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第6話

好きだから分からなくなるし 好きだから言えないことがあって 好きだから許せない時もあるし 好きだから離れようと思ってしまって ・・・それでも、やっぱりきみを・・・ 東京から、沖縄へ移ってきて1カ月が過ぎた。 面倒な手続きも済ませ 家の中も片付くと やっと落ち着いた気がした。 男ひとり所帯だから 大した荷物があるわけじゃないけれど 画材道具や書きかけの絵画 作りかけのフィギュアなんかが結構あって とりあえず、東側の涼しい部屋にそれら全部は押し込んだ。 俺が越してきたのは 那覇市から北へ一時間ほど車を走らせた場所で 陶芸が有名な、村中に島唄が溢れているのどかな村・・・。 こっちへ来てからは 午前中は絵を描いたり、創作活動をしたりして 午後になるとほぼ毎日のように 岩場だらけの岬まで釣竿片手に 錆ついた中古の自転車をこいで行くのが俺の日課になっていた。 東京での生活で 自分の心が追い詰められていたとは感じてはいなかったけど 沖縄へ来てゆっくりと過ぎていく時間に身を委ねてみれば 朝は腹が減って目が覚めるし 三度の飯も旨く感じる。 当たり前の事なんだけど 食が細い俺にしてみれば 朝飯を毎日食べるなんて・・・ 母ちゃんが居た頃だって稀だったから こんな健康的な生活は新鮮だった。 時間はゆったりと流れていくのに 海の色も、空の色も 庭に咲く花の色も、街路樹の葉っぱの色も 地面の色も、家々の色も ・・・とにかく目に映るすべての色が鮮やかで 肌で感じる日差しは強烈だった。 潮風の匂いが、身体に染み付いた隼人クンの香りを消していき その面影もぼやけていく感じがしていた。 こうやって、隼人クンとの事が痛みではなくて 少しずつ俺の中で懐かしい思い出に変わっていくのは 少し寂しい気もしたけれど・・・ 彼女とよりを戻して幸せになってくれる方が普通だし 隼人クンの笑顔だって増えるはずだから 嬉しいって思うしかない。 だって、彼女相手に ひとりの男を取り合うなんて・・・ 酒のつまみにも、笑い話にもならねえじゃん? きっと、時々・・・ 思い出すぐらいが丁度いいんだ。 離れてみて気付いた。 取り巻く環境や、置かれた立場 大人の常識や世間体・・・。 色んなモノが邪魔をして お互いに気持ちを隠しあっていたんじゃないかなって・・・ 『言わなくても・・・気づいてよ?』 『言わせてくれないのが悪いんでしょ?』 相手に罪をなすりつけて 後ろめたい気持ちを 自分を正当化する事で誤魔化してたんだと思う。 『好きだ』って気持ちを吐き出せず 隼人クンの気持ちも受け入れられなかった。 そのくせ、身体だけは重ね合って・・・。 俺の悪い癖だ。 周りどころか、自分まで見失って 隼人クンと、隼人クンの彼女を傷つけた。 先に声をかけたのも俺。 傷つけたのも俺。 そんな俺が・・・ 今更合わせる顔なんてないじゃん? もう・・・ そばには居られないよ・・・ ふうっ・・・と、思わず出てしまった溜め息 「情けねぇ・・・  全然、忘れてなんかないじゃん」 独り言を零して、目の前に果てしなく広がる海を見つめる。 海から吹き付けてくる潮風が髪を乱し 心までざわざわと乱れさせてくるみたいだ。 隠しても押し殺しても 未だに『好きだ』と、繰り返し溢れてしまう気持ち。 心の奥に淀んだ、忘れられないこの想いも きれいさっぱり吹き飛ばしてくれてらいいのにと 鼻でふっと笑ってみる。 海を見つめた青年を描いた「夢」の絵 今の俺は・・・ あの絵を描いた時から何一つ前に進んでいない。 海の向こうに広がる無限の世界を見つめ 過去を振り向かずに歩こうとの想いを込めて描いたのに 一歩も進んでいないような気がして はぁ・・・っと行き場のない溜め息を零した。 垂らしたままの釣り糸には 小ぶりの魚が一匹かかっただけ。 それでも、酒の肴にするには十分だ 野菜は、近所の婆ちゃんが 「食え食え」と勝手に置いていく。 遅くなると婆ちゃんが心配するから 禄でもない事を考えてないで日が暮れないうちに帰ろうと 重い腰を上げた。 帰りがけに 明日の朝飯用にパン屋に寄ろうかと思いながら 自転車の荷台にクーラーボックスをくくりつけ のんびりとペダルをこいだ。 「・・・あははは」 家に着く手前、隣の庭先から笑い声が響いた 楽しそうな、若々しい声・・・ お隣りと言っても、広々とした畑の先だ。 俺をまるで孫みたいに可愛がってくれる世話好きの婆ちゃんと ぶっきらぼうな爺ちゃんが住んでいるだけ。 