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第十一章
第十一章
カイはあの後、未だ納得のいかない様子のヴィンセントをどうにかやり過ごしてその場を凌いだ。
そうしてエリアス経由で今夜彼を呼び出したのは、人気 のない離れの宮殿だ。
過去に位の高い者が罪を犯し軟禁される際に使われていたこの一室は、けれど豊かな隠遁生活を送っていたとわかる様子が随所に残り、今でも充分に立派で豪奢な部屋だった。
エリアスを介したことでヴィンセントが訝しく思うだろうことはわかっていたが、けれどカイ本人からの言付けだと言えばそれがたとえ罠であってもあの男は来るだろう。
ヴィンセントはそういう男だから、カイもこうして覚悟がついたのだ。
カイは、直前まではめていた手袋を外し、寝台脇のサイドテーブルにそっと置くと、それを慈しむように撫でる。
必要なものはすでに窓際にある小さな丸テーブルに準備してあった。
もうそろそろだろう、そう思いながら月明かりの差す窓の外を見やると、部屋の扉が小さな音を立てて開いた。
「ヴィンセント」
「カイ……あなたが……俺に会いたがっていると聞きました」
硬い声音は、未だ警戒を解いていない証だろう。
そしてその表情にありありと後悔の念が窺えて苦笑する。
カイはゆっくりと視線を落とし頷くと、顔を窓際のテーブルに移し、ヴィンセントをそこへ促した。
丸テーブルを挟んで、椅子が二脚向かい合っている。
美しい彫りが施され、座面には柔らかい綿が使われていた。天鵞絨の赤い生地と、背もたれに使われた石の質感をなぞる。
「座らないか。話がしたいんだ」
「どういう風の吹き回しですか? あなたは、怒っていたのに」
「別に……怒っちゃいない。ただあの時は混乱してたんだ。悪かったと思ってる」
素直に謝罪すれば、ヴィンセントが怪訝そうに眉を顰めた。けれど少しはカイの態度を受け入れてくれたらしく、大人しくそこへ身を預ける。
カイはその、月明かりが照らすヴィンセントの様子をじっくりと眺めていた。
ゆったり歩いてきた足元から、剣を佩いた腰、厚い胸板と、肩章、指先。
座った拍子にさらりと落ちてきた淡い金髪と、こちらの視線に気がついて上げられた瞼、その先にある瞳。
「久しぶりだから、手加減してほしい」
「?……はい? なにを」
言ったと同時に、先ほど用意していたワイングラスを煽って、赤く芳醇な香りが漂うそれを飲み込む。
呆気に取られているヴィンセントをよそに、一気に最後まで飲み干すと、カイは最後の一口をヴィンセントの口に直接流し込んだ。
「……っ!?」
驚きに身体を大きく揺らしたヴィンセントは、直ぐにカイの肩を掴み引き剥がす。拒絶の意思を抵抗なく受け入れ身体を離したカイは、唇をグイッと拭った恨めしそうな顔と対峙した。
「なにっ、……なにを」
「気持ちよくなれる薬だよ。途中で萎えられたらたまらないからな」
「は?! 薬?! 一体なにを考えてるんですか……!」
「なにって、……わからないわけじゃないだろ?」
カイが淡々と告げれば、途端にヴィンセントの瞳が揺れる。
カイは静かな表情のまま目の前に座る男を見下して、背もたれに指をかけるとゆっくりと腰を屈めた。
絡まる視線に、息を飲む相手の緊張が見える。カイは、退きかけた耳元に、小さく囁いた。
「俺を連れて行け」
連れて行ってくれよ。
***
あんな言葉一つで、本当にヴィンセントと共にどこへでも行けたらどれだけ幸せだろう。
ヴィンセントを見送るのにわざわざ身体を繋げる必要なんてなかったのに、カイはどうしても我慢がきかなかった。
例えば自分の力を少しでも分け与える為、ヴィンセントの消耗を少しでも和らげる為。
血液を与えればそれで済むのに、言い訳がましく延々と頭で考えていたのは、最後に一度だけだと望んだことを誤魔化したかったからだ。
「カイ、まだなにか別のことを考えるてるんですか」
「っ! ……ぁあ!」
後孔に三本もの指を含ませられたまま、ヴィンセントがそれをぐるりと混ぜ返した。
あの後カイは衣服を全て剥ぎ取られ、ヴィンセントは自分のそれをする時間も惜しむようにこの身体を寝台に投げ打った。
仰向けに転がしたカイを見下ろしながら、欲情に濡れてやけに静かな瞳がこちらをじっと見つめている。
