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第55話 魚心あれば水心

 * 「十夜ぁー! こっちだよー」  遠くから俺に向かってブンブンと手を振るピンク頭の優太さんが、小学生に見えて笑った。  格好がTシャツパーカーと短パンだ。  俺の老け顔も相まって、並ぶと年齢差は10以上に見える。 「よ。ピンク小学生」 「何言ってんの? あ、そうだ、見てこれー」  優太さんははにかみながら腕を見せてきた。  その手首にはピンク色のシリコンブレスレットがはまっている。 「俺もついにアルバム買ったんだー! これでちゃんとお揃いだね」 「お、おぉ」  俺の手首にも同じものがある。  それを重ね合わせるように体を寄せられ、少し照れてしまう。 「最高だよね新曲! 十夜はもう聴いた?」 「あぁ、忙しくてまだ聴けてねぇや」  ドキドキしている俺の気持ちなんて知る由もない男は、コロコロと話題を変えた。 「十夜、そういえば今更だけど、今日土曜日なのに大丈夫だったの? 仕事、忙しいんじゃない?」 「あぁ、うちは平日の方が忙しいからな」 「へぇそうなんだ。じゃあ行こっか! あそこでチケット買うらしいよ!」  俺はガリガリと頭をかきながら優太さんと列に並んだ。  順番が回ってきて、チケット売り場の女性従業員に話しかけられたので、俺は背中を丸めた。 「お待たせしました、いらっしゃいませー」 「んと、大人1枚と、高校生1枚」 「はい。高校生の方は、生徒手帳はお持ちですか?」 「あぁ、今日は持ってな……」  ふと横を向くと、優太さんがキョトンとした目で俺を見つめていた。  一瞬で顔に熱がいった俺は、すぐに言い直した。 「間違えました。大人2枚です」  大人のチケットを購入した俺は優太さんに1枚手渡す。  やはり不思議そうな顔で俺を見上げているので言い訳をした。 「最近、高校生の従兄弟と一緒に来たから間違っちまった」 「へぇー、十夜ってやっぱり面倒見がいいんだねぇ」  ふ、と背中に冷や汗をかきながら微笑むと「行こっか」と優太さんはスキップしそうな勢いで嬉しそうに歩き出した。  その後ろ姿を見て、自己嫌悪。  今、自分でも驚くほどすんなりと嘘を吐いてしまった。  なんとしても今日、これまでの嘘を謝ろうと決意して家を出てきたってのに、幸先やばいぜ。  だが今日はまだ始まったばかりだ。  せめて今日1日、優太さんに楽しい思いをしてもらってから白状しても、遅くないのではないか。  自分に言い訳をして、水族館を回った。  巨大な水槽の中に色とりどりのサンゴや熱帯魚がいる。  ここには何度も来ているのに、毎回、どこまでも青い空間に自分自身も海とひとつになったような感覚になる。  俺は魚を見るよりも、ボコボコとあぶくができる音を聴いたり、水の流れなどで砂が動いて水底に描かれた模様を見るのが楽しかった。  優太さんはカクレクマノミがイソギンチャクから出たり入ったりする様子を面白そうに見ていた。 「つぎ、行こっか」  水槽から離れ、人の合間をくぐり抜けて颯爽と歩く優太さんの隣を俺は歩く。 「写真とか撮んなくていいの?」 「写真?」 「いや、今までの奴らはさ……」  元カノたちは、角度を変えてしつこいくらいにスマホで撮影していたから、俺がいつまでも待たされる羽目になった。  しかし優太さんはまだ1枚も撮っていない。  その目にしっかりと焼き付けるように、まん丸い瞳で青い世界を見ているだけだ。 「うん、大丈夫。俺、十夜とここに来れただけですごく楽しいから」  えへへ、と笑顔を見せた優太さんに、そこのバカップルのように肩を手繰り寄せたくなった。  なんだ。結局優太さんも、何だかんだで俺のことがダイスキじゃないか?  魚心(うおごころ)あれば水心(みずごころ)。 『セックスしてからの告白、からの謝罪じゃん?』  ふと、新の馬鹿なアドバイスが頭をよぎってしまった俺は、慌ててその考えを振り消した。  まずは謝罪だ、この野郎。

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