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第45話 壊すなら、貴方の手で8
「お前、ちょっと見ない間にまたやつれてんな」
「……何の用ですか? 月成 さん」
月成光洋 。雅樹の幼なじみ同然の仲の、Aカンパニー専属脚本演出家だ。彼も今回は舞台に乗っていて、日本に帰って来たばかりで既に公演の稽古に入っているはず。
「何の用って……ああ、その態度は俺のせいでもあるか。雅樹から伝言預かってきた」
「雅樹から?」
黒兎は思わず光洋を見る。背が高く肉付きもいい彼は、今はパーカーに隠されているけれど、その人気はAカンパニーでもトップクラスなのは頷ける。
「……やつれてっけど、随分いい表情するようになったな」
くい、と顎を掴まれて、黒兎は反射的にそれを払った。くつくつと笑う光洋に、からかわれた、と頬が熱くなると、雅樹が気に入るのも頷ける、と言われて更に顔が熱くなる。こういう、すぐに人をからかうのが気に食わない、と黒兎はジト目で光洋を見た。
「……そんな話をする為にここに来たんですか?」
「ああ悪ぃ。お前、身の回りで変なこと、起きてないか?」
いきなり切り込まれて、黒兎はドキリとした。しかし光洋がわざわざ来たことを考え、雅樹は本当に忙しいのだと察したのだ。一瞬、不審な手紙のことを思い出したけれど、些細なことだし、伝える程のことではないだろう、と黙っておくことにする。
「いえ。雅樹、そんなに忙しいんですか?」
「まぁ……ちょっと面倒なことになってる。でも、お前のことはずっと心配してる。何があっても味方だし自分を信じて欲しいと」
光洋の言葉の後半は雅樹からの伝言なのだろう、雅樹が一番信頼している光洋に伝言を頼んだと言うことは、雅樹が気軽に言えない揉め事に巻き込まれているのかもしれない。
「あと、これも雅樹から……」
そう言って渡されたのは小さなメモ用紙。受け取って見てみると、そこには光洋のプライベート用スマートホンの番号が書いてあった。そして雅樹の字で、「番号を交換しておくように」とある。
どうしてわざわざこんなことを、と光洋を見ると、彼は気まずそうに頭を搔いた。
「今雅樹が巻き込まれてる件、事情を知ってて動けるの、俺くらいしかいねぇんだ」
散々お前には嫌なことをしたし、最終手段でいいから、と言う光洋。彼のその言葉に、ただならぬことになっているのだ、と黒兎は背筋が寒くなる。
雅樹の言う通り、黒兎は光洋と番号を交換すると、彼はホッとしたようだった。
「片がつくまで連絡は取れねぇかもしれない。様子が知りたかったら俺にでも聞いてこい、教えてやる」
「……あの、何が起きてるんですか?」
さすがにここまで警戒していることに不安になって、黒兎は尋ねてみる。しかし光洋は「聞かない方がいい」とサングラスをかけた。
「俺もそれなりに顔が知られてるからな。お前の家に来たことは誰にも言うなよ」
そう言うなり黒兎の部屋を出て行った光洋。ガチャン、と重たい音を立てて閉じた扉は、雅樹との間を遮断されたように感じた。
◇◇
八月に入って二週目。来週からAカンパニーは約一ヶ月間の公演に入る。その頃黒兎はポストに入っていた封筒にため息をついていた。
最初の手紙からこれで四通目。どれも汚い字で『いつも見てるよ』『野菜も食べてね』『夜は眠れたかな』と黒兎のプライベートに関わる言葉が書いてあった。手紙の内容から、差出人が分かるかもと考えてみたけれど、何も分からない。
しかも、手紙が投函されるのは時間もまちまちで、黒兎のことを知っていて、ある程度時間の自由が利くひと、ということしか分からない。
(まいったな……)