「あんたが気持ちよくなかったら意味ないんですよ」
そう言って勢いを増した指とは別に、萎えたままの自身を握り込まれ、カイの背筋が弓なりにしなる。
先ほどからやめてくれと懇願しているのに、シャツを羽織ったままのこの男は執拗にそこを苛めた。
当時は酷い扱いを受けながらも、血液ではなく、カイ自身に依存するように身体を求める者もいたので、強制的に搾取される行為にいつからか前は反応しなくなったのだ。
「っ、も、やめろ! っ、ヴィンセント! いたい!」
「じゃあ、痛くなくなるまでしてやりますよ」
「うそ、やめろっ……ぁっ!」
ぐちゅぐちゅと卑猥な音を響かせるのは、後孔なのか、それとも反応も示さないくせに気持ちよさだけは拾う自身なのか。
カイは、あけすけな自分の声を聞いていたくなくて、開きっぱなしになった口元を両の手のひらで押さえ込んだ。
ただ耐えるようにぶるぶると身体を震わせれば、ヴィンセントはやんわりとその指をとり、そっと自分の口に押し当てる。
「……カイ、苦しくなるからやめてください」
静かに言われた声だけで、自由になった自身までがひくり、と震え、媚びるように腰がくねった。
恨みがましい視線を投げると、そこには小さく苦笑した顔がある。
「あんたは、放っておくといつも我慢ばかりしますね」
「……っお、まえが意地の悪いことをするからだろ」
「心外だな。我慢させたいわけじゃないんですよ。あんたを俺にくれるんじゃないんですか?」
「そ、……だけど、っあ?!」
「じゃぁ、あんたも良くなってください。そうしたらもらう」
言ったと同時に自身が柔らかく温 い粘膜に包まれ、全身がぞわりと戦慄いた。
よりによってヴィンセントが、それを口に含んだのだ。
抗議する間も与えられず、背中に走った稲妻に耐えるようにただ、カイはなすすべもなく頭を振った。
「あぁっ……っ? ぁ、! やめ、! や、っヴィンス! っやめろ!」
柔らかい髪に指を搦め、カイは必死にヴィンセントのそれを止めようとする。
こんなことはさせてはならない。ヴィンセントは、カイをこんなふうに扱うべきじゃない。
頭ではわかっているのに、身体は緩い抵抗しかしてくれなかった。
じゅ、じゅる、という音を響かせながら、抜いた指をいつの間にかふたたび挿入されて、親指で会陰を撫でられる。
柔らかかったそこは自身の代わりに張り詰めたような弾力を持ち、むず痒い疼きが足先から腰にぐすぐずと燻った。
「〜〜〜っ! ……っぁ! ぅ! いやだ、ヴィンス!」
「いやだばかりじゃ興が逸れますよ」
「だってっ……ぁ! やめっ! ヴィー!」
このままでは永遠に終わらないであろう責め苦に根を上げ、両腕で顔を隠しながら必死に訴える。
その様子にヴィンセントはやっと行為を中断して、カイの顔を覗き込むようにこちらに寄ってきた。
「そんなに嫌ですか?」
「っ……いやだ…………気持ちよすぎておかしくなる」
「なんだ、気持ちいいならいいじゃないですか」
「いやだ! 早く挿れろよ、言わせるな!」
言外に早く終わらせろ、と言ったつもりだったのに、何を勘違いしたのか、ヴィンセントがまた苦笑する。
とにかく、早くこのどうしようもなく幸福な時間を、カイは終わりにしたかったのだ。
このままこの手を手放せなくなると、自覚する前に。
「じゃぁ、遠慮なく」
「わざわざ言うな!」
「どっちですか、格好つかないな」
ふ、と笑われてそんなことにまで胸が酷く締め付けられた。
ヴィンセントはそっと身体を引き、カイの後孔に屹立を宛てがいながら、そこを指先と一緒にやんわりと撫でた。
ひくっと身体が震え、腰を掴むもう片方の腕の力をやけに意識する。
下から射すくめるようにカイを捉えた赤い瞳が、裡に秘める欲情を一心に伝えた。
この男の顔を忘れたくない。
そんな感傷を、カイはヴィンセントごと呑み込んでいく。
「〜〜〜っ……っ――――! ……!」
指と比べようもない圧倒的な圧迫感がめりめりとカイに押し入り、上滑りする身体はいとも簡単にヴィンセントに押さえつけられた。
ぎゅうっと力んでしまえば、途端に中にあるそれをはっきりと感じてしまう。
内の襞を巻き込み、そこにある微かな膨らみをずるりと撫であげられて、カイの下半身はがくがくと痙攣した。
「ぁっ……〜〜〜っ……?」
膝が言うことを聞かず、不意にじんわりと広がった温かさの中、ただ滲む視界でヴィンセントを捉えた。