爺ちゃんは、沖縄ならではの陶器を作っている職人さんで 見た目は、どこにでも居そうな無口で取っつき難い爺ちゃんなんだけど 凄く有名な陶芸家さんだった。 村役場の人とか、郵便局員でも来てるのかと 深く考えもせずに、庭の軒先へ自転車を停めて 玄関の鍵を開けた 奥の台所で、魚を捌いていると 「岬くん、帰ったぬか?」 婆ちゃんの声が、開け放した東側の窓側から聞こえた。 縁側に腰を下ろし 世間話をしてくる婆ちゃんと話すのにもだいぶ慣れてきた。 須美子さんって名前なんだけど、名前で呼ぶより 婆ちゃんって呼んだほうが近く感じて。 ううん・・・ 本当の祖母みたいな気がして、婆ちゃんって呼び続けていた。   「うん、ただいま。  いま、お勝手してるから手が離せないんだよ  話があるなら、ちょっと上がってよ」    声を張って答えると 「やいよ~」と、語尾の上がる独特の訛りが聞こえた。 「ほれ、あんたも上がりんさー?」 婆ちゃんが誰かを促している声がしたから 「誰か一緒?」 振り向かずに訊けば・・・ 「東京から岬くんんかい会いんかい来たって、お客さんさー」 え? 客・・・? 此処を知ってるのは、宗次郎と 絵画を置かせて貰っている画廊の社長だけのはず。 「あ~・・・誰だよ?」 ガス台の火を止め、生臭い手を洗った。 居間を横切り、婆ちゃんが居る部屋へ入って 身体が固まった。 嗅ぎ慣れた、甘い香水の香りが鼻孔を擽る 背中の丸まった、小さな婆ちゃんの後ろに ぴんと背筋を伸ばした隼人クンが 俺をじっと見つめて座っていた。 「・・・何で・・・?」 思わず出た言葉に、婆ちゃんが笑いながら 「ちむがかい(心配)で会いんかい来たんだってさ~  確かんかい、あんたや頼りなさげだよさ~」 その、間延びしたからかうような言い方に救われた。 「そんな事ないよ?  ちゃんと家事、やってるし・・・」 唇を尖らせた俺と、婆ちゃんのやり取りが可笑しかったのか 隼人クンが、口元を隠して笑ってる。 ・・・なんで、笑えんだよ・・・ 「ぬー(どれ)・・・お婆やけーゆん(帰る)よ  夕飯、くぬちゅぬ(この人)分あるぬかい?」 「うん・・・大丈夫。  ありがとうね・・・」 頷いた俺に 「あちゃー(明日)、茹でたグスントーナチン(トウモロコシ)持ってきてやるからさ~」 と、曲がった腰をかがめたまま、婆ちゃんが帰った。 俺はその後ろ姿を見送りながら、隼人クンを振り返らずに 「・・・何しに来たの?」 抑揚のない声で訊く。 自分でも驚くほど冷たい声が、耳に響く。 蝉の鳴き声が、馬鹿みたいに煩い・・・。 「・・・逢いたくて・・・  岬くんに言いたい事があって  伝えなきゃいけない事があって  会いに来たんだよ」 1カ月ぶりに聞く声が・・・ 俺の名前を呼ぶ甘い声が 優しく胸に広がっていく。 その、たった一言で 「好きだ」って気持ちが溢れてしまう。 でも・・・ 今更、言いたいことって何? まさか・・・ 結婚の報告とか? 隼人クン、胸が痛い・・・ やめてよ・・・ 苦しい・・・ 隼人クンから告げられる言葉が、怖くてたまらない。 もし・・・ もしも「好きだ」って言われたとしても 俺は何も言ってくれなかった隼人クンを 殻に閉じこもったままの自分を棚に上げて 身勝手に憎んで 傷つけて 疑って 困らせて ・・・忘れようとした。 こんな狡い俺が 隼人クンを好きでいる資格なんてない。 だから、このまま何も言わないで欲しい・・・。 「・・・俺は・・・聞きたくないし  言いたいことなんて何もないよ。  ・・・今夜は、もう仕方ないから泊まっていいけど  明日、朝イチで帰って・・・」 声が震えないように・・・ 素っ気なく、言葉を発した。 隼人クンはきっと 「そっか・・・」って困ったように微笑んで 言いたいことを飲み込んでくれるはずだ。 だって、ずっとそうだったから・・・ なのに・・・ 「嫌だ・・・やっと見つけたんだ・・・  岬くんが好きなんだ!  俺は岬くんの事が出逢った時から、好きなんだよ!」 大きく息を吸う音が聞こえて その後に続いたのは ・・・予想外の言葉・・・ いちばん聞きたくて いちばん聞きたくなかった台詞。 「岬くん、俺は君のことが大好きなんだ!  ずっと、言えなくてごめん・・・」 矢継ぎ早に繰り返される「好きだ」という言葉に 俺はどう答えていいか、分からなくなって その場に、ぺたりと座り込んだ。

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