ただでさえ外に出ることが億劫なのに、拍車をかけて出たくなくなる。合わせてひとに会いたくなくなるから厄介だ。つくづく、客商売に向いてない性格だな、とまたため息をついた。
誰かに相談するべきか? と黒兎は迷う。けれどそれができる相手は限られているし、そちらに矛先が向くのは避けたい。忙しい雅樹になんて、もってのほか。警察も、実害がない限り動いてはくれないだろう。
そんなことを考えていると、インターホンが鳴った。黒兎はドアスコープを覗いて相手を確認してから、ドアを開ける。
「こんにちは、綾原さん。お荷物お届けに参りましたー」
爽やかな笑顔でいたのは佐々川だ。黒兎はホッとして荷物を受け取る。出不精に拍車が掛かって、日用品も通販で買い始めたので、それが届いたようだ。
すると、佐々川は興奮気味に話しだした。
「Aカンパニーの社長、結婚されるんですってね」
「えっ?」
唐突な内容に思わず聞き返すと、佐々川は知らないんですか? と詳しく話してくれる。
「週刊誌に恋人がリークされて、今テレビとかでも、これでもかってくらいに取り上げられていますよ」
ワイドショーで突撃インタビューされてるの見ましたけど、木村社長ってあんなにイケメンだったんですね、と楽しそうに語る佐々川。黒兎はそれをなぜか他人事のように聞いていた。
(厄介なことってこれのことか?)
黒兎は笑顔を見せる。
「そうなんですね。そういう情報には疎いので……」
「そうですか。もう結婚式の日取りも決まってるらしくて、テレビで生中継されるって言ってましたよ」
佐々川自身、芸能界のスキャンダルにはあまり興味がないようだけれど、雅樹の経歴をテレビで見たらしく「あんな完璧な人間っているんですね!」などと言っている。
足の力が抜けそうだった。
そのあと何とか平静を装って佐々川と別れたものの、黒兎はリビングに行くとソファーにへなへなと座る。
結婚式って、なに? それがテレビでひっきりなしに流れてるって、どういうこと?
「まさか、俺たちの関係がバレて……」
雅樹が弱みを握られているんじゃ……。そう思ってスマホを取り出す。けれど指の震えと共に視界が滲んで、嗚咽が漏れそうになって慌てて口を手で塞いだ。
『雅樹に後ろめたさを感じさせずにいられるのか? できねぇだろ』
二年前、あの事故が起こる直前に光洋に言われた言葉だ。そのあと彼は謝ってはくれたけれど、こんな形でこの言葉の重さを感じるなんて、と涙を拭う。
「……だめだ。雅樹を俺に縛り付けたら……」
自分とは桁違いに、多くのものを背負っている雅樹。そんな彼に平々凡々な自分が釣り合うはずがなかったのだ。
普通にしていれば交わることのなかった二人の人生。黒兎が無理やり引き寄せた。
(うん。やっぱり雅樹に迷惑は掛けられない)
そっと雅樹から離れよう、丁度連絡も取れなくなっているし、と黒兎は雅樹にメールを送る。
『結婚のこと、聞きました。俺は貴方の弱みになりたくないので別れましょう。今までありがとうございました』
送信ボタンを押して、長く息を吐いた。グッとお腹に力を入れて、吐き切るまで吐いて、小さく丸まる。
まさか初めての恋で初めてのお付き合いが、こんな終わり方になるとは、とため息をつく。そして、雅樹と光洋の電話番号を着信拒否にした。ついでにメールも拒否しておく。
「……大丈夫、元の生活に戻……っ」
最後までいい切る前にまた嗚咽が出た。声と感情を押し殺し、瞼と拳にギュッと力を入れるけれど、耐えられなくなって咽び泣く。
「本当に……っ、恋って苦しいばかりだ……っ!」
こんなに苦しいならいっそ、全てなかったように振る舞うことができたら。
黒兎はそのまましばらく動けなかった。
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