過去経験したことのない感覚が己の裡から溢れ出し、恐怖にも似た感情を持て余しながらも、それはいつまでもやまなかった。
「っ、? ……カイ? もしかして今達しましたか?」
震える自身にそっと触れられ、カイはまた身体を震わせた。
意味がわからないまま不安の視線を投げかけると、眉間に皺を寄せて苦しそうにしたヴィンセントは下腹をやんわりと撫でる。
新たな刺激に大きく腰をしならせてしまい、男が小さく息を詰めた。
「……っ……出てないですけど、達 けたみたいですね」
そこを眺めていた視線がカイを柔らかく捉えた。
苦笑に混じる安堵と、自分を今にも喰らい尽くそうとする欲望。
言葉もないまま小さく一度腰を引き、ヴィンセントは今度こそ一気に最奥までカイを貫いた。
がつん、がつん、と腰骨が食い込むほどの勢いに、頭をのけぞらせ、腕を宙でさ迷わせる。
けれど、探し当てた温かい肌に指先が触れようとして、咄嗟にそれを戸惑った。
自分の縋っていい相手ではないことを、忘れそうになったことが怖かったのだ。
「……カイ?」
不意に動きを止め、相手がこちらを見下ろした。
怪訝な表情のそれから、逃れるように視線をさ迷わせる。
この男は、こういう時にだけこうやって、カイの些細な焦燥を簡単に掬いあげてしまうから嫌だ。
言葉を発せないカイに、それを見たヴィンセントが小さく息を吐いた。
「……掴まってください」
ぐい、と二の腕を掴まれて肩へ回させられたが、それに従っていいのかもわからない。
もう一度ちら、と念を押すようにされて、カイはおずおずと腕に力を込めた。
ヴィンセントが少しずつ再開した抽挿は、徐々にまた深いものに変わり、相手も余裕がないのだとわかる。
頭の両脇で肘をついた男の呼吸が苦しそうに息を詰めて、指先にカイの髪を絡めた。
「すみませんが、優しくしてやる余裕がありません」
「っぃ、……いい、っ……いいから、……!」
「っ、……カイ、あまり煽らないで」
ぎゅうっとしがみついたカイは、それを全身で感じるように後孔を締め付けた。
腰をくねらせ、必死にしがみつくこの身体を、どうか一時だけでも一つに溶かしてしまいたいと思う。
抱き返される厚い胸板の温かさ、頬に触れる髪の感触、混じりあった汗の一雫まで。
「っぁ、! っ……! ヴィンス……! ……ぁあっ!」
「カイっ……、くそ……っ……気持ちいいですか?」
不意に問われ、昔から変わらないまっすぐな言葉とその表情が、カイを簡単に捕らえてしまう。
苦しそうにしながら自分を案じるヴィンセントが愛おしかった。
これまでずっと与えられてきた愛情が苦しい。
愛おしくて、苦しくて辛い。
身体は相手に縋っているくせにそうやって気持ちばかりが遠のいていく。
カイはそれを退けるようにして、ヴィンセントの背を軽く叩いた。
「もうっ……! ぁ、はやく……! 終われよ」
「余裕ですね。じゃああなたもここで、気持ちよくなってくださいね」
ここ、と指を這わせたのはカイの下腹だ。
唐突に動きを止めたヴィンセントにそこを撫でられた瞬間、屹立が深く埋まったそこが疼いて腰が戦慄く。
やめろ、という制止はほとんど声にならないまま、ヴィンセントは気を良くしたのか、抽挿を緩やかなものに変え、腰をゆるゆると揺すりながらカイの内壁を擦った。
「……っ、〜〜〜っ、ぁあ! ――――! っ!」
そこをじっくりと味わうような動きは、中で熱く猛ったヴィンセントをはっきり感じてしまい、ぐずぐずと腰が蕩けていく。
熱を持った快楽が身体中にじんわりと迫り上がり、思考をあっという間に奪っていった。
「ぁあ ……っ? 〜〜〜、ぁ、……や……っあ、ああ、ぁぅう」
ぎゅぅ、と目を瞑って腕に指を食い込ませると、身体がぶるぶると震える。
その様子を眺めながら、上体を起こしたヴィンセントが小さく笑う気配がした。
「……っ、ここ、気持ちいいですか?」
「ぁ……? ……ぅ、あ、あ……っ! やぁ、っ、ヴィンス……っぁあ」
「中のふっくりと凝 ったここ。ここに当たるとさっきから、あなたの中が酷くうねりますよ」
そんなふうに酷く卑猥な言葉を投げかけられても、カイにそれを咎める余裕はなかった。
じわじわと時間をかけて追い上げられ、もう指の先にも力が入らずただされるがまま、男に与えられるものを享受する。
