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第4話

可愛い人を見つけてしまった。 甘やかしたくて、たまらない。 そんな気持ちになったのは初めてだった。 教室で、昨日会った凛ちゃんの事を考える。 何かに怯えたワンちゃんみたいで、見ていて凄く切なくなってしまう。 傷ついている人って、どうして笑顔でごまかそうとするんだろう。 本当は誰かに気づいてほしいのに、気づかれることを嫌うというか、情けない事と思ってしまうんだろう。 むしろ、傷ついてるならそう言ってほしい。 何も怒ったりしないから。 「あのさぁ、うちのバスケ部って厳しいの?」 放課後、同じクラスのバスケ部の奴に聞いてみる。「え?あー…うーん、なんて言ったらいいんだろ…」 そいつは口ごもり、隣にいるやつと目を合わせる。 「厳しいっていうか、一部の奴だけが異常なんだよ。前の代の先輩たちに必要以上に厳しくされた奴が、自分が先輩になった時に後輩に八つ当たりする、みたいな…」「そうそう、自分がされたのを後輩にもしてるんだよ。やな先輩の典型的なやつって感じ」 高校の部活動って、中学に比べたら本格的になるから本気の奴もきっと多いだろう。 でも、それを理由に理不尽な指導をしていいかっていわれたら違う。 ましてや嫌がらせなんて言語道断だ。 「この前も、一人辞めちゃったんだよな。鈴原って一年生なんだけど」 聞き覚えのある苗字に俺はどきりとする。 「その人、なんで辞めちゃったの?」「この前の地区予選でさ、試合が終わる直前、そいつにパスが回ったの。これが決まったら勝てるってやつが。でも、決まらなくて負けちゃったんだ。そしたらそれを必要以上に責める奴がすっげーいてさ、見てるこっちが辛かったわ」「そりゃ、俺らだって悔しいよ。でも…あれ、ただのいじめだよ」 二人は気まずそうに言った。 「具体的にどんなことされてたの?」「幼稚な事ばっかだよ。無視したり、嘘のミーティングの時間教えたり、怒鳴ったり…俺らみたいにかばうやつよりも、いじめるやつらの方が多いんだもん、嫌んなっちゃうよ。鈴原って掃除も準備も誰よりも丁寧にやってたし、礼儀正しいし、俺は辞めてほしくなかったな…」 俺は他のバスケ部の奴にも話を聞いてみた。 凛ちゃんをかばっていた人たち皆が口をそろえて言っていたのは、 凛ちゃんが凄く真面目に部活に励んでいたという事。 それなのに、一方的な周りからの圧力に押されて去ってしまった虚しさ。 顧問の先生はおそらく知っていたはずなのに、何もしなかった事にも腹が立つ。 何かが起きてから、もっと早く気づくべきだっただのなんだの言い出すんだからせこいったらない。 昨日少し話しただけ。でも、子供みたいに泣いていた。 きっと、ちょっとつついたらこぼれてしまいそうなくらいに気持ちがぎりぎりまで溢れていて、俺がその中身をあふれさせたんだろうなと思う。 俺は運動自体好きじゃないから、スポーツをしてる人の苦しみというものを本当の意味で理解できない。レギュラー争いなんて美術部にはないし、ポジションもない。強いて言うなら部長とかそのくらい。 校内で過ごしていて、先輩やコーチが怒鳴る姿、同い年のやつどうしで喧嘩してる姿、あいつがレギュラーなんて信じられないと噂するやつとかを見た時、 何とも言えない気持ちになる。 ただ純粋にスポーツというものに打ち込む姿なら見ていて清々しいけれど、そこに渦巻く負の感情を見てしまうと、がくっと気持ちが萎える。 勝ち負けというものが生まれた瞬間、争いが始まる。 それは美術の世界でも同じかもしれない。 俺だって選考会に落ちれば悔しい。力不足も、ねたんでしまう気持も、嫌で仕方ない。でも、そこで人を恨むのではなく、相手を称える気持ちだけは失くしたくない。 そういう気持ちを持ってれば、誰も傷付かないのかな。 