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第2話
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城下町の最南端にある人間集落の孤児院に、皇太子の使いがやってきたのは先月のことだった。
「レヴェント皇太子殿下のもとに妹を?」
年季の入った応接間で、ユスフは声を上擦らせた。この孤児院で保育婦として働く妹のミネを、宮殿の皇太子のもとに出仕させよという命が下ったのだ。
「そうじゃ、早急に出仕してほしいとのことじゃ」
皇太子の使いと名乗ったタヌキ獣人のイーキンが、書簡を広げてうなずいた。
「しかし、出仕って……」
皇族や貴族に女性が出仕する、とは表向きは雇用だが、その実、身分の低い女性を妾にするための大義名分に使われることが多い。それでも、皇太子の使いは「出仕は出仕じゃ」と言うだけだった。
期間を尋ねるが、皇太子がよいというまでという曖昧なものだった。
隣に座る妹の手を握る。ひんやりと冷たく、震えていた。
無理もない、ミネは来春レンガ職人の幼なじみと結婚が決まっているのだ。
「お兄ちゃん、どうしよう。どうして私なの……逆らったら不敬罪になるのかしら」
使いのイーキンを見送った直後、ミネはユスフに抱きついてきた。自分とそっくりの顔で鳶色の瞳を潤ませる。
「そんなことにはさせないよ、郡主さまに相談してみよう。きっと何かいい断り方を考えてくださるよ」
ユスフはミネを抱きしめて、背中をさすってやった。
この孤児院で一緒に育った、たった一人の血縁。どんなにつらいときも、二人で支え合って生きてきた。
孤児院から自立し、きょうだいで家を借りて暮らし始めたあとも、ミネはそのまま孤児院で保育婦として働いたが、ユスフは、町工場で働きながら騎士団への入団を目指し鍛錬を積んだ。
今春ようやく採用されたが、まだ見習い。基礎鍛錬にいそしんだり、騎士団の暗号となる指文字などを習ったりしていた。
獣人ばかりの騎士団で、ユスフのような人間の採用は珍しかった。
というのも、まず人間は体格的に不利なのだ。人間男性の体格は獣人女性と同程度。屈強な騎士団の男性獣人は、ひときわ大きく力も速さも別格だ。これまでもまれに人間が採用されたが獣人との圧倒的な差に打ちひしがれ、長く続かないことが多かったという。
しかも、この数年は領土拡大や防衛のための戦が膠着もしくは撤退することが増えているせいで、騎士団内も「即戦力以外はごめんだ」というピリピリとした空気が漂っている。皇族の護衛が騎士の役目。戦の劣勢で、皇族の身の危険も高まるからだ。
決して歓迎されていない中で、ユスフは、なんとか一人前になりたいと意気込んでいたところだった。
出仕話を断るために頼ろうとした郡主は、ユスフとミネの話を聞く前からお祭り騒ぎをしていた。
「我が土地から皇太子に輿入れができるとは!」
ぜひ花嫁衣装は作らせてくれ、などと手を握られる。ミネが嫁いでも孤児院の運営が困らないようにしよう、ともう輿入れが決まったかのような言い分だった。
ユスフはミネの結婚が決まっていることを打ち明けた。出仕を断れないか打診すると、郡主の顔色が変わる。
「そんなことをしたら、この郡一体が粛正されるではないか」
まさか、とは思ったが、実際に皇太子の噂はよくないものばかりなので、否定もできなかった。
二十六歳にもなるのに放蕩三昧。好戦的で戦の先頭には喜んで立ち功績も挙げてきたが、それ以外の政務はほとんど取り合わず第二皇子任せ。さらには、多くの皇族が後宮に妻を迎え入れているのに、容姿は国一番と謳われながら寵妃は一人もいない――と。
後宮に寵妃がいない理由は、一晩過ごした相手を食べる〝花嫁喰い〟をしているからだと言われていた。
獣人の中でも凶暴な肉食獣である狼獣人には大昔、草食獣人や人間を妻という名目で迎え入れて食す習慣があった。それが、花嫁喰いだ。
今では廃れたが、放蕩者で好戦的な皇太子ならやりかねない。そして一度〝花嫁喰い〟をした者は、味が忘れられずに繰り返すとも言われていた。
「郡主さまは妹が喰われてもいいとおっしゃるんですか!」
激高するユスフに、郡主は静かに告げた。
「皇太子への輿入れは名誉なことだ。一方でそれを断れば、この地域一帯の住民の命が脅かされる。私は郡主だ。命を天秤にかけたとき、多くの命が救われるほうを選ばなければならないのだ」
(たった一人の命など、簡単に切り捨てるということか!)
額に血管を浮かべるユスフの横で、ミネは押し黙っていた。
自宅に連れ帰ると、ミネはすっきりした顔をしていた。
「お兄ちゃん、ありがとう。これも運命だと思うの。明日、イブラヒムにはお別れを言ってくるわ。孤児院の子どもたちのことも、よろしくね」
イブラヒムとは、結婚の約束をしているレンガ職人だ。幼なじみで、たくさんすれ違いながらもミネが一途に想い続けた相手だった。出身が孤児院ということもあってイブラヒムの家族にいい顔をされていなかったのだが、二人の真剣な説得でついに結婚の許可をもらったのだ。
そんな幸せを掴む直前の出仕命令――。もっと泣きわめいてもいいはずなのに、ミネはこの短時間で、自分の役割を受け入れていた。
ユスフが三歳、ミネが生後半年のとき、両親が相次いで病死し、きょうだいで孤児院にやってきた。親のぬくもりをわずかでも覚えているユスフと違って、ミネは全く親を知らない。そんな妹を不憫に思い、ユスフは何があっても妹を守ると胸に誓った。
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