また少しずつ抽挿が再開されて、カイが縋る腕さえ放棄すると、ヴィンセントは代わりのようにカイの身体をぎゅうっと抱き締めた。
このまま、このまま時間が止まって、カイの命を終えられるとしたらどんなにいいだろう。
先ほど考えていたようなことがふたたび頭をもたげカイを襲う。
目尻に少しだけ、温かい涙が込み上げた。
***
まさかこのまま、エリアスが渡してきた薬が用を足さなかったらどうしようかと何度目かの交わいで思ったが、どうやらそれは杞憂だったらしい。
月が高い位置に登り、夜の静けさの中その明かりだけが室内を柔らかく照らしていた。
カイは傍らでぐったりと寝台に沈み込むヴィンセントの額を撫で、肩に羽織っただけのシャツを手繰り寄せる。
うつ伏せになった相手は薬の影響で寝入っているようだったが、あれは弛緩薬と、多少の安定剤が混ざっていたものだったのだろう。
自分は薬の影響を強く受けないこの身体で良かったと内心ほっとしながら、この男が目覚める前にここを去らなければと思う。
けれど、それを見透かしたように撫ぜていた指を男は小さく掴んだ。
「……カイ、身体が動きません」
緩く瞼を押し上げ、だるそうにしたヴィンセントの弱い声に苦笑する。
熱の混じってしまいそうな指先をやんわりと引けば、抵抗もない様子にカイはそっと息を吐いた。
「疲れてたんだろ」
「あなたは大丈夫なんですか」
「俺を誰だと思ってるんだ?」
軽い軽口を叩きながら、シャツの釦に手をかけるとヴィンセントがそれをそっと止める。
絡まった視線に、この男はこんなにも甘やかな仕草をするのかと思った。
この指は自分のものではない。頭ではわかっている。
この甘やかな空気を、カイの知らない誰かにいつか捧げることも。
「離せよ。なに甘えてんだ」
「どこにいくんですか」
「俺は先に出る。動けるまでじっとしてろ」
そう言って足を床につければ、背中越しに不安と憤りが揺らぐ視線を感じて動きが止まる。
もう、終わりはすぐそこまで近づいているのに、けれど敷布を握り込んだ自分の拳はそれをなかなか離してくれなかった。
「……大丈夫だ。すぐに慣れる」
それはヴィンセントへ向けた言葉だったのか、自分へ言い聞かせたものなのかわからない。
ただ、余韻を残すような真似をしたくなかった。
そうして振り切るように歩き出そうと腰を浮かしかけた時、それは唐突に部屋の扉を勢いよく開いて、二人だけの世界を壊した。
「……っ!」
物々しい兵士たちがわらわらと扉の出入口付近にまで侵入すると、カイはもとより、ヴィンセントの驚愕した空気が伝わってくる。
声も出ないまま、自分を守るようにして咄嗟に腰に腕がまわったことが余計に辛かった。
「ヴィンセント・シラーをこの場で拘束する」
兵士の一人が高々に告げると、背後から一人の男がゆったりと姿を現す。
カイは、自分に向けられた余裕の微笑みに歯噛みするように視線を背けた。
「カイ、ありがとう。もうこっちへおいで」
落ち着いたエリアスの声音は、それだけでヴィンセントに状況を把握させたらしい。
後ろで小さく「カイ?」と声をかけられ、けれどそれに答える術も知らないまま重い腰を上げた。
立ち上がったカイを見上げたその目に、縋るような感情が混じる。けれどそれを、カイは掬いあげてはやれなかった。
「……お前を戦場には行かせない」
「……っ……どういうことですか?」
「今からお前の身柄は殿下が預かるんだ」
「なにを言って! ……カイ!」
言い切って踵を返すと、後ろから悲痛な声に責め立てられた。
カイはどの言葉も耳に入れないように、懸命に部屋の外を目指す。
すれ違いざまに数人の兵士が空間に飛び込み、背後で暴れるヴィンセントの戸惑いと怒りの声が部屋に響き渡った。
「カイ! ……カイ! うそだ!」
「うそじゃない。お前は俺を殺せないだろ」
「っ!!」
息を飲む気配に、カイは冷ややかな視線を最後に向けた。
ヴィンセントは眦を赤く染め、カイを痛いほど貫いている。
その想いを知っていた。自分はもうずっと知っていたんだ。
俺だって愛してた。
もう、ずっと前から。
「カイ! ……カイ、っくそ!……行くな! カイ!!」
耳に残るその声から逃げるように、カイはその部屋を後にした。
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