔をあげてこちらを見つめる。 「浩樹くんが何でもかんでも受け入れてくれるから、欲求を押し付けたくなるんだよね。それで捨てられるんだったら仕方無いけど、一緒にいれる間だけは、その優しさに付け込みたくなる。言い方悪いけど」  悠の声に被さるように、かといって完全に遮るわけでもなく、シャワーの音が浴室に響く。 「だってさ、人の為に怒れる人ってこの世にどれくらいいると思う? 上手く言い表せないけど。遥ちゃんの時とか、世間一般的に見ても許されない行為を、世間がこう言うからっていうより、自分の感情に身を任せて怒ってるような気がしたんだよね」 「ああ…そう、なのか?」 「うん。なんでこんなに他人のために怒れるのか全然わかんなかったな。しかもひとしきり怒った後でも僕と絶交とかしなかったし。どんだけお人好しなんだよって…」  そう言って少しだけ笑いながら、手に持っていたシャワーで俺の身体の泡も流してくれた。 「浩樹くんってめちゃくちゃ感情的な人なんだなって思った。それが悪いって言ってるわけじゃないよ。普段はクールな感じだけど、実は色々感じて考えてる人なんだろうなって」 「…いやだってさ、お前みたいなぶっ飛んだやつに理屈や論理が通じるか?」 「それもそうだね。僕ってバカだしガキだから、言葉で説明しても無駄だって思わせてたんだろうね。でも、浩樹くんくらいなんだよ。僕に真正面から向き合ってくれてたのって」  …ああ、それでか。こいつが俺に何故ここまで入れ込んでいるのか、少し理解出来た気がする。  俺が本気で悠に怒っていた時は、こいつに対する拒絶や嫌悪感からくるものだと思っていたが、自分で気が付いていなかっただけで、感情をぶつけることによってどうにか分からせようとしていたのかもしれない。今になってその意図に気が付くと、自分が如何に支配的な人間なのかということをひどく痛感した。ワガママなのはこいつだけではなく、俺自身だってそうだ。 「…わかってると思うけど、僕ってちょっとやそっとじゃ壊れないからさ、怒りに身を任せて殴ってくれても全然構わないよ」 「…!」  まるで頭の中を覗き見されたようだ。悠になら何を言っても良いと、いくらでも感情をぶつけても良いと、無意識に思っていたことを見透かしたような悠の発言が心を揺さぶってくる。 「…ごめん」 「あはは。だから、負い目を感じることじゃないって。僕にとっては問題無いから」  悠は誰に何をされたか、というより、何をされて自分がどう感じたかに重きを置いているようだった。こいつが周りの目や世間一般の反応を気に留めていないのはこういったスタンスによるものだろう。その分、自分の欲求にも正直だ。その欲求を受け止め切れるかどうかは、俺自身が許容できるかどうかだ。  シャワーを持っている悠の右手を掴み、出しっぱなしだったお湯を止めてシャワーを元の位置に戻した。 「…それでも、いくらでも殴っていいとか、そういうことはもう言うな」    悠がお湯を溜めてくれた湯船に、向かい合うようにして二人で浸かる。  自分の欲求をぶつける代わりに、相手から受けた痛みも全て愛情のように解釈して受け入れる悠。  自分の嫌なことをなんとしてでも相手に分からせようとする代わりに、人からの欲求や要望に多少の無理をしてでも受け止めている気になっている俺。  互いの立ち振る舞いは違って見えるが、場合によって自分主体と他者主体を両立させているのは共通しているのではないか…。真偽はどうあれ、そう感じた。 

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