廊下をふらふら歩いていると、向こうから見覚えのあるほわほわした髪の毛が見える。凛ちゃんだった。 誰か探してるのか、きょろきょろしながら不安そうな顔で歩いている。 声をかけようとしたら、何かに驚いて踵を返して去って行ってしまった。 さすが元バスケ部というか、俺が走っても追いつけないほどの早さだった。 俺に会いに来てくれたのかなぁ、と思ってしまう俺は、自惚れすぎなのかな。 授業が終わって、部活動が始まる時間になる。 俺は美術室で自分の絵と向き合う。 でも集中できない。凛ちゃんが来るかどうか気になってしまうのだ。 廊下をうろうろしたり、後輩の絵を見に行ったり、時計を見ながら待つ。 「先輩、なんか今日はそわそわしてますねー。なんかあるんですか」 一年生の宗像さんがのんびりした口調で言う。 「んー、人を待ってる」「その待ち人来るんですか?」「わかんない」「アチャー切ない」 そう言いながら宗像さんはおでこを抑える。 「なら廊下で待ち伏せしてればいいのに。教室に入ってきたら私教えますよ、御用だーって叫んで」「叫ばなくていいよ、でも入ってきたら教えてね」 「あい~。どんな人ですか?」「ワンちゃんみたいな可愛い人」「うーんアバウト」 美術室近くを歩き回ってみる。渡り廊下の人影を見ては、凛ちゃんと違うと分かって落ち込んだ。 ぐるっと回って部室に戻ると、待ち人は来ていた。 入るか否か不安そうな顔で部室のドアの取っ手を見つめている。 声をかければ大げさなくらい驚いて振り向くその人は、俺が待ちに待った彼。 凛ちゃんは気まずそうな表情で、「来てしまいました」と言った。 そういう顔されると、ますます甘やかしたくなるような、俺の方が駄目にされていくみたいでたまらない。 凛ちゃんは、部室の中をしみじみと見まわす。初めて目にするものばかりなのか、へぇ、とか、うわぁ、とか呟きながら俺の後をついてくる。 「美術部って、三年生いないんですか?」「いないよ。正確に言うと俺が追い出したんだけど」「え?」「真面目にやらない人嫌いだからさ。年上だろうがそういう人は皆追い出しちゃったの。そんなこんなしているうちに俺が部長になっちゃった」「そうなんですか…」 元々うちの美術部は精力的に活動していたけど、ある時少しやんちゃな人が入部してきて、その人が部の雰囲気を少しずつ乱していき、一時期は不良のたまり場みたいになっていたらしい。一番ひどい時では部室で酒を飲んだり煙草を吸ったりする人までいて、学校全体を巻き込む大騒ぎが起きた事もあったらしい。 これではいけないと、今の顧問の先生が奮起してこの部活を絵が好きな人のための居場所にするために頑張ってくれた。 「俺が入学する何年も前の話らしいけどね。結構ひどかったみたいだよ、ほかの学校にも噂が広まって」「知らなかったです」 そんな話をしながら、俺が絵を描いている部屋に招いた。部屋って言っても準備室の片隅に俺が勝手にスペースを作ったのだ。 絵を描く時は一人になりたいから。でもこのことに誰も口出ししなかった。 後輩も皆好きな場所で描いているし、ちょうどいい距離感を保つ事に長けている人達の集まりだから居心地がいい。 「あの…何かすることないですか?」凛ちゃんが口を開いた。 「ん?」「何もしないでここにいるのもあれかなと思って…俺体力だけはあるから、片付けでもなんでもします」ちょっと不安そうな顔をしながらそう言った。 「じゃあ、水張りでもしてみる?」部員以外の人にこんなこと言わないけど、凛ちゃんだったらいいかな、と自然と思ったのだ。 人のまじめさって、言動にも行動にも表れる。 一緒に作業をしていると尚更感じる。 凛ちゃんは、一つ一つの作業を丁寧にこなしてくれた。テープ一つ切るにしても、紙に水を塗るにしても、真剣にやってくれる。 それを横目に見ながら、俺も手を動かす。凛ちゃんは俺の視線に気づかないまま、黙々と作業する。集中しているときの癖なのか、唇を軽く噛んで紙とにらめっこしているのが可愛い。 