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第9話 反撃する狩人

 苛々しすぎて、目に入ったリンゴを握り潰してしまった。まぁいいか。どうせ城下街で手に入るリンゴだし、アップルパイにして食べてもらおうと思っていたシュウは眠ったままだ。 「イラついてるのはわかるが、手当たり次第物に当たるな」 「うるさいな」 「……はぁ。普段のおまえからは想像がつかないくらいの荒れっぷりだな」 「シュウがこんな目にあったっていうのに、いつもどおりでいられるわけがない。きみだってナナヤが同じ目にあったら苛々するだろ?」 「犯人をぶっ殺すな」 「わかってるじゃないか」  そう言ってやれば、ハルキが苦い顔をして肩をすくめた。  店から帰って来たのは昼を少し過ぎた時間だった。シュウに味見してもらったお肉のサンドイッチとリンゴを持って、「お腹空かせてるかなぁ」なんて思いながら庭に入った。すると庭のあちこちに洗濯物らしき服が落ちているのが目に入って、何かあったのだとすぐにわかった。  そう思ったら勝手に走り出していた。せっかく持って帰ってきたサンドイッチが地面に落ちたけれど、そんなことを気にしている場合じゃない。  庭から裏口へ回る途中で倒れているシュウを見つけた。周りには洗濯物が散らばっていたから、きっと風呂場で洗濯して庭に干そうとしていたんだろう。教えたとおり残り湯で洗ったんだな、なんて妙に冷静に思った。 「シュウ……!」  急いで抱き起したシュウは真っ白な顔をしていた。ふっくらした頬には擦り傷ができている。細い手足はだらんとしていて、体のどこにも力が入っていない。声をかけてもくりっとした緑色の目は開かないし、かわいい口も返事をしてくれなかった。 「シュウ!」  慌てて口元に顔を近づけた。 (…………よかった、息は、してる)  急いで小屋の中に運び込もうとして、嫌なリンゴの匂いがしていることに気がついた。 (……この匂いは、)  前にも同じような匂いを嗅いだことがある。こんなものを僕が口にすると思っているのかと、呆れと不快感を混ぜこぜに感じたのを思い出した。 「……毒リンゴか」  これは王妃お手製の毒リンゴの匂いで間違いない。視線を動かせば、シュウの近くに割れた瓶の破片らしき物が散らばっていて、そこから不快な匂いが漂っていた。 「今回は城のリンゴを使ったんだな」  夏を前に、これほど香しく匂うリンゴは城の一角で大切に育てられているあのリンゴしかない。あのリンゴを使えば、僕がうっかり口にするとでも思ったんだろうか。それとも母上が大好きなリンゴだったから、僕を消すために使おうと考えたのか。  そう思ったら、漂う匂いがますます不快に思えた。  母上が大のリンゴ好きだったと知ったらしい王妃は、僕をどうにかするための手段に毒リンゴばかりを使うようになった。一度も成功したことはないけれど、王妃の毒リンゴの匂いは嗅ぎ慣れてしまうくらい嗅いできたから間違いようがない。  もしかして何度やっても僕に効果がないからと、標的を僕が大事にしているシュウに変えたのかもしれない。そういう可能性もあったのだから、僕はもっと気をつけておくべきだった。 「……あの人、僕に殺されたいのかな」  いろんな意味で愚かだと思ったけれど、まずはシュウを助けなければ。息はしていても、いつもよりずっと頼りない。それでも、大丈夫。王妃の作った毒なら、僕が調合した解毒薬が効く。 「……しまった、この前ナナヤに渡したのが最後だ」  ハルキが猛毒を持つ大蛇に噛まれたと泣きながら薬を取りに来たナナヤが、奪うように全部持って行ったことをすっかり忘れていた。 「チッ」  しばらく振りに舌打ちなんてした。とにかくナナヤに残りを持って来てもらおう。これから材料を集めて調合するより、そのほうが断然早い。  