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第14話

「何だか今日は上の空だったね」  雅樹は下着をはきながら、ソファーでぐったりする黒兎を見た。黒兎はそうですか? と視線を合わせずに呟く。  季節は春に差し掛かって、世間は新生活に期待と不安を募らせる時期だというのに、黒兎の心は重いままだ。  身体はあれきり繋げないものの、雅樹との関係は続いている。しかも彼は本当に黒兎を(すぐる)の代わりとして見ているらしく、うわ言で時々名前を呼ぶのだ。  そしてそんな雅樹を慰めるように、黒兎は英になり切って、返事をする。  酷い男だ、と黒兎は思う。目の前に雅樹を愛している男がいるのに、彼は一向に黒兎を見ない。でも、こんな関係でも一緒にいられることが嬉しくて、雅樹を甘やかしてしまう黒兎はもっと酷い男だ、と自嘲した。 「英くんはね、一見ボーッとしているようだけれど、台詞は一瞬で覚えるし、集中すると周りが見えなくなってしまうんだ」  そして雅樹から語られる英自慢を、黒兎は胸にどす黒い感情を溜めながら、笑顔で聞くのだ。  それで雅樹が癒されるなら。自分のことはどうでもいい。 「だから気を付けてあげないと、オーバーワークで倒れてしまう。……自分で管理するのも仕事のうちのハズなんだけど」  そう言いながら、雅樹は世話を焼き、甘やかすのが楽しくて仕方がないとでも言うような顔だ。 「こんな事、光洋(みつひろ)とも話さないな……聞いてくれてありがとう、綾原くん」 「……いえ」  嬉しそうに初恋の相手のことを語る雅樹は、まるで高校生のようだ。そう言えば、彼が実際高校生だった頃は、誰よりも大人びて見えて、落ち着いていたな、と思い返す。 (ああ、そうか……)  雅樹は英に恋をしたことで、甘酸っぱい青春を今更ながら経験したのだ。財閥の息子というプレッシャーを、小さな頃から受けていた彼は、学生らしい学生時代を送ってなかったんだな、と黒兎は胸が締め付けられた。  だから余計に、自分の気持ちは言えない、と思う。  こんなに嬉しそうに英のことを話す雅樹の表情を、自分の告白で曇らせたくない。 「そうだ、先生」  雅樹は着替え終わると、いつものように甘い笑みを見せた。 「日頃のお礼に、今度食事でもどうですか?」 「……いえ、それは……」  黒兎は断ろうとした。客の中には、思った以上に体調が良くなり、お礼と感謝を込めて贈り物をしようとする人がいる。けれど、既に対価は頂いているので、全て断っているのだ。  しかしそれも雅樹は分かっているのか、更に笑みを深くする。 「特別メニューのお礼に」  それだったら納得するかな? と問われ、色々と言いたいことはあったが、飲み込んで了承した。  しかし後日、待ち合わせ場所に行った黒兎は、誘いに乗ったことを後悔する。 「……すまない。光洋(みつひろ)にバレて……芋づる式に(すぐる)くんまで付いて来ることになってしまったんだ」 「雅樹がいいメシ食おうとしてる時って、なぜか分かるんだよな、俺」  そう言ったのは、Aカンパニーの収入を文字通り支えている、脚本演出家の元俳優、月成(つきなり)光洋だ。目立たないように黒縁メガネにマスクをしているけれど、背は雅樹と同じくらい高く、長めの髪と眼光の鋭さは、猛獣のような野性味がある。 「すみません、強引に付いてきてしまって……」  その横で、申し訳なさそうに言うのは英だ。こちらも黒縁メガネにマスクをしているけれど、本当に売れっ子俳優か? と思うほど、これと言って特徴がない。舞台で何度もその姿を見ているはずなのに、まるで別人のように、見られる人特有の、オーラが無いのだ。 「おら、行くぞたんぽぽ」  しかも光洋は、英が他の人と話すのも気に食わない、とでも言うように、彼を引っ張って行く。 (たんぽぽ? ……ああ、名前が『蒲公英(たんぽぽ)』だからか) 「……仲が良いよね」  いつの間にか隣にいた雅樹が、どこか寂しそうに呟いた。黒兎は同情したように苦笑を向けると、雅樹は先に歩き出す。  やっぱり断れば良かった、と黒兎はため息をつきながら、雅樹の後を追った。

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