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第16話 名前が好きになれなくても
「1つ確認しておきたいんだけど……十夜はノーマルだよね?」
「そうだけど、どうして?」
「ん、ただ気になって訊いてみただけ」
野中さんはゲイだったので、もしかしたら十夜も……なんて予想をしたが、もちろんそんなことはなくて。
顔が火照っているのは分かっていたので、十夜と目を合わせぬように俯いていると、耳のすぐそばで心地よい低音が響いた。
「優太さん、耳赤いよ」
素早く振り向くと、十夜の顔が目の前にあった。
近距離で力強い眼差しともろに視線をかち合わせる羽目になってしまい、口をあわあわさせてしまう。
「そんなことないよ」
「そんなことある。自分で見てみなよ。ほら」
「いいって」
鏡を見るように促されるが、頑なにそちらを見ずに俯いた。
それを面白がって、「ほらほら」と笑われて、ますます恥ずかしくなってしまう。
十夜がモテる理由は物凄く分かる。
こんな人に至近距離で見つめられて落ちない人はいないと思うから。
笑いあったあと、自分の鼓動が相手に聞こえそうなくらいにしんと静まった。
ちらと見ると、相変わらず十夜は遠くから子供を見守る父親のような慈愛に満ちた目をして、微笑んでいる。
「十夜って優しいよね」
照れつつもそう口にすると、鏡越しの十夜は首を傾げていた。
「クリームソーダぶっ掛けるのに?」
「それは許せない気持ちがあったからでしょ? だから優しいんだよ。思いやりがある」
「……外面がいいんだよ、俺は」
「ううん、十夜は真っ直ぐで優しいよ。俺とは全然違う。俺も優しいってよく言われるけど、優しいんじゃなくて気弱なんだ。自分を持ってないだけなんだよ」
十夜の返事はなぜか無かったが、俺はそのまま続きを話した。
「たまに『優太』って名前が嫌になる時がある。さっき話した、高校生の頃に恋した人に『優太なのに怒んなよ』って言われて。本当は俺、言いたい放題言われて嫌な気持ちだったんだ。でも反論したら、そう言われた」
「だから優しいって言われると、辛くなる時があるの?」
「うん。俺、全然優しくないのになぁって」
「それ、今日聞く予定じゃなかったのに」
「え?」
「ううん、何でもない。はい、出来た。じゃあまた時間置きましょう」
全体を染め終えたらしく、十夜は手袋を外して後片付けをしに向こうへ行ってしまった。
何かまずいことを言っただろうか。
今日じゃなかったら、いつ聞く予定だったのだろう。
その言い方だと、今後も会う機会を作ろうとしてくれてた?
俺は十夜と良い友達として一緒にいれたら嬉しいので、同じ気持ちだったのかと思うと少し面映ゆい。
戻ってきた十夜はこう言った。
「まぁ俺は、例え優太さんが気に入ってなかったとしても、優太って名前は好きですけどね」
笑みを含んだ柔らかな低音は、とても耳心地が良くて、俺の心を安心させた。
この人は味方で、俺をことを分かってくれる人だ。そういう信頼感は、他人とは違う特別な感情に直結しやすい気がする。
ここでいう『特別な感情』とは、あくまで『友情』の一種だけど。
そんな人に出会えて良かったなぁと、しみじみと嬉しさを味わっていると、十夜は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「顔が優太っぽいし」
「な、何、顔が優太って! なら十夜も顔が十夜っぽいよ! 男らしくてカッコイイっていうか……」
「ふぅん? 優太さん、俺のことカッコイイって思ってんの?」
「カッコイイっていう自覚ないの?」
「あるけど」
あるんかい。
ぶふっと噴き出すと十夜も笑い、徐にスマホを操作し始めた。
「優太さん、ピザでも頼もうよ。ここの住所教えて」
「え……まぁ、いいけど」
まさか夕飯も一緒に食べるだなんて予想外だった。
少々強引で自分勝手だけど、それが今の俺に取っては心地よかった。
東さんとはまた違う、思いやりのある自分勝手さ。
今の自分の気持ちは、波が崩れる前の、水が盛り上がって移動している状態のようだった。
崩れてしまったら俺はきっと溺れてしまう。
崩さぬよう、うねりを大きくしてはいけない。
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