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第6話 好きになったらダメなのよ
「すいません。よく知らない男に泣かれて迷惑ですよね」
「そんなことないですよ」
「成瀬さんも振られちゃったんだから、泣いていいですよ」
「振られ慣れてるので、もう涙なんて出ないですよ」
そんなに振られてんのかよ。
どんだけだ。
イコール、それだけの数付き合ってきたって意味だ。
さすが大人の男。モテる男は違うな。
「俺だったら、あなたみたいに素敵な人、振ったりしないのになぁ……」
俺がポツリと出した本音を成瀬さんは聞き逃さなかったようで、柔和な笑みを浮かべながらも少々戸惑っていた。
「ありがとうございます」
ここでハッとした。
この空気感は知っている。
『もしかしてこいつ、俺のこと好きになろうとしてる?!』だ。
「違います! 成瀬さんのことは好きになりませんので安心してください。振られたことはショックでしたけど、彼氏が言ってた通り、今度は女の人と付き合ってみるのもありかなって思って」
「え、だって川井さんは……」
階段を上がってきた野中さんに気付いた俺たちは、一旦話を切り上げた。
気付けば日も暮れていたので、俺と成瀬さんは野中さんに何度も礼を言って、一緒に店を後にした。
スーツの入った紙袋を片手に持つ成瀬さんは、黒のスウェットの上下に革靴という、なんともアンバランスな格好で帰ることになってしまったが、そんなの気にならないくらいにスタイルが良いのでイケメンは得だなとしみじみ感じながら隣を歩いた。
「お兄さんたちー、今の時間だったらビール半額ですよー、寄っていきません?」とメニュー表を持った飲み屋の店員に声を掛けられるが「また今度」と成瀬さんは慣れた調子でピシッと言い、賑わう街の中を颯爽と抜けていく。
街灯に照らされた成瀬さんの茶色の髪がキラキラと月のように光り輝いていて綺麗で、思わず見とれてしまった。
「成瀬さんって、髪下ろすと少し幼く見えますね」
本当は髪が綺麗ですねと言いたかったのだが、気があるんじゃないかと誤解されたくなかったのでそう言った。
「え! そうですか!」
すると彼は急に水を得た魚のように生き生きとし出したので、そんなに喜ぶところかと疑問に思ったが、誇張して俺も大袈裟にうんうんと首を振った。
「はい! 結構若く見えますよ」
「ち、ちなみに何歳くらいに?」
「俺と同い年くらいには!」
「……川井さんっていくつ?」
「21です」
「あ、なるほど。嬉しいです。27歳なので、そこまで若く見られるだなんて光栄だなぁ。ハハハ」
今度は死んだ魚のような目になった。
嬉しいと言っている割には、どこか虚ろな表情をしている。
何かまずいことを言っただろうかと、今の会話を振り返ってみるが一向に分からない。
遠い目をしていた成瀬さんは、ふと俺の頭に視線を送った。
「川井さんは髪真っ黒ですね。染めたりはしないんですか」
「あぁ……本当は染めたかったんですけど、彼氏が、俺に黒髪でいて欲しかったみたいで」
へへ、と頭をかいて苦笑いする。
東さんと出会った時の俺は、成瀬さんみたいに金髪に近い茶髪に染めていた。
だけど『チャラチャラしてんなぁ』とある日ふと漏らしたことと、東さんの好みの芸能人が全て黒髪だったのを知ってから、元の髪色に戻したのだ。
「そんなことまで相手に合わせてたんですか」
「そうですね。今考えると、どうしてこんなに自分を持ってなかったんだろうって不思議になります」
「じゃあこれからは、自分らしく生きるって約束してくれます?」
立ち止まった成瀬さんは、真っ直ぐな眼差しを俺に向けてくるのでドキッとしてしまった。
この人が俺の彼氏だったら……と一瞬妄想してしまう。
そういう相手はアプリで探すって決めているし、ノーマルな人に恋をするなんて無意味なことは分かっているので、芽生えさせてはダメだときちんと自制した。
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