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第4話 誘われる狼/手ぐすねを引く狩人
ミチカの家に来るのは、これで十度目……、十一度目だっけ? とにかく、そのくらいは遊びに来ている。最近は毎日来ているから、もう何度目かなんて忘れちゃったや。
「今日はリンゴ飴だよ」
「リンゴあめ?」
「リンゴを甘いシロップで包んで固めたものだよ。きっとシュウは好きだと思うんだけど、どうかな」
目の前には小さめのリンゴがあった。これはミチカの家の庭になっているリンゴだ。遊びに来るようになってから、毎回庭のリンゴでいろんな甘いやつを作って食べさせてくれる。ミチカって本当にいいやつだ。
今日のは、周りに透明な何かが被っているリンゴだった。透明なやつは“あめ”っていう甘いものらしい。食べたことはないけど、ミチカが作ってくれるものは何でもうまいから、これも絶対にうまいはず。
そう思って、そっとリンゴの端っこに齧りついた。
「~~~~……!」
いつものリンゴよりちょびっと硬くて、パリッて感じがした。そのままシャクシャク噛んだら、すっげぇ甘い味がしてびっくりした。なんだこれ! すっげぇうまい!
「ミチカ、これすっげぇうまいよ!」
「あはは、よかった。一応、リンゴも甘そうなのを選んだんだけど、どうかな」
「うん! 周りのすっげぇ甘いのとリンゴのちょっと甘いの、どっちもうまい!」
ん~! リンゴからジュワッと出てくる汁もうまーい!
「リンゴ、おいしい?」
「うん、すげぇうまい!」
「シュウは本当にリンゴが好きだね」
「もちろん! つーか、森にはリンゴくらいしか甘いやつないしな」
「そうだね、このあたりの森は魔女の祝福が強いから特にかな」
「魔女? 魔女って、オレたちを人型になれるようにしてくれた魔女のことか?」
「そうだよ。その魔女がリンゴを祝福したから、この森にはリンゴだけが実るんだ」
「ふーん……」
どうせなら、リンゴだけじゃなくていろんな果物も祝福してくれたらよかったのに。そうしたら、もっとうまいものがたくさん食べられたのになぁ、なんてちょびっと残念な気がした。
「あ、いまほかの果物も祝福してくれればよかったのにって思った?」
「思った。だって、そしたらいろんなうまいものがあったはずだろ?」
「まぁ、たしかにそうなんだけど。でもね、この魔女のリンゴはとても貴重なんだ。それこそ、よその国から買いたいって言われるくらいにね」
「この森のリンゴを?」
ミチカの庭のリンゴはたしかに甘いけど、オレの知っているリンゴはそんなに甘くない。むしろ酸っぱいやつが多いくらいだ。そんなリンゴをほしがるなんて、人って変わっているよな。
「なんたって、魔女が狼と人の願いを叶えるために祝福した特別なリンゴだからね」
「ふーん」
ミチカがキラキラした顔で笑っている。きっと特別なリンゴをすごいって思っているんだ。
(でも、そんなに魔女の祝福ってすごいのかなぁ)
そりゃあ白い狼を人型にしたっていうのはすごいことかもしれないけど、オレは甘いほうがすごいって思う。どうせなら、森のリンゴ全部が甘くなるように祝福してくれたらよかったのに。
「まぁリンゴのことは置いといて。シュウ、今度お泊まりしない?」
「ぅえ? おとまり?」
「そう、ここに泊まりに来ない?」
「この小屋に?」
ミチカの言葉にちょっとだけ考えた。うーん、どうしようかなぁ。夜帰らなかったら親父も兄貴たちもうるさそうだしなぁ。
「もしかして、夜帰らないと怒られる? でも狼って、成体になったら独り立ちも早いよね? たしかハルキは、大人になった翌年には自分の家を手に入れたって自慢してたっけ」
ぅえ!? 大兄ちゃん、そんな早くに独り立ちしたんだ!? うわぁ、さすが大兄ちゃんだ!
