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第43話 壊すなら、貴方の手で6

 その後、予定通り雅樹は海外公演へと旅立って行った。会えない日が何日か続くけれど、それは日本にいても同じだし、スマホで声も聞けるのでいいか、と思っていたのだが。 (まさかこんなに連絡が取れなくなるとは思わなかった……)  雅樹一行が中国に到着して一週間。最初に「無事に現地に着いた」とのメールが入って以来、雅樹からの連絡が途絶えてしまったのだ。黒兎は何でもない内容のメールを送ったり、タイミングを見て電話をしてみるけれど、どれもレスポンスがない。  それでも、不要な心配はしていない。なぜなら、キャストのSNSで、彼らは現地の様子を事細かにアップしているからだ。  忙しい雅樹のことだ、きっと自分にかまっていられないほどなのだろう、としつこく連絡しないようにする。  するとインターホンが鳴った。今日は化粧品代理店の営業、牧田(まきた)がアポイントを取っており、黒兎は少し、気が重くなる。  馴れ馴れしくズカズカと心の中に踏み込んで、距離を縮めてこようとするひとは、苦手だ。 「おはようございます!」  なかなかお時間が合わず、ご無沙汰してしまってすみません、と言いながら部屋に上がる牧田。黒兎は「いえいえ」と言いながらも、敢えて会うのを避けていたなんて言えず、サロンの部屋のソファーを勧める。 「どうぞ。……って言っても、御社で購入したハーブティーですけど」 「いえいえありがとうございます」 「それで、ご用件は何でしょう?」  黒兎は敢えて、牧田がお茶を口に含んだタイミングで話し掛ける。嫌なタイミングだと、ひとは思うかもしれないけれど、さすが営業、嫌な顔をせずにお茶を嚥下し、ニッコリと笑った。 「施術用ベッドがリニューアルされまして、そのご案内に」 「……ああ」  牧田はカバンからサッと資料を出すと、ローテーブルに置く。黒兎は一応目を通すものの、今使っている物がまだ使えるし、と思っていると、牧田は「一応ご説明しますね」と資料を指した。 「まぁ、ざっくり言うと、施術を受ける方の負担が、より掛からない仕様になりましたってことです」 「……そうですか。でも、今の時点で購入したいと思うには、弱いですね」  黒兎は柔らかな口調でそう言うと、牧田は「そう言うと思ってました」と笑う。 「なので、私も綾原さんの噂の施術を、受けてみたいと思って」  にこにこと言う牧田は、どうやら他意はないようだ。ただ単に、営業として黒兎が使っているベッドが、どんな寝心地なのかを体感してみたいだけだろう。 「噂って……そんな大したものじゃないですよ」 「またまたご謙遜を~。うちの会社の事務の子が、綾原さんは声だけでも癒されるから、施術でも癒されてみたいって騒いでますよ」  なのに紹介制なうえ、今は枠が空いてないって残念がってます、と牧田は言った。それを聞いて、黒兎は乾いた笑い声を上げる。 「では予約をとりますか?」 「え? いいんですか? 言ってみるもんだなぁ」  わざとらしい、と黒兎は内心呆れた。最初からそのつもりでいたくせに、と思ってスマホでスケジュールを確認する。 「できれば仕事終わりとか……通いやすい時間帯が良いんですけど」 「でしたら夜ですね……二十時以降なら比較的空いてることが多いですけど」  すると牧田は「えっ?」と声を上げた。 「その時間からも入れてるんですか? プライベートの時間取れてます?」 「大丈夫ですよ」  余計なお世話だと心の中で呟くと、牧田は嬉しそうに最終枠の予約を取っていく。 「でもほんとすごいですよね、一人で経営してるの。綾原さんモテるから、引く手あまたでしょうに」 「……」  どういう意味だろう、と黒兎は思わず顔を顰めてしまった。それに牧田はすぐに気付いたらしく、すみません、と謝る。 「えっと……実は俺、綾原さんのことタイプなんですよね。ちょっと探りを入れるような感じになってしまって……気を悪くしてしまったらごめんなさい」 「……」  まさかと思っていたけれど、こうもストレートに来られるとは思っていなかった黒兎は、黙ってしまう。  すると牧田は慌てたように両手を振って笑った。 「びっくりしましたよね。俺、好きになるのに性別関係ないひとなので……」  驚かせてすみません、と謝る牧田に、どうしてか黒兎は笑ってしまった。  今の今まで警戒していたのに、正直で憎めないひとだ、と思ってしまったのだ。 「ええ、びっくりしました。けど、ごめんなさい」  ストレートな物言いなのに、トラウマを植え付けた内田とは何が違うのだろう、と黒兎は思いながらそう言うと、「あ、ソッコー振られちゃった」と牧田は笑う。 「あはは……意外とダメージあるなぁ……」  苦笑して頭を搔く牧田に、黒兎もすみません、と謝った。しかし、綾原さんが謝ることはないですよ、と言われ、牧田が内田のようなひとじゃなくて良かった、と内心ホッとする。しかし──。 『全部お前のせいだ』  突然内田の声が聞こえて、黒兎はひゅっと息を飲んだ。一気に汗が吹き出て、震え始めた手を誤魔化すために、ギュッと拳を握る。 「……綾原さん?」  黒兎の様子に気付いたらしい牧田が声を掛けてくる。黒兎は何とか笑顔で繕うと、そろそろ次のお客様が来るので、と牧田を追い出した。  牧田は心配そうにこちらを見ていたけれど、渋々帰って行く。 「……」  黒兎はスマホを取り出し、電話を掛けた。相手は、雅樹だ。  しかし、やはり何コール待っても出ない。  ここのところ落ち着いていたのに、と全身に力を込めてしゃがみ込む。意識的に大きくゆっくり呼吸を繰り返していると、次第に落ち着いてきたのでホッとした。  良かった、まだ大丈夫だ。  できればもう、思い出したくない記憶だから、と黒兎は立ち上がると、スマホを見る。 「雅樹……声聞きたいよ……」  この状態で声が聞けないのは不安だ、と呟くけれど、無機質なスマホ画面は黒いままで、黒兎をさらに落ち込ませた。  せめてメールだけでも。そう思い、雅樹が中国に行ってから初めて、ある単語を出す。 『声が聞きたい。返信ください』  しかし、そのメールにも彼からの反応は、なかった。

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