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第48話 壊すなら、貴方の手で11
「綾原さん、ここで怪我を治したら、引っ越ししますよ」
しかも秘密裏に。私も協力します、といずみはなぜか楽しそうに言った。
牧田が渋々帰ったあと、いずみは黒兎の保険金について軽く説明し、黒兎に何が起きたかを聞いて、そう切り出す。
「牧田さんからも聞きましたけど。また絡まれてたんですね」
「……すみません……」
「いいえ。ただ、久しぶりだというのに、こういう形で再会するのには怒っていますよ」
どうして早く相談してくれなかったんですか、といずみはわざとらしく頬を膨らませた。いずみは前回、内田に襲われた時にも、家に入って世話をしてもらった時期がある。明らかに盗聴しないと分からない情報が書いてある手紙を見つけて、大体のことを察した、と言っていた。
「失礼かと思いましたけどね。そこまでしないと、綾原さん言わないから」
「……すみません」
しかし保証人となっていたとはいえ、大家に呼ばれただけでそこまでするだろうか、と思っていると、いずみはすぐにその答えを話してくれる。
「木村社長から、というか、木村社長の代理人から、綾原さんを目の届く所に匿いたい、と相談がありましてね」
「……雅樹が?」
黒兎の問いに頷くいずみ。
「どっかの誰かさんが、一方的に別れを告げて連絡を絶ったから、彼に何かあった時に連絡が取れないと困る、だそうで」
なるほど、だからいずみは黒兎の世話を焼きにきたのか、と納得する。そして目の届く所に匿いたいとまで言う雅樹に、黒兎は戸惑った。
「どうして? ゴタゴタしてるから、足を引っ張りたくないって思ってそうしたのに……」
するといずみは大きなため息をつく。
「そう……そうなんですよね。綾原さんはそっちへ行きますよね……」
しまいには頭を抱え込んでしまったいずみ。仕方ないとでも言うように肩を竦めて、テレビを見つめた。
「木村社長は私には何も話さなかったですけど、何も聞かずに協力したいと思うくらいには好きですし、何より綾原さんの彼氏さんですからね」
「……」
『雅樹に後ろめたさを感じさせずにいられるのか?』
蘇る光洋の言葉。自分に必要ないひとには容赦がないくせに、身内にはとことん甘い雅樹。本当に、自分がいたら迷惑なのではと思っていたのに、と黒兎は目頭が痛くなった。
「逃げちゃダメですよ。こんなに大事にされてるんだから」
「……はい」
黒兎は左腕で目を隠すと、鼻を啜る。今の黒兎は、雅樹の愛と、いずみの優しさで支えられている。ほんの少しの衝撃で傷口が開いてしまう自分を、嫌わないで、呆れないでいてくれる存在がとてもありがたかった。
いずみはそんな黒兎に何も言わず、落ち着くまでそばにいてくれる。そして目から腕を外すと、いずみは綺麗に笑った。
「くれぐれも秘密裏に、とのことなので、牧田さんとはきちんとお別れしてくださいね」
それを笑顔で言う辺り、いずみも人間関係ではシビアな部分を持っていると知らされる。そうでなければやり手の保険屋にはなれないのだろう。だから先程は牧田に辛辣な言葉を掛けていたのか、と納得した。
しかし、それほどまでに警戒しているとなると、雅樹の立場も相当危ういのでは、と心配になる。いずみは事情を知らないようだし、引っ越ししたらその辺りの事情も雅樹に聞かないとな、と黒兎は思った。
(あ、そうか)
いずみは内田の件ですでに一度巻き込まれている。事情を話さないのは、彼女を守るためなのか、と思い至り、いずみにも嫉妬していた節がある雅樹の本気が窺える。
◇◇
一人暮らしと、精神的にも不安定だということもあって、黒兎は肩が完治するまでその病院に入院させられた。どうやら雅樹の息が掛かった病院だったらしい、と気付いたのは、念入りに退院していいかをカウンセリングで調べられたからだ。病床が不足しているこのご時世に、そこまで入院させるのは珍しい、と黒兎は思っていたところに、さすがに、病人じゃなくなれば入院は難しいから、と医師に言われてハッとした。
お迎えには、やはりいずみが来た。そのまま貴重品だけを持って、彼女の運転する車でとあるマンションに着く。
部屋に入ると、いずみはなかなかいい物件ですね、と辺りを見回す。
間取りは2LDKで、黒兎のマンションと同じだが、管理人が監視するロビーにオートロックと防犯もそこそこ。そして部屋の広さが違うし、収納の大きさや床暖房など、付いている機能が格段に上だ。
そしてすでにある程度の家具家電が入っていて、どこまで至れり尽くせりなんだ、と呆れる。多分、ここも雅樹の所有物なのだろう。
「えっと、木村社長からの伝言です」
いずみは大袈裟にメモ用紙を広げてそれを読み上げた。
君は家政婦などは嫌がるだろうから、毎日の食事だけはスタッフに持っていかせる。だから一歩も外へ出ないように、この部屋で過ごしていて欲しい。ほとぼりが冷めたら、迎えに行く。
「はあっ?」
「必要な物があれば部屋にあるパソコンでメールを。それもスタッフに届けさせる」
いくらなんでも、これでは軟禁じゃないか、と黒兎は愕然とした。どうしてここまでやる必要があるのか、と雅樹に少し不信感が芽生える。
「あららここまで。……すごいですねぇ、それとも木村社長、何かピンチなんでしょうか?」
私には分からないですけど、と苦笑するいずみ。その言葉に、黒兎は光洋の言葉を思い出した。
『まぁ……ちょっと面倒なことになってる』
面倒なことって何だろう、と思う。結婚報道と、何か関係があるのだろうか? 確かに、連日報道陣に囲まれているらしいと聞いたけれど、それで黒兎をここまでして匿う理由が分からない。
「とりあえず、大人しくここで過ごすしかないですね」
連絡を絶った黒兎に、わざわざこうして接触してきたのだ、それに逆らうのは得策ではない気がする。
そう黒兎が言うと「そうですねぇ」といずみは笑った。
「なんか綾原さん、可愛くなりましたね」
「はあっ!?」
彼女の思ってもみない発言に、つい大声を上げてしまう。そんな黒兎の反応を見て、いずみは笑った。
「すみません、何となくですけど」
彼女いわく、前は癒し系でありつつも、人を寄せ付けない何かがあったけれど、今はそれが薄れている、だそうだ。間違いなく雅樹の影響だと断言され、黒兎は顔が熱くなる。
「じゃあ、ここに着いたらパソコンから連絡するようにってメモに書いてあるんで……私は失礼しますね」
「ああ、はい。……ありがとうございました」
黒兎は熱くなった顔が収まらないまま、いずみを送り出した。
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