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第3話 うかつな狼/つけ込む狩人
さっきから狩人がじっとオレを見ている。あんまり見られると食べづらいんだけど……。それに、さっき「口に付いてるよ」って言って口をペロッて舐められもした。
狼でも、あんなことするのは母親くらいだ。それも小さい子どもにすることで、オレはもう大人だからそんなことをされたりはしない。
そりゃあオレはちょびっとだけ小さいし、狩人は大兄ちゃんくらい大きいから、オレのことを子どもに間違えたのかもしれないけどさ。
(そういや昨日もオレのこと、子どもって言ってた気がする)
思い出したら、ちょっとだけムカッとした。なんだよ、人もオレのことチビだって思っているってことかよ。
「どうかした? あ、おかわりいる?」
「……いる」
「ちょっと待ってて」
オレのことをチビだって思っているのは腹が立つけど、でもこの狩人はいいやつだ。だって昨日はうまい肉をたくさんくれたし、いまだって“あいすくりぃむ”っていう甘くて冷たくてうまいのをくれた。おかわりだってくれる。
(……チビだって思われてるのは腹立つけど、でもいいやつだ)
それに、母さんが作ってくれた帽子を褒めてくれた。何も言っていないのに、大事に使っているってわかってくれた。兄貴たちでさえ「いつまでもそんな古いの使って」って言うのに、狩人は「とても似合ってるよ」って言ってくれた。
(……うん、こいつはやっぱりいいやつだ)
昨日はびっくりしてちょっと泣いたりしたけど、そのことでナツヤたちみたいにからかったりもしない。
うん、すげぇいいやつだ。いいやつなら、ちょっとくらいオレのことをチビって思っていても許してやろう。
「はい、召し上がれ」
「ありがと」
「どういたしまして。あ、そうだ、名前、言ってなかったよね」
「名前?」
「僕の名前。僕はミチカ。狩人だけど、昨日も言ったとおりいまは料理人をしてる」
狩人って言葉に、ちょっとだけドキッとした。
「……オレは、シュウ」
「シュウか。かわいい名前だね、きみにぴったりだ。あ、もしかして秋に生まれたのかな?」
「なんでわかるんだ?」
「狼は生まれた季節にちなんだ名前をつけるって、聞いたことがあるからね。そっか、秋生まれなのかぁ」
「……狼に詳しいんだ」
「そりゃまぁ、一応狩人だからね」
「狩人だから……」
「大丈夫だよ。いまは狩人はお休みしてるから、きみを捕まえたりしない。絶対にしないから安心して?」
「……うん、わかってる」
「それならよかった」
狩人……じゃなかった、ミチカはホッとしたみたいに笑っている。
ミチカがオレを捕まえないってことはわかった。でも、やっぱり「狩人」って聞くと怖くなる。怖いけど……、でも、ミチカは大丈夫。いいやつだし、肉もリンゴもあいすくりぃむもくれるし、メガネだし。ミチカは狩人だけど、きっと大丈夫だ。
「シュウは丘のほうの森に住んでるのかな」
「うん」
「じゃあ、もしかしてハルキのことも知ってる?」
「え……? なんで……なんで大兄ちゃんのこと知ってんの!?」
「あはは、あいつ、大兄ちゃんなんて呼ばれてるのかぁ。そっか、もうすっかり偉くなったんだな」
「ねぇ! なんで知ってんだよ!」
「昔、僕がまだ新人の狩人だったときから何度か会ってるんだ。たしかに最初の頃に比べたら逞しくなったと思ってたけど、そっかぁ、大兄ちゃんなんて呼ばれてるのか」
まさか、ミチカが尊敬する大兄ちゃんの知り合いだったなんて、びっくりだ! もしかして友達だったりするのかな。狼と狩人が友達になるなんて聞いたことがないけど、でも大兄ちゃんと話しているみたいだし、何度も会ったことがあるってことは知り合いくらいには親しいってことだ。
そっか、だからミチカは普通の狩人と違ったんだ。大兄ちゃんくらい体も大きいし、もしかして特別な狩人なのかもしれない。
そういえば、茶色の目はちょっとだけ大兄ちゃんに似ている気がする。大兄ちゃんはミチカみたいな栗色の髪じゃないしメガネもしていないけど、ほんのちょっとだけなら何となーく似てなくもない……かな。
「しばらく会ってないけど、ハルキ元気にしてる?」
「うん! 元気、すっげぇ元気!」
「そっか、それはよかった」
なんだよ、ナツヤたちは「狩人は狼の敵だ!」みたいなことを言ってたけど、全然違うじゃんか。だって、狩人より強い大兄ちゃんが狩人と仲がいいなんて、狩人が敵だったらそんなふうになるわけがない。
それとも、ミチカが普通の狩人と違うから大兄ちゃんと仲がいいのかな。
(……うーん、よくわかんないや)
オレは大人になっても森を巡回する大兄ちゃんたちのグループには入れなかったから、狩人とどういうことをしているのか知らない。でも、大兄ちゃんと仲がいいってことは、ミチカはやっぱりいいやつってことだ。間違いない。
よし、あいすくりぃむに集中しよう。
「ねぇ、シュウ」
「なんだ?」