ピュウ――!  口笛を鳴らせば連絡用の烏がすいっと飛んできた。  シュウを優しくベッドに運んでから、目についた紙に殴り書きをしたものを、烏の足に取り付けた筒に突っ込んで窓から飛ばす。 「さぁ、急いでナナヤのところへ行け」  そうして烏を飛ばしてしばらく後、ナナヤに奪われた解毒薬の残りを持ったハルキが飛ぶように走って来た。 「おまえの解毒薬はよく効く。大丈夫だ」 「当然だよ。魔女の薬を元に、僕が十歳の頃から何度も調合し直して作り上げた薬だからね。毒ヘビでも毒薬でも大抵の毒は解毒できる」 「おかげで俺も助かった。……今回のは継母の毒リンゴだったか」 「そう。材料は国境の森に住む大蛇の毒と砂漠に住むサソリの毒、それに毒を持つ魚の内臓と毒キノコから抽出したエキスを数種類混ぜてあるんだ」 「人ってのは、えげつないな……」 「僕もそう思うよ。まぁ、おかげで狩人組合でも重宝される万能解毒薬が調合できるようになったんだから、僕としては良しとしていたんだけどね」  効果の高い解毒薬を調合できるということもあって、僕はすぐに狩人組合に入ることができた。それも王妃に狙われてきたからだと思えば結果オーライだ。  それに僕を狙うことについても、もはや気に留めてすらいなかった。王妃以外は手を出してこないし、また毒リンゴを盛られたとしても成功するはずがないからだ。 「でも、今回はダメだ。シュウを狙うなんて、あの人、やっぱり僕に殺されたいのかな」 「狩人は人も狼も(あや)めないんじゃなかったか?」  ハルキの言葉に、心底大きなため息が出た。 「ほんと、狩人組合ってマジメだよなぁ。いっそのこと狩人なんてやめてしまおうかって思わなくもないけど、そうするとまた城がうるさく言い出すだろうし、狩人組合だって簡単にやめさせてはくれないだろうし」 「おまえほど優秀な狩人なら、組合じゃなくても手放したがらないだろう」 「もう何年も狩人はお休みしてるっていうのに?」 「時間は関係ないだろ。それに、おまえは王子としても優秀そうだしな」 「えぇー……? ハルキが僕を褒めるとか、気持ち悪いんだけど」 「やかましい。俺はおまえのことをいけ好かない奴だと思ってるが、だからといって能力を認めてないわけじゃない」  うわ、これだからハルキにはうんざりするんだ。いっつも僕を認めてくれちゃったりして、狼ながら本当に嫌な奴だな。 「で、どうする気だ?」 「そりゃあ、お礼をするに決まってる。僕の大事な大事なシュウに手を出したんだ、タダで済ませるわけがない」 「ま、そうなるか」  今度は清々しいほどの笑みを浮かべて、ハルキが肩をすくめて見せた。 「まだしばらく目を覚まさないと思うぞ」 「そうだなぁ……。うん、ちょっと里帰りしてくる。少しの間、シュウのこと見ててくれるかな」 「当然だ」  シュウの目が覚める前には戻って来ないと。それまでの間、仕方がないけれどハルキに見てもらっておくか。 「まったく、まだ初夜だって迎えてないのに、どうしてくれるんだって話だよな」 「……おまえという奴は……」 「やっと挿れられそうなくらい柔らかくなってきたんだ。今夜か明日にはって思ってたのに、本当にあの人、僕に殺されたくていろいろやってるんじゃないかって思えてきた」 「…………くれぐれも(あや)めたりはするなよ」  ハルキがしっかりと僕を睨んでいる。  大丈夫だよ、あの人を(あや)めたりはしないってば。たぶん。……うん、そんなことをしてシュウに嫌われでもしたら大変だ。  いまでも死んだ母親を大事に思っているシュウは、たとえ継母だったとしても僕が母親を手にかけたなんて知ったら悲しむだろう。それとも嫌いになるだろうか。 (あんな人のせいで大事なシュウに嫌われるなんて冗談じゃない)  よし、我慢しよう。 