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第15話

 黒兎は誘いに乗ったことを後悔しながら、進まない箸を必死に口に運んだ。その間も雅樹と光洋と英は、楽しそうに話しながら食事をしている。時折雅樹が気を利かせて話を振ってくれるけれど、お構い無しに光洋が話題を持っていくので、まともに話すこともできない。 「そう言えば綾原さんは、整膚師さんなんですね」  英も黒兎に話しかけてくる。今は個室にいるのでマスクは取っているけれど、やはりその辺にいる普通のお兄さん、といった風情だ。 「整膚師? 雅樹、いつの間にそんなツテができた?」 「最近お世話になってる方の紹介でね。腕は確かだから、光洋と英くんもやってもらうといいよ」  ようやく光洋が黒兎に興味を示したようだ。しかし彼の鋭い視線に、黒兎は落ち着かなくなる。 (何だろう……品定めされているような感じ……)  その証拠に、光洋はふぅん、と意味ありげに相槌を打ち、その後は黙って黒兎を見つめていた。箸が一向に進まない黒兎に、遠慮せずに食え、と言っているから、多分わざとだ。 「すみません……お手洗いに行ってきますね」  堪らず黒兎は席を外し、トイレへ逃げ込んだ。用を足し手を洗っていると、鏡に光洋の姿が映ったので、反射的に振り返る。 「……何だよ、そんなビビんな」 「すみません……そういう訳では……」 「あっそ。じゃあお前、どうやって雅樹に取り入った?」 「……え?」  黒兎は光洋を見上げた。彼はこちらを冷ややかな目で見ており、言葉の意味を理解して顔が熱くなる。 「いえ、取り入るとか、そんな事は考えてません……」  光洋は黒兎のことを、雅樹の金や権力目当てで近付いた輩だと思っているらしい。そんなつもりはさらさらないし、整膚師と客という立場を変えるつもりもない。しかし光洋は納得いかなかったのか、更に視線を鋭くする。 「言い方を変えるわ。雅樹は自分に必要ない人脈は作らない。お前は何でここにいる?」  黒兎はグッと息を詰めた。光洋の言葉がグサグサと刺さり、心臓が高鳴っていく。 「そ、れは……自分が整膚師で、木村さんが客で……」 「だとしても、対価は払ってる訳だろ?」  それだけで、雅樹が食事に誘うわけがない、と言われ、しかも平々凡々な民間療法を生業(なりわい)にする大人しい男を、と付け足され、黒兎は拳を握った。その通り過ぎて、ぐうの音も出ない。 「そんなの、木村さんに聞けばいいじゃないですか。俺は知りません」  気分が悪いので帰ります、と黒兎は光洋から逃げるようにトイレを出て、そのまま店を出る。  最悪だ。どうして光洋は、黒兎にあんなことを言うのだろう? もしかして、黒兎の気持ちがバレた? と無意識に詰めていた息を吐き出した。  でもきっと、あのまま会話を続けていたら、本当に黒兎が雅樹に片想いしていることがバレただろう。あの何もかも見透かすような、鋭い視線で見られたら、誰だって逃げ出したくなる、と黒兎は自宅マンションに戻った。  リビングのソファーに座ると、背もたれにぐったりと身体を預ける。疲れた、と零すと急に視界が滲んで、あっという間にそれは溢れて零れた。  いっそ嫌いになれたらいいのに。黒兎はそう思って両手で顔を覆う。  分かっている。雅樹は本当に『特別メニュー』のお礼で食事に誘ったのだ。話を聞いて、気持ちよくして、ついでに黒兎も少し気持ちよくなってと、雅樹が奉仕される割合が多いから……だからそのお礼なのだ。  ちなみに『特別メニュー』の時は、当たり前だが金銭のやり取りはない。  しかし、いつまでもこの関係で良いのだろうか? と思う。雅樹もいずれ、今の想いを吹っ切るだろう。そうなると、黒兎は必要なくなる。 「それまで……それまでは好きでいても良いかなぁ?」  誰に向けた訳でもない質問が、虚しく部屋に響いた。

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