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第35話 街の小さな古本屋

 数日後。  放課後、バイト先の古本屋へ向かった。  制服の上からグリーンのエプロンを被り、奥で作業していた店長に挨拶をしてから店頭に立った。  今日も今日とて、暇だ。  こんな古びた小さな店に客なんて滅多に現れない。よく潰れないよなぁと関心する。 「おーい十夜ぁ、今日はここら辺を頼む」 「はいよー」  店長に言われ、脚立にのって作業をする。腰を悪くしている店長の代わりに、主に蔵書を整理整頓するのが俺の仕事だ。  店長は元々、父親の古くからの友人で、力仕事を任せられる男を探していたところ、俺に白羽の矢が立った。  俺が子供の頃から何度も家に遊びに来ていたし、店長とは長い付き合いなので気兼ねなくやっている。古本屋なんて楽な仕事だろうと見込んでいたのに、意外と重労働なのでたまに面倒になる。  そんな時は店長の目を盗んでサボっているので、一向に仕事が進まない→怒られる→サボる→怒られるという負のループである。  今日も店長が店の奥へ引っ込んで行った途端、脚立から降りてスマホゲームを開始する。  しばらくすると、滅多に開かない入口のドアが開いて、人が入ってきた気配がしたので仕方なくスマホを仕舞った。  らっしゃーい、と義務的に挨拶をし、カウンターへと移動する。  男性客はこちらに背を向けた状態で、本棚の中の文庫本を何やら真剣に物色している。  あそこは近代作家の作品が置いてある棚だ。 『ここは他では扱ってないような貴重な物も取り揃えているからね』と店長が自慢気に話していたことがあるが、果たしてそれがどの作家のどの本なのかはとうに忘れてしまった。  随分と時間を掛けた結果、男は1冊の文庫本を持ってこちらにやってきた。  男の顔を見て、俺は目を丸くすることになる。  その人は喫茶店の店主、野中さんだったのだ。 「あー、い、いらっしゃいませ」  狼狽えた俺は、どうも、という意味も込めて頭をぺこりと下げた。  だが野中さんは俺に気付いてるのか気付いていないのか、何も言わずにわずかに口元に笑みを作っただけだ。  レジ打ちをし、本を包みに入れながらハッとした。  ま・ず・い。  俺は今、高校の制服姿だ。  エプロンは付けているが隠しきれていない。  胸のポケットにはきっちり校章が入っているし、それは彼にも丸見えだろう。   「ありがとう」  俺から本を受け取ると、さっと出口へ向かって歩き出したので拍子抜けした。  もう少し驚いたり喜んだりのリアクションがあってもいいのに、随分と他人行儀だ。  もし、今日会ったことを優太さんに話されたら?  27歳で通してるのに、実は高校生みたいだよとチクられたら?  いや、そんなことをわざわざあの人が言うわけ……でも、バラすつもりがなくても会話の流れでふと出されてしまったら?  タラタラと冷や汗をかいた俺は、カウンターから飛び出て、その背中を呼び止めた。 「野中さんっ! あの……」  野中さんはすぐに振り向き、まるで俺に声を掛けられるのが分かっていたかのように、ニコリとする。 「はい、何でしょう」 「この後って、何か用事ありますか? 良かったら一緒にご飯でも……」 「えぇ、いいですよ。ではすぐそこのファミレスで、これを読んで待っていますね」  そう言って本を掲げて、颯爽と去っていった。  俺が制服を着て働いていたのに、全く動揺も驚きもしていない。もしかしたら、前にもこの店に来たことがあるのかもしれない。  制服のまま働くのは控えよう……。  俺は残りのバイト時間を悶々とやり過ごした。

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