「じゃあ、ちょっと行ってくる」  まだ何か言いたそうな顔をしていたハルキだったけれど、結局口を開くことはなく頷いて見送ってくれた。   ◯ ● ◯ ● ◯ ● 「さて、こうして久しぶりに里帰りしたわけだけど」  身分を捨ててただの狩人になった僕を、門番も衛兵たちも止めようとしなかった。それどころか全員が敬礼なんてしてくれるから、一瞬「みんな大丈夫?」と心配になったくらいだ。 「あー、もしかして王妃に手を焼いてるってことかな……」  たしか半年前に王女を生んだと街で聞いたけれど、そんな体で毒リンゴを作ってわざわざ森の小屋までやって来るなんて、そりゃあ手も焼くか。まったく父上は何をやっているんだか。 「……まだ、ぼんやりしてるってことか」  母上が亡くなって以来、父上はぼんやりすることが多くなった。それでも王女が生まれたということは、改良したリンゴの特製媚薬あたりを使った王妃に寝込みを襲われでもしたんだろう。 「本当に何をやっているんだか。いや、義妹(いもうと)が生まれたのはいいことなんだけど」  そんなことより、王妃を探さなければ。まだ母上の部屋を使っているといいんだけれど。 「義妹(いもうと)が一緒だと困るなぁ」  さすがに赤ん坊のそばで物騒なことはしたくない。  そんなことを思いながらメガネを外し、十年以上振りに母上の部屋だった場所へと向かった。たどり着いた扉を叩くことなく、さっさと開けて中に入る。 「おまえは……!」  急に開いた扉に驚いたのか、王妃がすごい形相で僕を見ている。 「こんにちは」 「おまえ……、どうして城にいるの!」 「まぁ、ちょっとした里帰りかな」 「お前はもう王子でも何でもないでしょう! 狩人の分際で王妃の部屋にまで入り込むなんて……、衛兵! さっさとこの狩人をつまみ出しなさい!」  甲高い声にワラワラと集まった衛兵たちは、僕を見て、それから王妃を見ると、そっと部屋の外に出て行った。  なるほど、これは本格的に手を焼いていたんだ。まったく、跡取りの王女も生まれたんだから、おとなしくしていればいいのに。  おまけにたくさんいるはずの侍女たちも姿を見せない。きっと王女をつれて避難しているんだろう。よかった、城の人たちは優秀なままのようだ。 「ちょっと聞くけど、今日、僕の住んでる小屋に来たよね?」  扉の外の衛兵相手に喚き散らしているのを無視して質問したら、うるさい声がピタリと止まった。続けて濃い化粧で縁取られている目がギョロッと動いて僕を見る。 「それがどうしたと言うの」 「じゃあ、僕の大事な子に変なもの飲ませたのは、あなたで間違いないってことか」 「大事な子? あぁ、あの躾のなっていない口の悪い子どものことかしら。狩人になったおまえには、お似合いだとは思うけれど」 「そうだね、僕にぴったりの大事な子だよ。小さくてかわいくて元気で、それに素直で裏表がなくて本当にいい子だ」 「ほほ、おほほほ、本当にあんな子どもに手を出していたとは、なんて汚らわしい! 由緒ある王家の者とは思えない、なんてふしだらで罪深いこと!」 「見た目は小さいけど、あれでも立派な大人なんだ。ま、あなたには関係ないことだろうけど」 「えぇ、えぇ、わたくしには関係のないこと。身分を捨てた狩人のことなど、どうでもいいこと!」  あぁ、甲高い声は本当に耳障りだからやめてくれないかな。うっかり殴ってしまいそうになる。 「その割にはしつこく毒リンゴを作ってるよね。十五で城を出て身分まで捨てたっていうのに、その後も十三回、毒リンゴで狙われた。今回は僕の大事な子にまで与えた。あぁ、そうか、あの子が僕の子どもを生んだら大変だとでも思ったのか。ほんと、どうしようもないなぁ」  話しているうちに段々と面倒くさくなってきた。元々こうした権力闘争だの骨肉の争いだのには興味がないし、積極的に関わりたくもないんだ。だからさっさと身分まで捨てたというのに、本当にどうしようもない人だな。 