トロトロになったあいすくりぃむをスプーンですくいながら返事をする。うーん、スプーンじゃ面倒くさいなぁ。もういいや、皿から直接すすっちゃおう。親父なら怒るだろうけど、ミチカはきっと怒らないだろうし。
「また遊びに来てくれる?」
「ん? んー、ん、」
「あはは。いいよ、返事はアイスクリームを全部食べてからで」
まだそんなにトロトロになっていないのも全部食べてから、ミチカを見た。
「遊びにって、オレがここに来るってことか?」
「そう。ちゃんとご飯もデザートも用意しておくから」
うーん、人と関わるなって兄貴たちに言われてきたけど、どうしようかな。大兄ちゃんと仲がいいんなら、大丈夫だとは思うけど。……大兄ちゃんの知り合いなら、大丈夫だよな。
それに、こんな森の中の小さな小屋に一人で住んでいるってことは、もしかしたら寂しいのかもしれない。
狼は群れで暮らすのが普通だけど、人は違うんだろうか。でも、人は村や町を作って大勢で生活するっておばさんたちが話していた気がする。
じゃあ、やっぱり一人でこんなところにいるミチカは寂しいんだ。だからオレに来てほしいって言っているんだ。
(そっか、オレ、ミチカの役に立てるのか)
いっつもみんなからチビでビビりだって言われているけど、オレだって役に立てることがあるってことだ。それも大兄ちゃんの知り合い、もしかしたら友達かもしれない人の役に立てる。
……うん、すっげぇやる気が出てきた!
「いいよ。来てやるよ」
そう返事をしたら、ミチカの顔がパァッと明るくなった。
「そっか、よかった。ありがとう」
「……別に、大したことじゃないし」
そんなにニコニコされたら、何だかちょっとこそばゆい。でも、誰かの役に立てるのはうれしい。
「シュウが来てくれるの、楽しみに待ってるね」
「……おう」
こんなふうに言われたことなんてなかったから、なんだか胸がムズムズする。それに、ちょっとだけ照れくさかった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「本当に警戒心が薄くて心配になるなぁ」
――まぁ、そこにつけ込む悪い大人が僕なんだけど。
かわいい狼は食べることが大好きそうだった。言葉の端々から、どうやら兄弟が多くておいしいものに満足にありつけてなさそうなこともわかった。
だから、食べ物で釣ってみた。案の定、甘いものを蕩けるような笑顔でもりもりと食べてくれた。途中で、もしかしてと思ってハルキの名前を出してみたら、やっぱり同じ群れだった。
「ハルキのこと、えらく尊敬しているみたいだったな」
僕が狩人として働き始めた頃だから……、もう十年前か。
十六歳だった僕は、新人狩人として狩人組合の仕事をマジメにこなしていた。そんな中で出会ったのが、このあたりでもっとも大きな群れを持つ狼の長の息子、ハルキだった。 あのときのハルキは成人して三年しか経っていなかったはずなのに、随分と大きな体をしていた。それに目つきは悪いし態度はでかいしで、心底うんざりしたものだ。
それに比べてシュウは小さくてかわいい。あれで大人だっていうんだから、何かの間違いじゃないだろうか。
「狼が成体になるのは生まれて十年前後、人の年齢に換算すると十八、九歳くらい、だったっけ」
いや、そもそも人と狼とでは種族が違うんだから「もし人だったら何歳だろう」なんて、意味がないに等しい。でも、あんなに小さな体をしたシュウが成体だなんて、やっぱりいろいろ気になってしまう。
「それに何ていうか、犯罪めいた気持ちになるんだよなぁ」
これまで屈強な狼しか見たことがなかったからか、どうしても体の小ささが気になってしまう。二十六歳の僕とはあまりに見た目が違いすぎる。
「成体だったとしても、やっぱり小さいよなぁ。あれじゃあ、たしかに淘汰されるのはよくわかる」
狼は強い個体しか生き残らないと言われている。ということは、そのうちシュウも淘汰されてしまうということだろう。
「……それは嫌かな。だって、あんなにかわいい狼なのに」
じゃあ、僕がもらっても問題ないよな。まぁ、見た目はちょっと気になるけれど……なんて、本当はそんなに気にしてはいない。
だって、相手は狼だ。それにちゃんと成体でもある。僕が狼でシュウが人の子どもだったら、さすがに問題になるだろうけれどね。
「成体の狼は、自分でつがいを決められるんだったよな」
つがいを決められるということは結婚できるということだ。じゃあ、やっぱり問題はない。
それに僕は腐っても狩人、見つけたお気に入りの狼は決して逃さないし、逃げられたりもしない。捕まえるためなら手間を惜しんだりもしない。
「きっと、こんなちっぽけな小屋に住んでる僕のことを寂しがり屋とでも思ったんだろうな」
母親お手製の帽子を大事に使っているくらいだし、きっと心優しい狼だろうと推測した。
だから、優しく優しく「遊びにおいで」と声をかけた。そこに、ほんの少しだけ「僕は寂しいんだよ」という気持ちを混ぜ込んで。そうしたら、思ったとおりすぐに了承してくれた。
「ほんと、危なっかしいなぁ」