でもそっか。よく考えたら大人になっても親の家にずっといるなんて変だよな。兄貴たちも自分の家を持っていて、まだ家を持っていないのは六番目と八番目の兄貴だけだ。母さんが死んで、親父だけじゃオレの面倒を見るのは大変だろうからって二人とも話していたけど、自分の家を持てないのをオレのせいにするなって話だよな!
「この前、知り合いにバーベキュー用の道具を譲ってもらったんだ。せっかくだから泊まりに来たときに、シュウと庭でお肉を焼いて食べたいなぁなんて思ってたんだけど」
「バーベキュー!?」
それならオレも知っている! 網とか棒とかで肉を焼いて食べるやつだ。ナツヤが去年家族でやったって自慢していたのを思い出した。満足に肉も食べさせてもらえないオレには、夢みたいな話だったんだよなー……。
うん、オレだってもう立派な大人だ。大人になって半年以上は経っているし、そろそろ家を出てもいい頃だ。それに、一晩帰らなかったくらいで親父たちが怒ったりするようなら、そっちのほうがおかしいだろって話だしな。
「オレだってもう大人だし、毎日帰らなくても怒られたりしないし!」
「じゃあ、お泊まりして一緒にバーベキューしようか。約束ね」
「やる! ぜってぇやる!」
「あはは。そうだ、お肉以外に焼きリンゴも作ろうか」
「焼きリンゴ!? 食ったことないけどうまそう!」
「おいしいよ? それに庭のリンゴもそろそろ完熟を過ぎる頃だから、そのまま使うのは焼きリンゴが最後かな。残りは干したりジャムにしたりするからね」
「オレ、ぜってぇ食べる! つーか、すぐ泊まる! なぁなぁ、いつなら泊まっていい?」
「僕のほうは、いつでもいいよ」
「よっしゃぁ! じゃあ明日……は手伝えって言われてるから、二日後に泊まる!」
「うん、二日後ね。それじゃあ明日はバーベキューの用意をしておくかな」
「やったー! すっげぇ楽しみ!」
きっとミチカのことだから、分厚い肉を焼いてくれるはず。家じゃあ十日に一度くらいしか大きい肉なんて出てこない。それも兄貴たちに取られそうになるから慌てて食べなきゃいけないし、味なんてよくわからなかった。でも、ここではゆっくり食べられるし、何よりミチカの焼く肉はすっげぇうまいんだ。
つーかさ、オレの肉を横取りしようなんて、ほんと兄貴たちってひでぇよな!
そんなひどい兄貴たちだけど、家のことはオレよりずっとうまくやるから、手伝えって言われたら手伝うしかない。だから今日も朝から手伝いをすることになっていた。
いつもは面倒だなって思うけど、明日はミチカの家でバーベキューだって思ったら、面倒くさい掃除も買い出しも全然苦にならなかった。むしろ明日が楽しみすぎて絶好調ってくらいだ。
ミチカは何も持って来なくていいって言ったけど、市場で見つけたいい匂いのする葉っぱをいくつか買っておいた。これ、いつもミチカが肉に塗っているやつだと思うんだけど、使ってくれるかなぁ。
「お、シュウじゃないか」
「センカ」
市場の通りでオレに声をかけてきたのは、ナツヤの三番目の兄貴のセンカだった。
センカは背が高くて手足が長いけど、筋肉ムキムキの大兄ちゃんとはちょっと違う。でも、大兄ちゃんと同じ森の巡回グループに入っているくらい強い。それに強いだけじゃなくて優しいし、ムカつくナツヤの兄貴だなんて思えないくらいだ。
「最近見かけないと思ってたけど、もしかして自分の家でも持った?」
「あー、いや、それはまだだけど……。ちょっと行くところがあって忙しかったんだ」
「ナツヤが『あいつ、俺たちより先に家持とうとか生意気なこと考えてるに違いない。だから最近ちっとも見かけないんだ』って、えらく怒ってたけど違ったか」
生意気って何だよ。ナツヤってほんとムカつくよな。そんなことを思っていたら、センカが急に屈んで顔を近づけてきた。
「……シュウ、何か甘いものでも食べた?」
「ぅえ? 食べてないけど」