「前から思っていたんだけど、継母に追い出された美しいお姫様が毒リンゴで殺されかける話が好きだから、毒リンゴにこだわってきたの? それとも、母上が大好きだったリンゴで僕を殺さないと気が済まないとか? まぁどっちでもいいけど、本当に愚かだな」  そう言って口元を緩めたら、王妃の黒にも見える赤い唇がブルブル震え出した。 「おまえは……っ、無礼でしょう! わたくしは王妃なのですよ!」 「知ってるから、いちいち喚かないでくれるかな。あぁそうだ、王妃だというなら、城で大事に育てているリンゴのことは当然知ってるよね」 「リンゴ……?」 「そう、リンゴ。南の庭にあるリンゴ。今回、それで毒リンゴ、作ったでしょ」 「そうだとしたら、どうだというの」  なるほど、王妃として歴史や城のことを学ぶことすらしてこなかったのか。これは城のみんなが手を焼いても仕方がない。もしくは見放したということかもしれない。そもそも父上は、きちんと教えていなかったんだろうか。 (ぼんやりしたままなら、教えることは無理か)  それとも、母上が大事にしていたリンゴだから教えたくなかったのか。 「城の南にあるリンゴは、“魔女の祝福”を最初に受けた“始まりのリンゴ”なんだ。“白き狼とお姫様”の物語に出てくる、あのリンゴだ」 「それがどうしたというの」 「知ってると思うけど、“魔女の祝福を受けたリンゴ”はよその国からも欲しがられる特別なリンゴだ。ずぅっと昔からあるけど、最近じゃあ“金を生むリンゴ”なんて言われて、この国にとっては重要な輸出品にもなっている」 「そんなこと、わたくしだって知っています!」 「さすがに知ってるか。あぁそっか、あなたの国でも重宝されてるんだったっけ。でもさ、そんなに長い間リンゴが成り続けるなんて、不思議だと思わない?」  僕の言葉に、王妃が眉をひそめながら口を閉じた。きっと話の内容が理解できないのだろう。 「城の庭のリンゴは、かれこれ百年以上も実をつけ続けている。いくら魔女に祝福された特別なリンゴとはいえ、百年以上も実をつけ続けるなんておかしいと思わなかったのかな」  王妃の表情が険しくなってきた。 「この国の森にある魔女のリンゴは、長くても三十年くらいしか実をつけない。だから、これまで狩人組合が魔女のリンゴが絶えないように接ぎ木をして守ってきたんだ。それでも限界はある。おかげで森のリンゴたちは味も効果も随分と落ちてきた」 「……それがどうしたというの」 「それなのに、城のリンゴは百年以上も実をつけているし、味も“魔女の祝福”の力もずっと昔のままだ。不思議だと思わなかった?」  正確には二百年近く、城の特別なリンゴは力を保ったまま実をつけ続けていた。 「魔女はね、まだ生きているんだ。そうして何度も“始まりのリンゴ”に祝福を与えている。だから城のリンゴは昔のまま実り続けることができるんだ」  王妃は意味がわからないという顔をしていた。まぁ、普通はそうだろう。 「白き狼と姫の子孫は、この城にもいたんだよ」 「は……?」 「そりゃそうだよね、だって姫の実家はこの城だったんだから。姫に与えられた特別なリンゴには、魔女の血液がほんの少し浸してあった。どうしてそんなことをしたのかはわからないけど、きっと魔女の気まぐれだったんだろう。でも、そのおかげで魔女の力を少しばかり得た姫の子孫は、城のリンゴに祝福を与え続けることができた。だから、リンゴの力が衰えることもなかった」  実際にどのくらい魔女の力を持っていたのかはわからない。ただ、城に生まれた姫はみんな力を持っていて、リンゴの世話をする役目を担うことになった。 「そんな城に、魔女の村から母上が嫁いできた。おかげで一気に祝福の力が強まったというわけだ」  王妃の表情が一層険しくなった。そうか、母上のことも知らなかったんだ。