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第49話 壊すなら、貴方の手で12
黒兎は早速、リビングに備え付けてあったパソコンデスクに座り、ノートパソコンを起動する。
メールアプリを開くと登録アドレスは一つしかなく、ここにいる間、連絡していいのはこのアドレスのみだとメモ用紙に書いてあった。
『皆川さんに送って頂き、部屋に着きました』
そんな内容のメールを送ると、程なく返信が返ってくる。
『お疲れ様です。こちらはスタッフが交代で確認しておりますので……』
堅苦しい挨拶文も抜きに書いてあったのは、メモ用紙と大差ないことだった。この部屋から出ないこと、このメールアドレス以外には連絡を取らないこと、何かあればすぐに連絡すること、などなど。
『必要なものは揃えてありますが、不足しているものがあれば教えてください。物品をお届けに上がる際は、事前に日時、スタッフの名前をメールでお伝えします』
「……」
これはかなり警戒しているようだ。どうしてここまでするのだろう? 雅樹がピンチなら、雅樹を護っていればいいだろうに。
黒兎はその疑問をメールしてみた。しかし、返ってきたのは、先日光洋が言っていた言葉そのものだ。ほとぼりが冷めたら話す、と。
『不安かとは思いますが、綾原さんの心身のことを考え、木村が判断したことです。尚、木村には連絡はしないで頂けると助かります』
スタッフからの返信に、これは本当に本気で黒兎を匿うつもりだ、と黒兎は寒気がした。一体何が起きているというのか。
『毎日七時、十二時、十九時にスタッフがお弁当をお届けに上がります。これは木村からの強い要望ですので』
「……ああ……」
見透かされている、と黒兎は苦笑いする。放っておくとすぐ食事をサボる癖は長年のものなので、正直ありがたい。
一通りこの部屋での過ごし方をメールで確認すると、黒兎はリビングを見渡した。全体的に落ち着いた雰囲気のコーディネートは、黒兎の心も落ち着かせたし、あの悪夢を見たタイミングで、環境が変わったことは良かったと思う。自宅のソファーを見る度、影に内田がいるんじゃないかと疑ってしまうから。
黒兎はリビングの一人用ソファーに座る。正面には部屋に見合った大きさのテレビがあり、電源を入れてみたけれど、どうやら国営、民営ともに番組は映らないようだ。
代わりにブルーレイデッキがあり、テレビボードには沢山のAカンパニーのブルーレイが収納されている。
一体いつまで、ここにいればいいのだろう? 雅樹のことだから、退屈させないようにしてくれるかもしれないけれど、それも申し訳ない。
すると、黒兎のスマホに着信がある。相手は牧田だ。
そういえばあれから、きちんと話していないし、いずみからもちゃんとお別れしろと言われている。
黒兎は電話に出ることにした。
「もしもし?」
『ああ綾原さん。良かった、心配だったので声だけでもと思って』
「すみません、バタバタしてて……」
『怪我は大丈夫なんです?』
黒兎は、怪我が治って退院していることを説明する。すると牧田はいつ仕事を再開するのかと尋ねてきた。
「……あー、思ったより自分、ショックを受けてたみたいで。まだしばらく休業します」
そう言って誤魔化すと、牧田は「よければですけど」と前置きして話し出す。
『力になれることがあれば言ってください。家事でも話し相手でも、何でもいいんでやりに行きます』
「え、いやそこまでしてもらう訳には……」
『好きな人が弱ってるなら、支えたいと思うのは変ですか? 迷惑は承知ですけど、綾原さん、このままフェードアウトするつもりじゃないですか?』
思ったより本気の声で言われ、黒兎は息が詰まった。図星だし、もう、適当に流せばいいかと思っていたことが、できなくなる。
『俺は、綾原さんとはこんな風に終わらせたくないです』
一度きちんとお話させてください、と真摯な声の牧田に、黒兎は断ることができなかった。雅樹のことを伝えるのが一番だろうけど、内田のことがあって、黒兎はアウティングを恐れて言えない。
黒兎は相手に気付かれないように深呼吸をすると、スマホを持つ手に力を込める。
「牧田さん、お気持ちは嬉しいのですが、お会いして話すのは今は無理です」
『どうしてですか?』
「……」
ストレートな問いに、黒兎は答えられなくなってしまった。どうしてもです、と震える声で言うと、何か隠していないですか、と核心をついてくる。
何も言えずに黙っていると、分かりました、と牧田は言った。
『今から綾原さんのお宅に行きます』
「待ってください、お願いします」
しかし黒兎が一生懸命彼を拒否すればするほど、牧田は更に食い下がってくる。
『こんなに人のこと、放っておけないって思ったの初めてなんです。お願いですから、少しは人を頼ってください』
「……ごめんなさい、牧田さん。俺は……」
『今、綾原さんの部屋の前に着きました』
開けてください、と言われ、黒兎はどっと嫌な汗をかいた。自宅にいないことが分かれば、帰ってくれるだろうか。
「無理です、今自宅にはいませんから」
『では、どうしたら会ってくれますか?』
「落ち着いたら。……必ず連絡しますから」
そう言った黒兎は、この状況が内田の時とよく似ていることに気付いてしまった。意味もなく噎 せ、それがきっかけで咳が止まらなくなり、呼吸ができずに苦しくなる。途端に牧田の声が慌てたように大きくなった。
『綾原さん!? 大丈夫ですか!?』
止まらない咳を何とかしようと、呼吸を大きくするけれど、やはり咳が出て上手くできない。
「ごめ、なさい。何か、噎せちゃって……っ」
『噎せるって咳じゃないですよそれ! 本当に、今どこにいるんですか!?』
黒兎は苦しくて涙目になり、嘘をつくどころじゃなくなる。喘ぎながら俺にも分からないんです、と言ってしまった。
『分からない!? どういうことです!?』
「知らされないまま連れて来られました。恋人の家ですから大丈夫です、切りますね」
『えっ? 綾原さん!?』
一気に言うと黒兎は通話を切る。それでも咳は止まらず、手足が痺れてきた。苦しい、このままでは死んでしまうかもしれない。そんな考えがよぎり、懸命に這ってパソコンで文字を打とうとする。
(ダメだ、ふらついて文字が……)
手足が痺れて身体が上手く動かせず、とりあえず何かキーを押して送信さえできれば、とキーボードを叩いて送信ボタンをクリックした。
すると助けを求められたことで安心したのか、その場に横になると、少し呼吸が楽になる。けれどやはり手足は痺れたままで、頭もボーッとしていたので大人しくそのまま横になっていることにした。
「雅樹……」
顔が見たい、声が聞きたい、少しでいいから。そう思って黒兎は目を閉じた。
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