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第50話 壊すなら、貴方の手で13

 黒兎が床に転がってから数分後、インターホンの音がした。誰かが黒兎のメールを見て来たのだろうか? それにしても早すぎる。  しかし黒兎は動けなかった。身体に力が入らず、応答することができない。  すると、ドアをノックする音がした。 「綾原さん? Aカンパニーの菅野(すがの)です」  冷静な、ともすると冷たい印象がある声がする。しかし黒兎が応じないと分かると、開けますよ? と断りを入れてから鍵を開けた。どうやら合鍵を持っているらしい。 「綾原さん? どちらですか?」  声を掛けながら入ってきた男は、声の印象と全く同じ、真面目そうな男だった。スーツを着たそのひとは黒兎を見つけると、早足でそばに来る。 「どこか痛むところは?」  やはり冷静に聞いてきた菅野は、黒兎の様子を観察するように顔を覗き込んできた。黒兎は僅かに首を横に振ると、目眩がして目を閉じる。 「頭を打ったりはしてないですね?」 「はい……」  ほとんど吐息のような声で返事をすると、菅野はスマホを取り出しメールを送信したようだ。彼はすぐにそれを胸ポケットにしまうと、大丈夫ですよ、と表情を変えずに言う。 「あの……」 「……無理して話さなくていいです。慣れていますので」  それはどういうことだろう? と黒兎は思った。けれど今は聞く気力がなく、ぐったりとしながら呼吸を落ち着かせる。  菅野はそのまま、黒兎が落ち着くまでそばにいてくれた。まだ手足が痺れているものの、起き上がれるほどに回復すると、そこでようやく菅野が何があったか聞いてくる。 「取引先の営業さんに、今どこにいるのかしつこく聞かれて……」  そう言いながら、黒兎はなぜそれだけで? と聞かれることを想定しておらず、しまった、と思う。けれど菅野は「どの会社の、何という方ですか?」と聞いてきた。 「木村から、綾原さんはナイーブになっているので、できるだけフォローをして欲しい、と指示を受けています」  そして申し遅れましたが、と菅野は名刺を取り出した。素直に受け取るとAカンパニーマネージャー・菅野(みつる)と書かれている。 「実はスタッフが、このマンション内に交代で待機しています」  だからいつでも駆けつけますのでご安心ください、とやはり表情も変えずに言う菅野。しかし、黒兎には自分にそこまでする理由が分からなかった。 「あの、なぜそこまでして俺を匿うんですか?」 「……木村の恋人が、貴方だからです」 「……え?」  やはりと言うべきか、雅樹の恋人ということはバレていたらしい。しかし、なぜそれで軟禁されなければいけないのか。  すると、菅野は胸ポケットからスマホを取り出し、画面を見る。すると電話を掛け、その画面を黒兎に見せた。──相手は、雅樹だ。 「直接会話することは今は控えてください。聞かれているかもしれないので」  菅野がそう言うと、呼出音が途切れ、雅樹の声がした。久しぶりに聞く雅樹の声は、少し疲れているようだったけれど、最初の一声で泣きそうになるほど安心する。 『はい、お世話になっております』 「菅野です。綾原さんに近付く人物がいるようです。調査しますか?」 『ああ、その件でしたらお任せします。見積もりはまたメールで送って頂けますか?』 「ではそのように。あと、かなり不安がっているようなので、内容をお話ししてもいいでしょうか?」 『そちらの仕事ぶりにはいつも感動していますよ。ああ、でもくれぐれも安全設計でお願いしますね』  どうやら雅樹は取引先と通話している体で話しているようだ。そこまで徹底して黒兎との繋がりを隠すのは、やはり何か大きなことが起こっているんだ、とドキリとする。 「綾原さん、ひと言何かあれば今のうちに」  そう菅野に促され、黒兎はギュッと拳を握った。 「……雅樹……」 『ああ、どうも相田社長。お久しぶりです』  雅樹は適当に相槌を打ってくれる。それが嬉しくて涙が出てきてしまった。 