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第4話
十日後、ユスフは郡主があつらえた花嫁衣装を纏い、鏡に向かって唇に紅をさしていた。
ユスフは、鏡を指でなぞった。妹とはもともとよく顔が似ているが、化粧をするとうり二つだ。
「ミネは、国一番の幸せな花嫁になるんだよ」
見届けることのできない妹の結婚式を思い浮かべ、鏡の中の花嫁に別れを告げた。
この中性的な顔が、騎士を目指すユスフにとっては悩みの種だったが、こうして花嫁に化けるとなると役立った。宮殿側の獣人たちはミネの顔をよく知らない。そこに、ミネそっくりの人間がいたとしても見分けはつかないはずだ。ヴェールで顔を隠せばなおさらだ。
皇太子の迎えの馬車が自宅の前で止まる。ユスフは花嫁衣装の裾を持ち上げて、ゆっくりと家を出た。書簡で「唯一の親族である兄は病に伏せっている」と伝え、見送りがなくとも疑われないようにした。所属する騎士団にも、しばらく休むと連絡を入れた。そのうち行方不明者として名簿から消されるだろう。
皇太子の使い――タヌキ獣人のイーキンに促されて乗り込んだ馬車は、ゆっくりと走り出した。郡主の屋敷の前を通ると、たくさんの役人が歓声を上げて見送りをしていた。祝っているというより、戦地に行く兵士を送り出しているような興奮だ。
孤児院の前では、乗っている花嫁がミネだと思っている子どもたちが、泣きながら手を振っている。親のいない彼らにとって母親のようなものなのだ、別れもつらいだろう。彼らのためにも、自分が身代わりになって正解だとユスフは思った。
家の祭壇にひっそりと置いてきた遺書を思い出す。
このはかりごとはすべて一人で計画したことや、ほとぼりが冷めたらミネが孤児院で再び働けるようにしてほしいという願いを書き込んだ。さすがの皇太子も、喰い殺したり不敬罪で処刑したりした人間の妹を、再び花嫁に迎えようとは思わないだろう。ユスフの罪がどれほどミネに影響するかは分からないが、喰われるよりはましだ。
当のミネは兄の死を自分のせいだと嘆くだろう。
しかし、ユスフは願った。時間をかけてでもその死を乗り超えて、夢を叶えてほしいと。
幼いころ、きょうだいでこっそりのぞいた隣家の晩餐。子どもと両親、そして祖父母が笑顔で食事を囲むあの温かな光景――愛のあふれる家庭を築くことがミネの夢なのだ。
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皇太子に男であることが知られてしまったユスフは、観念してヴェールとともにかつらを脱ぎ、短い髪の頭を床に擦りつけた。
「オスマネク帝国騎士団に今春入団しましたユスフと申します。妹に扮してやってまいりました。皇太子殿下を謀った罪が許されるとは思っておりませんが、どうか妹の代わりにおれを食べてくださいませんか」
男の肉などうまくないだろうとは想像がつくが、もうユスフが願うことができるのはそれだけだった。
「妹は来春結婚いたします、どうか妹のことは、お許しくださいませ……!」
必死に請うが、レヴェントからは「ふむ」と思案するような声しか聞こえない。
「出仕命令を出したのに、なぜ花嫁のような格好でやってきたのか不思議だったが……そういうことか」
えっ、と思わず声を上げてしまう。
「事実上の輿入れ……だと……その、聞きまして……」
「『喰ってくれ』ということは、妹が〝花嫁喰い〟に遭うと思って身代わりとしてやってきたのだな」
ユスフは素直にうなずいた。
突如、高らかな笑い声が謁見の間に響く。声に合わせて三角の耳がピクピクと上下した。
「おれ、何かおかしいことを申しましたでしょうか」
「いや、そうだな。私は皇族一のうつけ者だからな、そんな噂もあるだろうな」
まるで濡れ衣かのような言い方だ。
レヴェントは片手を挙げて、奥の部屋に控えていたタヌキ獣人の従者に指示を出す。
「イーキン、連れてきてくれ」
まもなくイーキンに抱かれてやってきたのは、ふわふわとした金髪の男児だった。三歳くらいだろうか、耳も尻尾もないので人間のようだ。緊張した面持ちで、ひざまずいているユスフを見下ろす男児は、宝石のような紫の瞳をぱちぱちと大きく瞬きさせた。
男児はイーキンの腕から床に下りると、短い足でトットコと走りレヴェントの背後に隠れた。銀色の尻尾がなだめるように男児の頭をまふまふと撫でる。
「息子のルウだ」
レヴェントが堂々と息子だと宣言しているが、どう見ても獣人ではない。分からずに言葉を失っていると、説明が続いた。
「見ての通り人間だ。戦場で見つけ養子とした、おそらく奴隷商に捨てられたのだろう」
奴隷特有の番号札をつけていたルウは、発見当時、流行病にかかっていた。他の奴隷に感染する前に放り出されたようだ。
戦場は奴隷商の〝狩り場〟でもある。焼け出された敵国の民をさらい、売りさばくのだ。これを帝国は認めていないが、戦乱にまぎれて巧妙に動くため摘発も簡単ではない。
つまり、奴隷のみなしごを拾ってレヴェントは我が子としたのだ。
(そんなことがあるのか……?)
ユスフは目を剥いた。
獣人たちにとって人間は蔑みの対象であることが多い。獣人の頂点に立つような人物が、人間を我が子とするなど、これまでのユスフの経験では考えられないことだった。
そんなユスフの視線も気にせず、イーキンが説明する。
「宮殿には人間を育てたことのある乳母がいない。そのため、お前――いやお前の妹が必要だったのじゃ」
城下町にある人間の孤児院は、ミネが保育婦として働いているあの施設だけ。そのため出仕の話が出たのだ――と。
「では輿入れではなく、本当に出仕して仕事をせよと……」
小柄なイーキンは、かわいらしい顔をしかめて語気を強めた。
「そう申したではないか!」
確かに言った、『出仕は出仕だ』と。しかし自分もミネも郡主も、地元の誰もがそれは建前であり、さらには〝花嫁喰い〟なのだと信じてやまなかった。
ユスフはゴツ、と大理石の床に頭を打ちつけてひれ伏した。
「も……申し訳ありません! おれ……おれ……とんだご無礼を……!」
この場で首を切られてもおかしくない、と分かっていた。
皇太子を謀っただけでなく、人間を喰う蛮人だと決めつけていたのだ。さらにユスフが身代わりとしてやってきたことで、ルウという男児に必要な乳母も手配し損ねたのだから。
「ふむ……妹のために身を投げ出すその精神、さすが騎士団に選ばれただけのことはある」
「皇太子殿下、感心している場合ですか。この者は不敬罪で処刑し、すぐにでも妹を」
顎を撫でるレヴェントに、イーキンが目の周りをより黒くして進言する。
レヴェントが片手を挙げてそれを制した。
「謀ったことはよいのだ。私が帝国一の放蕩者、うつけ者であることは周知の事実。出仕が〝花嫁喰い〟だと誤解されても不思議はない。それに――」
レヴェントは、ひれ伏すユスフの半身を起こし、耳元でこうささやいた。
「私も嘘つきだからな」
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