……なんて言いながら、僕の口は完全に笑っている。
こんなことを考えているなんて、ハルキにバレたら首でも噛みちぎられそうな気がする。でも僕は、別に弄 ぶために声をかけたわけじゃない。
そもそも僕は、面倒な子どもに興味なんてこれっぽっちもない。いままで華奢な男たちに声をかけていたのも、女性だと面倒ごとばかりでうんざりしていたからだ。
「僕はもうただの狩人だっていうのに、ほんと女性ってのは怖いし面倒だよな」
街で僕に近づいてくる女性たちは、みんな僕の背後にある大きな城しか見ていなかった。僕とお近づきになれば、きっとあそこへ行ける。あわよくば「お妃様」なんて呼ばれるようになるかもしれない……なんて、無駄で無意味な夢を見ている人たちばかりだ。
それに、目的のためなら平気で周りの女性を陥れようとする。それどころか、いやらしい薬を使って無理やり僕の子種を手に入れようとまでする始末だ。
僕が小さい頃に母上にプレゼントしたガラスの靴の話をどこで聞きつけたのか、何人もの女性が「わたしもガラスの靴を持ってるの」なんて言い寄ってきたこともあった。あのときには、さすがの僕も軽く殺意を覚えたっけ。とにかく、女性っていう生き物は本当に恐ろしい。
その典型がいまの王妃だ。母上が亡くなったと知るやいなや、あっという間に父上に近づいてきて王妃の椅子に座った異国の女性。
後継ぎの僕が邪魔だった王妃は、あれこれ難癖つけて城から僕を追い出そうとした。いろいろ面倒くさくなった僕は、最終的には自分から城を出た。
その後も森の奥深くに追いやられたり、毒リンゴで殺されそうになったりした。なんてしつこいんだろうと呆れたけれど、さすがに命を狙われ続けるのは面倒くさい。だから僕は、未練も何もない後継ぎなんて身分を捨てて狩人になった。まぁ、これも一種の転職みたいなものだ。
というよりも、森で生きていくのに一番都合がよかったのが狩人だったってだけなんだ。それに、狩人になってから初めて弓の練習をマジメにしてきてよかったと思った。小さい頃から無理やりさせられていたけれど、何がどこで役に立つか本当にわからないものだ。
ついでに、狩人として生きていくために狩人組合にも入った。狩人組合に入れば国内で自由に仕事ができるし、仕事がないときは別の仕事を斡旋してもくれる。街のことをよく知らなかった僕には、狩人組合は本当に都合がよかった。
でも父上はびっくり仰天したようで、狩人になった直後は組合に頻繁に使者が来た。
「あれは心底うんざりしたなぁ」
それに、未だに城に帰ってこいという連絡が来る。だけど城に戻った途端に王妃に何かされそうだし、面倒だから戻るわけがない。
こんな環境だったからか、僕はこれまで女性とまともに付き合えたことがなかった。そのうち男のほうが都合がよくなっていろいろ付き合ったりしてみたけれど、結局すぐに別れてしまった。
「でも、今回は違う」
初めてシュウを見たあの瞬間から、かわいいなぁと思っていた。急に泣き出したりするから焦りもしたけれど、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったシュウの顔を見て、どうしてかゾクゾクしてしまった。
「あんなにおいしそうだなんて思ったのは初めてだなぁ」
ぐちゃぐちゃになった顔を舐め回したいと思った。なんならもっと泣かせたいとさえ思った。ついでに体中を舐めたり噛んだりしてみたいと思った。
思った瞬間、さすがにこれは変態かなと反省したけれど、相手が大人の狼なら問題ない。
「だって、狼はつがいを噛んで交わるんだし」
ハルキのつがいになった狩人仲間のナナヤが、うれしそうにそんな報告をしたのはいつだったっけ。あのときは「えぇ……?」と顔が引きつったけれど、いまなら噛みつきたくなる気持ちがよくわかる。かわいすぎると噛みたくなるし、きっと舐め回したくなるに違いない。
「シュウが来るのは二日後か」
シュウはリンゴが好きらしいから、またリンゴのデザートでも用意しておこう。というより、この国の森にはリンゴくらいしか実らないから、リンゴしか知らないのかもしれない。
森には魔女の強力な祝福がかけられているから、特別なリンゴか普通のリンゴしか実を成さない。ほかの果実の木があったとしても、決して実をつけることがない。人の街に行けば、リンゴ以外の果物も甘いお菓子もたくさんあるけれど……。
「しばらくは、リンゴにしようか」
もう少し慣れて、それこそ僕にべったりになってきたら、一緒に街に行ってリンゴ以外の果物やお菓子を食べればいい。それまでは、慣れ親しんだリンゴで甘いものを作ってやろう。
まずは、庭にある特別強力な魔女の祝福を受けたリンゴをたっぷりと食べてもらってからだ。リンゴの祝福を十分受けるまでは、リンゴ以外を食べさせないようにしなければ。
「シュウが来るのが待ち遠しいなぁ」
二日後の逢瀬を想像したら、やっぱり口元が笑ってしまった。
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