「声聞けてよかった……」 『ええ是非、また食事でもしましょう』  会話は噛み合っていないものの、雅樹は黒兎の言葉に肯定してくれているのが分かる。 『次の舞台、一緒に成功させましょうね』  大丈夫だから安心して、と言葉の裏を読み取って、黒兎は涙が止まらなくなった。そのまま切れた通話にぐす、と鼻を啜ると、菅野はスマホをしまう。 「お話しした通り、木村の会話は今、常に誰かに聞かれている状態です」  綾原さんは木村の結婚報道をご存知ですか? と聞かれ黒兎は頷いた。日を追うごとに激しくなる報道に、気持ち悪さを覚えたのが印象的だった。 「それなら話が早い。報道陣に常に張り付かれ、身動きが取れない状態なんです」  だから連絡が取れなかったのか、と黒兎は納得する。しかし、それと黒兎の軟禁とどう関係するのか? 「これはまだ、木村と月成(つきなり)と、私を含めた数人のスタッフしか知らないことですが、結婚報道は木村の父親が婚約者と名乗る女性と手を組み、勝手に言っていることなんです」 「え?」  どうして? 何のために? と黒兎は思う。それが顔に出ていたらしい、菅野は一つ頷いて、とりあえずソファーに座りましょうか、と手を貸してくれた。  雅樹と父親の仲が悪いことは知っていた。雅樹が高校生の時から、彼は父親の尻拭いをさせられていたと聞いているし、父親の目に余る言動に、雅樹の祖父はAカンパニーの経営権を雅樹に渡した程だ。それでも、最近までは大人しくしていたという。 「残念なことに、木村の父親……(いつき)さんは、最近木村の弱点を嗅ぎつけてしまいました」  ドクン、と心臓が大きく跳ねた。まさか、雅樹の父親に自分の存在を知られてしまったのか。 「まさか……」  そう言った黒兎の声は掠れてしまった。けれど菅野は頷く。 「ええ。まだ綾原さんと特定できていないはずですが、恋人との仲をバラされたくなければ、自分の息が掛かった女性と結婚して後継を産めと。それが嫌なら自分に経営権を戻せ、と言っているそうです」 「そんなめちゃくちゃな……!」  そう叫んで、やはり自分は雅樹の足を引っ張ることになってしまった、と頭を抱えた。こんなことなら、雅樹も素直に自分と別れていればよかったのに、と。 「このままでは綾原さんにも、危害を加えたり、報道陣が押しかけることになりそうだったので、秘密裏に匿うことにしたんです」 「そんな……そんなの、俺を切り捨てればいい話じゃないですかっ」  まさかそこまで大きなことになっているなんて。そう呟くと、菅野はいいえ、と首を振った。 「木村は貴方を離す意思はないそうですよ?」 「だ、って、……俺だって雅樹の重荷になりたくない……っ」 「重荷だなんて思ってませんよ。木村は木村なりの方法で、貴方を守ろうとしているんです」  そう言って、菅野は時計を見た。 「そろそろお茶の時間ですね。コーヒーを淹れますので」  どこまでも事務的で冷静に話す菅野に、黒兎は八つ当たりに近い形で、彼にムカついていた。  ◇◇  それから一週間、黒兎は本当にその部屋から出ずに過ごした。一体いつまでこんな生活をするんだ、と思っていると、インターホンが鳴る。スタッフが朝食を持ってきたのだろう。  インターホンのカメラで確認すると、確かにAカンパニーのスタッフだ。黒兎は玄関に行きドアを開ける。  しかし、開けたドアから見えたスタッフの表情を見て、黒兎は嫌な予感がした。案の定影から二人の大柄な男が出てきて、黒兎の腕を掴む。 「綾原さん、ちょっと来てもらいますよ?」 「え、ちょ、……何なんですか!?」  抵抗する間もなくみぞおちを殴られ、黒兎は呼吸ができなくなり、うずくまろうとする。しかしそのまま男の一人に担ぎ上げられ、部屋の外へと連れ出された。 「すみません、ごめんなさい綾原さんっ」  涙目になったスタッフが謝っている。そうか、このスタッフが雅樹を裏切ったのか、と思って顔を確認しようとしたけれど、そのまま意識を失ってしまった。

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