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第76話 言葉にして伝えてみる

「友達だと思ったことは無いって、言われちゃいました。そんな風に人に言われたのって初めてだったから、なんかあーあって感じになっちゃって」  へへ、と笑ってみるが、苦笑いになってしまった。  大好きな人にそう言われて、ほんとうは悔しくて悲しくてさみしい。けれどそれを野中さんには言えなかった。弱々しい子供みたいで恥ずかしくて。 「俺は、十夜にとってなんだったんだろうって。たくさん俺を助けてくれた十夜のこと、俺は友達の1人のつもりでいたんですけど」 「そっか」  野中さんがコーヒーサイフォン用のアルコールランプに火をつけると、しばらく沈黙が続いた。  目の行き場に困ってランプの火を見つめる。   コーヒーサイフォンをセットする動きや野中さんの表情を目で追いかける。  その顔は微かに微笑んでいて、目尻が下がってやわらかくなっている。  俺の悩みごとにうんざりしたわけではないのだと少しほっとした。  ブレンドを置かれたので礼を言うと、野中さんはふと口を開いた。 「僕にはかつてノンケの恋人がいたことは言いましたよね。子供を欲しがっていたからこちらから振ったと」 「はい」 「その彼を、僕はどうやって振ったと思います?」 「どうやって……って?」  誰かを振る、という経験がない俺にとってはどんな振り方があるのかなど検討が付かなかった。  もし俺だったら、ごめんとひたすら頭を下げる気がするが。  野中さんは思いを馳せるように目を伏せた。 「まず、他に好きな人ができた、と伝えたんです。けれど彼は、冗談だろと笑って本気にしませんでした。だから後日、僕はある人に頼んだんです。『彼が部屋に帰ってくるその瞬間を見計らって僕に触れて、キスをしてほしい』と」  野中さんは服越しにネックレスを掴んでいた。  俺は数回瞬きをして、そのシーンを思い浮かべてみる。そういえば、若い頃は節操がなくて随分と遊んでいたのだと暴露していたけど。  その中の1人に頼んで、わざとキスしている瞬間を見せつけたのだろうか。  もし付き合っていた彼と心から愛し合っていたのだったら、その恋人にとってはとても辛いものだろう。 「僕らのキスを間近で見た彼は、僕の話が本当だったのかと信じて、ようやく呆れて別れてくれました。けれど僕は、このやり方はすべきではなかったとずっと後悔をしているんです」 「後悔……」 「遠回しに相手を傷つけずにちゃんと言えば良かったって。あなたが子供が欲しいと言ったことが嫌で、すごく憎くて悲しかったのだと。今でもはっきりと覚えています。僕が他人とキスをしているシーンを辛そうに見つめる彼の表情を」  やっぱり野中さんは、その彼が大好きで今も忘れられないでいるのだ。  昇華されない思いが胸とネックレスにつまっていて、いつまでも抜け出すことができていない。傷つけてしまったことがずっと足枷になっている。 「だから、優太くんには僕ができなかったことをしてほしいんです。自分の気持ちを、言葉にして伝えてほしい。怖くても乗り越えてほしいです。それに」  野中さんは服越しにネックレスを掴んでいた手を離して、にこりとする。 「前のきみはもっと、諦めてた」 「諦めてた……?」 「そこで十夜くんにパフェをかけられた、横暴な彼氏のこと。きみはもう、自分で分かってるんじゃないかな。手遅れなくらいに十夜くんが好きなことを」  ──もう、東さんには期待しない。何も求めない。  東さんの機嫌が悪くならないように。  予防線を張れば、楽になった。  たしかに東さんの時は、仕方ない、気にしないと諦めてばかりいた。  けれど今回は違う。  諦めたくない。諦められない。  十夜とこのままでいいわけがない。  野中さんは、ちいさな紙片をテーブルの上に置いた。  古書店と書かれた下に、住所と簡単な地図が載っている。知らない店だった。 「十夜くんが働いているお店です。良かったら、行ってみてください」

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