昨日はミチカのところでリンゴあめっていうのを食べたけど、今日は食べていない。そもそも甘いものが家にあったとしても、兄貴たちに取られてオレの分なんてないんだ。
「うーん、甘いものっていうか、……リンゴかな?」
「リンゴも食べてないけど……」
センカがぐぐっと体を屈めて、オレの頭とか首とかをクンクン嗅いでいる。なんだろ……オレ、変な匂いでもしてんのかな……。
「……これって、祝福のリンゴの匂いじゃ……。いや、でもシュウだし、まさかね」
「センカ?」
「あ、いや何でもない。そうだ、今度の夏祭り、ナツヤが大きな獲物を仕留めるんだって息巻いてたよ」
「うへぇ。勝手に言ってろってんだ。オレには関係ないし」
「じゃあ祭りの五日くらい前から、ナツヤに捕まらないようにしないとな」
「ぜってぇ捕まらないし。つーか、オレぜってぇ手伝わないし!」
ナツヤは何かやるっていうと、いっつもオレをこき使う。でも今度の夏祭りは絶対に手伝ったりしないって決めている。
だって、ミチカが人の町の夏祭りに連れて行ってくれるって約束してくれたんだ。そこで甘いお菓子をいっぱい食べさせてくれるって言っていたし、オレはミチカと夏祭りを楽しむって決めているんだ。
そりゃまぁ、人の町だからちょびっとは怖いって思うけど、……でも、ミチカが一緒ならどこだって平気だ。
「じゃあオレ、帰るから!」
「気をつけてな」って言ったセンカは、最後に「やっぱりリンゴの匂いだよな……」とか何とか言いながら変な顔をした。でもオレは明日のバーベキューで頭がいっぱいだったから、そんなことは全然気にならなかった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「さて、お風呂はこんな感じかな」
急ごしらえで作ってもらったお風呂だけれど、腕のいい大工だったからか狭くてもそこそこなものになった。これなら二人一緒に入ってもちゃんと洗うことができそうだ。
髪の毛用と体用の石鹸も用意したし、洗う用のタオルに拭く用のタオルもふかふかなものを買ってきた。狼はお風呂らしいお風呂を使わないってナナヤが話していたから、これで十分だろう。
着替えは僕の上着でいいだろうし、ベッドもきれいに整えた。肉も野菜も、庭できれいに熟したリンゴも用意済みだ。あとは、シュウが身一つでやって来るだけ。
「そろそろリンゴの量も十分だと思うしね」
魔女に祝福されたリンゴ、その中でも特別な庭のリンゴをシュウは十分すぎるくらい食べた。ほんの少しだけどシュウから甘い匂いが漂うようになってきたということは、そろそろシュウの体も熟したということだ。
ナナヤはふた月くらいかかったという話だけれど、それは彼が筋肉質だったからに違いない。背だって僕より少し低い程度だから、その分食べる量が必要だったってことだ。
「なかなか熟さないのに痺れを切らしたのは、ハルキのほうだったっけ」
いくら食べても変化のないナナヤに、ハルキがヤキモキしていたのは見ていておもしろかったなぁ、なんてことまで思い出した。
「それにしても、人と狼じゃ好みがこんなにも違うとはね」
狼は強い個体に惹かれる。そのせいで体が小さくて弱そうに見えるシュウは、親兄弟からも仲間からも、ちょっとしたのけ者にされているんだろう。シュウが「ムカつく!」と話してくれる内容から、そのことは容易に想像できた。
でも僕は、小さくても素直で元気で裏表のないシュウだからいいと思ったんだ。何より嘘をつかないし、下心や騙そうなんて考えないところがいい。僕の背後を知らないっていうのも気に入っている。あの緑色のくりっとした目が純粋に僕だけを見ていると思うと、腹の底からゾクゾクしてくる。
それに狼は雄同士でつがうことも珍しくないから、シュウに抵抗がないだろうっていうところもいい。
「シュウは、僕のことをハルキみたいに慕ってくれてるようだしね」
ハルキと同じっていうのは非常に気に入らないけれど、それでシュウが僕に懐いてくれているなら、まぁいいかな。