それ以外にも、イーゼルや本の整理、掃除なんかを手伝ってくれて、ごちゃついた空間がすっきりとまとまっていく。 「なんかごめんね、色々してもらって」「いや、大したことしてないですよ」 照れたように笑ってうつむく横顔を、ずっと見ていたかった。 俺は凛ちゃんに絵の具を渡してみた。何色が好きなのかなとか、何を綺麗と思うのかなとか、知りたかったのだ。 凛ちゃんは筆を持ったまま固まっている。 パレットに取り出されていたのは水色。背筋を少し曲げてキャンバスに向かう後ろ姿。俺よりも肩幅が広くて、骨がしっかりしている。だけど、今にも消えてしまいそうな、寂しそうな雰囲気をたっぷりとまとっている。 見ているとどうしても、抱きしめたくなってしまう。 ゆっくりと覆いかぶさるように抱きしめて、左手を凛ちゃんの腰に回した。 彼は拒まない。背筋をシャキッと伸ばし、耳まで赤くして固まっていた。 うなじに鼻を寄せると、ふんわりとした優しいにおい。 「赤ちゃんみたいな匂いするね…」「は、そ、そうですか…」 このままうなじにキスしてみたかった。 ふわふわしたやわらかい髪の毛が俺の鼻先をくすぐる。 そうしていると、俺の心の内側の、誰にも触ってほしくない嫌な思いでさえ優しくほどかれていくみたいだった。 凛ちゃんだったら、俺の話を聞いてくれるかもしれない。 ひどい先輩だと思った。相手が逆らわないとわかっていて質問を投げかける。 きっとイエスと言ってくれると確信したうえで問いかける。 凛ちゃんはたぶん、俺が思ってるよりずっと優しい。 「こんな、俺みたいなのに懐かれて、迷惑じゃないんですか?」不安そうな瞳。それは俺のセリフなのに、と思った。 「俺、さみしいんだ…」年下にすがって、かっこ悪いなと思った。 でも、さみしいのも事実だ。誰かにすがりたいのも、本音だ。 凛ちゃんの顔を覗き込むと、真っ赤だった。涙で潤んだ瞳を見ていると吸い込まれそうで怖くなる。 薄く開いた唇に、そっと自分のを重ねた。 「ん、」大きく目を見開いて動揺するさまさえ可愛い。 全身の筋肉が硬直して力が入っている。「俺、凛ちゃんに聞いてほしい話があるの」「へ、」「今まで誰にも言ったことない、重い話」ぽかんとしていた凛ちゃんは、俺の雰囲気を察してか顔が真面目になる。こういうところ、好きだなと思った。 「誰かに言いたいんだけど、誰にも言えてないの」「そんな大事な話、俺でいいんですか?」「凛ちゃんがいいの」 凛ちゃんは戸惑いながらも、俺のことをまっすぐ見つめてくれる。 体丸ごと射貫いてほしい。俺の嫌な思い出も全部。 「わかりました、俺でいいなら…聞きます」そう言ってうなずいてくれた。 「ありがとう」頬にキスをすると、凛ちゃんはまた顔を赤くする。 「せ、先輩ってキスするのが好きなんですか?」「凛ちゃんにキスするのが好きなの」「は、はぁ」 「俺、凛ちゃんの事好きなの。もうだいぶ好き」「エ!?」 こんな短期間で人のことを好きになるって、あるんだなぁと他人事みたいに思った。 「凛ちゃん、俺の事どう思う?」「エッ、えと、」凛ちゃんの首に腕を回し抱き寄せる。「お、俺、誰かと付き合ったりとか、したことないんです、」「うん」「だから、その、さっきみたいなこともしたことないんです、」 「うん」「き、キスされてびっくりしたけど、嫌じゃなかったんです、」 そう言って一呼吸おいて、「それって、俺も、先輩が好きってことなのかなぁ、って思ったんです、けど、どうなんでしょう…」 首をかしげて訪ねてくる姿は、あまりにもかわいい。 「じゃあ両想いなんだね。うれしいな」頬にキスすると、じんわりと熱い。 「明日も来てね」「あ、はい…」「約束ね」 指切りの代わりに交わしたキスは、今日一番気持ちがよかった。

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