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第44話 壊すなら、貴方の手で7
結局、雅樹が中国から帰って来たであろう日にちが来ても、彼からの連絡はなかった。
まだ付き合い始めとはいえ、こんなにも連絡が取れないことはなかったので、黒兎の不安も大きくなっている。
今日も、洗面所に置いた目覚まし時計がうるさく鳴った。重い体を起こし、フラフラと歩いてそれを止めに行く。
ほぼ無感情で顔を洗い、ユニフォームを着た。そしてコンビニへ行こうと準備をして玄関に行くと、ドアの郵便受けにチラシが入っていることに気付く。
見ないのにいつもご苦労なことだな、とそれを取り出すと、白いクラフト封筒が床に落ちた。これもチラシだろうか、と拾うけれど、どこにも企業名や宛先、差出人が書いていない。
不審に思って中身を確かめてみる。入っていたのは便箋で、手紙? とますます不審に思う。便箋を開いてみると、そこにはお世辞にも綺麗とは言えない字でこう書かれていた。
『彼氏とは、会えなくなっちゃったのかな?』
「……っ」
黒兎は思わず辺りを見回した。どうして? 何の目的で? いやそれより、どうやって黒兎に恋人がいると知ったのだろう? 誰だか分からない相手に、黒兎の動向が知られている。それはえも言われぬ嫌悪感と恐怖があった。
黒兎は踵を返し、リビングのテレビボードの引き出しにそれを突っ込む。本当は今すぐ捨てたいけれど、内田の件があってから、証拠となり得るものは取っておこう、と思ったのだ。
『俺だけ特別だったよな?』
脳裏で縋るような内田の声がする。黒兎は頭を振って、それを打ち消した。
「そうだ、早くご飯を買いに行って、仕事の準備をしないと……」
敢えて言葉に出して、自分のやるべきことを脳に刻む。今考えるのは、手紙のことじゃない。
黒兎は外へ出ると、いつものコンビニに入った。しかし、今の手紙のせいか、食欲がないことに気付く。
「あ、おはようございます。野菜たっぷりうどん、今ならありますよ」
商品の品出しをしていたモリヤマが声を掛けてきた。しかし彼は黒兎の顔を見て眉を寄せる。
「大丈夫ですか? 何か、見るからに調子が悪そうですけど」
「ああ、大丈夫ですよ」
黒兎は笑顔で答えた。しかし黒兎の言葉を信用していないのか、モリヤマは本当ですか? と顔を覗いてくる。
その視線から逃げるように、黒兎はペットボトル飲料のコーナーへ行くと、缶コーヒーを三本、カゴに入れた。
「え、今日はお弁当買っていかれないんですか?」
「あ、はい。家にあるので」
レジに行くとそう尋ねられ、黒兎は笑顔で誤魔化す。するとモリヤマは、そうですか、と缶コーヒーをレジに通した。どうやら深掘りするのを止めたらしい。内心ホッとしていると、コーヒーをマイバックに入れたモリヤマは、ちょっと待っててくださいね、と店内を小走りに移動し、すぐに戻って来た。
「これ、俺の奢りです」
そう言って黒兎のマイバックに入れたのはゼリー飲料だ。黒兎は慌てて、そんなの貰えません、と断るけれど、モリヤマは有無を言わさずマイバックを黒兎に渡し、「ありがとうございましたー」と笑顔で見送り、次の客のレジ対応に向かってしまった。
いつまでもレジ付近に立ち止まる訳にもいかず、黒兎はまたお金を支払うから、とモリヤマに声を掛けると、彼は笑顔だけ返す。
(ああもう、年下に心配されて世話焼かれて……情けない……)
黒兎は恥ずかしさで熱くなる顔を手で仰ぎつつ、ようやく夏らしくなった空気にその身を投じた。外はカンカン照りだったのに、家を出る時には気にもしなかったのが何だか可笑しい。
でも、じっとりとまとわりつく空気で思い出すのは、やはり雅樹の優しい手だ。あの少し汗で湿った、張りのある肌を撫でたい。そして、自分の柔らかな部分に触れて欲しい、と思う。
(……朝から何考えてるんだ、俺は)
気温のせいじゃなく身体が熱くなって、黒兎は慌てて思考を停止した。雅樹の言う通り、両想いになっても感情が忙しく動き、しんどいものらしい。ようやく恋人同士らしいことができるようになったのに、どうしてこのタイミングで会えなくなるんだ、と唇を噛んだ。
マンションに着くと、自分の部屋の前に黒いパーカーを着た男が立っているのが見えた。この暑い中フードを目深にかぶり、長袖を着た手はジーパンのポケットに入れられて、共用廊下の壁に凭れている。
(え、何? 見るからに怪しい……)
どうしよう、と黒兎が立ち止まっていると、その男が黒兎に気付いた。顔はサングラスとマスクをしていて、誰だか分からない。恐怖で声も上げられず逃げようとすると、「待て」と止められた。
(この声……)
黒兎はその声に聞き覚えがあった。少し冷静さを取り戻し立ち止まると、彼はサングラスを少し下にさげ、目を見せる。
「話がある。少し良いか?」
「……はい」
黒兎はすぐに男を家に入れた。
「上がって下さい。お茶でも……」
「いや、ここでいい」
男は靴も脱がず、フードとサングラス、マスクを取った。そこには野性味溢れた顔があり、どうして彼が、と黒兎は不思議に思う。
目の前にいるのは、中国から帰ってきたばかりの月成 光洋 だった。
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