本人は気づいていないんだろうけれど、シュウは自分に劣等感を抱いている。だから、強くて逞しいハルキを強烈に尊敬しているんだろう。それは言葉の端々からもよくわかった。
そんな尊敬するハルキを知っていると言った僕のことを、シュウはハルキの友達だと思っているに違いない。友達だから、僕のことも強い狩人だと思っている。
狼は強い者に惹かれる。強い者とつがいたいと本能的に思う。そこにはつけ込む隙がたくさんできる。
「だから、庭のリンゴをせっせと食べさせた」
庭にあるリンゴは、春成りの特別強力な祝福を受けたリンゴだ。しかも命芽生える春に熟すのだ。
人の世界では、春は交わりを司る季節だなんて言い伝えがある。なんともいやらしい雰囲気で、特別なこのリンゴにピッタリじゃないか。
この国でのみ実る“魔女が祝福したリンゴ”は、種族を超えた恋を叶えてくれる“奇跡のリンゴ”とも言われている。そう、このリンゴを食べれば、人と狼であっても人同士、狼同士のように交わることができるのだ。
人型になった狼となら、人と同じような見た目だからと惹かれ合い恋をすることがあるかもしれない。でも、そこにはやっぱり種族の違いという壁があって、それ以上先には進めない。
だって、人は犬や猫を愛しいと思っても交わりたとは思わないし、犬猫のほうもそんなことは思ったりしない。それは人と狼であっても同じことだ。そういうのは、神様あたりが決めた本能による壁ってやつなんだろう。
それを“祝福のリンゴ”は取っ払ってくれる。交わりたいという思いがあれば、壁を突破できるようになるのだ。
そんなリンゴは、どうしてか人同士で食べると子どもができやすくなるという効果を持っていた。よその国では“子宝のリンゴ”なんて呼ばれていて、子どもができない王侯貴族や金持ちなんかが大金を出してまでほしがったりする。
本当にそんな効果があるのか、僕は知らない。そもそも狼と人との間に表れる効果とはまったく違う内容だ。でも、最近は本当に“子宝”の効果があるのかもしれないと思うようになった。それもこれも、狼のハルキとつがった人のナナヤを見てきたからだけど。
リンゴのほうは、すこぶるよい効果が与えられたんだと思う。問題は狼への祝福だ。
どうせなら、もっと完璧な祝福を狼に与えてやればよかったのにと思うことがある。わざわざ人型にしてやるのなら、耳と尻尾も消してやればよかったのだ。そうしなかったせいで、いまでも大半の人たちは人型になった狼を怖がるし、狼側もそんな人の反応を見て怖がる。
これじゃあ、まるで“呪い”みたいじゃないか。似たような姿をしているのに、互いに恐れ合って時に憎しみ合う。大きな争いに発展しないように狩人組合ができたのはいいけれど、根本的な問題解決には至らない。
「やっぱり魔女のすることだから、狼を人型にしたのも気まぐれだったんだろうなぁ」
それでも、最初の白き狼にしてみれば“祝福”には違いなかったんだろう。祝福のおかげで人型になれたわけだし、“祝福のリンゴ”のおかげで愛しい姫とつがいになれて交わることもできた。しかも驚くほどの子だくさんだ。
まぁ、いまの僕には関係のない話だけれど。
「狼には人気のないシュウかもしれないようだけど、僕にはとてもおいしそうに見えるよ」
だから、僕がシュウをおいしくいただいてもいいよね。
それに、ギラギラした目でナナヤを追いかけ回していたハルキに比べれば、僕のほうが随分まともだ。シュウの好きなものを作って食べさせてあげているし、たくさん喜ばせてもあげている。おかげで怖がらせずに済んでいるし、むしろ早く懐いてくれた。
「最初のお泊まりでどこまでできるかわからないけど、でもまぁ、味見くらいはしたいかな」
あぁ、涎が出そうだなんて、これじゃあ僕のほうが狼みたいじゃないか。
「明日が楽しみだなぁ」
口を緩めっぱなしの僕は、それでもシュウにおいしいものを食べさせたくて、せっせと肉の仕込みを続けた。
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