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第3話
裕福な家の子どもからいじめを受けても、みんなが持っている学問の道具を自分たちだけ持っていなくても、心だけは荒むまいと、妹と手を取り合って生きてきた。
特に妹は頑張り屋だった。どんなみじめな思いをしても笑顔を絶やさず、ときには年下の子をかばって喧嘩だってしてみせた。みんなから好かれ、愛された。だから幸せになる権利があった。皇族に喰われるために生まれてきたのではない、好きな相手と結ばれて、今度こそ温かな家庭で笑顔を絶やさずに暮らすべきだ――。
ユスフは妹を抱きしめた。噛んだ下唇がピリッと痛む。
「お前の幸せがおれの幸せなんだ。命をかけても兄ちゃんがお前の幸せを守るよ」
「だめよお兄ちゃん、せっかく念願の騎士になれたんじゃない。お兄ちゃんはこれからじゃない」
お前だってこれからじゃないか、と唇を噛む。
ミネを守りたいと思ったから、騎士を目指したというのに。
ユスフが十四歳、ミネが十一歳のとき、孤児院の子ども数人を連れて水辺遊びに行った。そこに現れたのは、いるはずのない隣国の夜盗だった。子どもたちを奴隷商に売り飛ばそうと襲いかかってきたのだ。
ミネが子どもを逃がし、草むらに隠しているうちに、ユスフは野盗たちの前に両手を広げて立ちはだかった。
『小さい子たちには手を出さないでくれ! でないと全員で自害する。子どもだと思ってバカにするなよ、死に方だってみんな知ってるんだ』
全員死なれるよりは、と野盗たちはそれを受け入れてユスフを連れていこうとした。草むらから、お兄ちゃん、とミネが飛び出る。
『女もいるじゃねえか、連れていけ』
『妹はだめだ、おれが行く、おれだけを連れていってくれ! なんでもする、お願いだ』
『お兄ちゃんが行くなら、あたしも行く!』
〝小さい子たち〟には手を出さない、という約束だからミネはいいのだと野盗たちは下品な笑みを浮かべて、きょうだいを拘束した。
『顔のいいきょうだいだ、二人まとめて高くで売れるぞ』
野盗がナイフの側面でユスフの頬をなぞった瞬間、背後から「ぐぇ」という声が聞こえた。振り向くと野盗の半数である三人が草むらに倒れていた。
その奥では、鹿毛の馬に乗った男が長い半月刀を振り下ろし、血払いをしていた。ローブのフードを目深に被っていて容姿はよく分からなかったが、男はあっという間に六名を切り捨て、ユスフたちを振り返る。
その立ち回りの美しさと疾さに、状況を忘れて見惚れていたユスフは、ミネとともに頭を撫でられて我に返る。
『弱き者を守るために自分を犠牲にできるとは。頭が下がるよ、君たちを見習おう』
ユスフははっとして、こう言った。
『弱いから守りたいんじゃない、大切だから守らなきゃって思ったんです……でもおれだけじゃ妹は守れなかった。助けていただきありがとうございました』
目深に被ったフードから「ほう」と小さく感嘆の声が漏れる。
『なおさら感心だ。親はどこだ? 日が暮れる前にお帰り』
ユスフは深々と頭を下げた。
『親はいません。おれたちみなしごで、子どもだけで遊びに来ました』
そうか、と青年は深くうなずいた。
馬に乗っていて武術に長けている――もしかして、とユスフは思い切って尋ねた。
『あの、あなたは騎士さまですか?』
『……騎士? ああ、そうだな』
『お、おれも騎士になったら、あなたのように強くなって妹を守れますか』
『なれるよ。騎士になればまた会う機会もあるだろう、待っている』
男は名乗らないまま、馬頭を城下町に向けて走らせた。
『疾風(かぜ)みたいな人だね……』
ミネが見送りながらぽつりと言った。
草むらに隠れるよう指示していた年下の子どもたちが、ワーッと泣きじゃくりながら抱きついてくる。「もう大丈夫だよ」とあやし、男の指示通り、日が暮れる前に孤児院に帰り着いたのだった。
その数日後、大勢の騎士がその水辺一帯に捜索に入り、先日の残党まで駆逐した、と近所の大人が教えてくれた。
季節が変わるころ、安心して遊べるようになった水辺で、ミネはその騎士と再会した。騎士はミネに大袋を渡した。中にはお菓子やおもちゃがたくさん詰められていて、一緒にいた女児たちと大喜びで担いで帰ってきた。
ユスフもその水辺に何度か出向いたが、やはり再会は叶わなかった。代わりに、大袋に入っていた木刀を握って、毎日振った。
昔のことを思い出していたのか、ミネは懐かしそうに言った。
「あの騎士さまみたいになりたいんでしょう? お兄ちゃんはちゃんと自分の夢を叶えなきゃ。また会おうって約束したじゃない」
騎士団には千人以上いる。容姿も、声から青年ということくらいしか分からない。それらしい年齢の団員をしらみつぶしに探そうと思っていたところだったが――。
「夢なんかどうでもいいんだ、お前が生きてなきゃ意味がない。あの日お前を自力で助けられなかったおれに、挽回の機会をくれ」
「挽回? お兄ちゃん……?」
「幸せになるんだぞ」
ユスフはミネをそっと抱き寄せると、彼女の首にトンと手刀を入れて気絶させた。
そのまま担いでイブラヒムのもとへ連れていった。しばらく彼女をかくまってもらうために。イブラヒムには「当面の間、ミネを表に出すな」とだけ伝えて事情を明かさなかった。
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