まぁ、知らないままでも構わなかったんだけれど。 「母上は、ちょっと無理をして赤ん坊を生んだんだ。そうして誕生した僕は、いい具合に物語の子孫と魔女の血が混ざったのか、最初の魔女と同じくらい強い力を持って生まれた。おかげで、本来は姫の役目であるはずのリンゴへの祝福を僕がすることになってしまった。ちょっと面倒だったけど、そういう運命なんだと割り切るしかなかった」 「さっきから、何の話をしているの」 「まぁまぁ、あと少しで終わるから。ちょっとしたこの国の物語だよ」  そう、“白き狼とお姫様”から延々と続く、この国の現在(いま)の物語だ。 「母上亡き後も僕が祝福を続けた。そうして城のリンゴを十分に祝福し直したところで現れたのがあなただった。ちょうど森のリンゴを祝福し直さないといけなかったし、あなたのおかげで城の中は面倒なことばかりだったし、まぁいいかと思って城を出たんだ。狩人としてマジメに仕事もしたし、リンゴの世話もしてきたし、結構がんばったと思うんだよなぁ」  父上は城に戻って来いってうるさかったけれど、捨てた身分に未練はまったくない。王妃だって目障りな僕がいなくなれば落ち着くと思っていた。僕が狩人に転職したことで、王妃もよしとすればよかったんだ。 「それなのに、せっかく僕が祝福し直したリンゴを毒リンゴにするなんて、どんな笑い話だろうね。なにより腹が立ったのは、僕が祝福したリンゴで僕の大事な子を(あや)めようとしたことかな。……うん、口にしたらまた腹が立ってきた。ハルキに『(あや)めるなよ』って言われたけど、どうしたものかな。目の前にいるんだし、ちょっと手足をもいじゃうくらいはいいんじゃないかなぁ」  そう言いながら王妃をじっと見つめたら、「ひぃ……っ」と掠れた声を出して後ずさりし始めた。  僕はいま、狩人以上の顔をしていることだろう。それにメガネをしていないから、力を持たない王妃でも僕の目に気味悪さを感じているはず。本能が強い狼なら、得体の知れない気配に飛び退いたに違いない。  ハルキには何度も「うすら寒い目だ」なんて失礼なことを言われてきたけれど、僕の魔女の力はどうやら目と言葉に現れるみたいだから仕方がないんだ。  そんなことを思いながら、裸眼で王妃を冷たく見つめた。久しぶりに力が解放される感覚に、自然と口角が上がり始める。 「殿下」  懐かしい呼びかけに、ハッとした。振り返ったら、昔僕の護衛をしていた騎士たちがズラリと並んでいる。  うわ、ガッチガチの防御態勢なんて久しぶりに見たな。こうして僕を止めてくれたのはどのくらい振りだろうか。 「あー……、うん、いまのはちょっと危なかったかな。ありがとう」 「いえ、これも我らの役目ですから」  うーん、役目とはいえ、いい迷惑だろうに。僕を守るために命を落とすならまだしも、僕のせいで命を失ったりしたら目も当てられない。 「いかがしますか?」 「僕はもう王子じゃないから、王妃をどうこうすることはできないよ。……そうだ、父上にお任せしよう。うん、そうしよう。そもそも父上がちゃんとしていないから、こうなったわけだし」 「承知しました」  王妃は声も出せないようで、さっきから高そうなドレスを握りしめたままだ。顔が完全に色を失っているということは、少なくともこれから起きることを少しは理解しているということか。  シュウに手を出さなければいままでどおり放っておいたのに、これで王妃は元王子への数々の暗殺未遂で処罰されることになる。“祝福のリンゴ”を汚した罪も重い。まぁ、自業自得だけれど。 「あぁそうだ。僕からは“魔女の祝福”をあげるよ」  そう告げたら騎士たちがギョッとした顔になった。嫌だな、そんな怖い祝福はしませんって。 「“あなたは生涯、誰からも愛されない”、これがあなたへの魔女の祝福だ。父上からも生まれたばかりの娘からも、それに祖国にいるだろう家族からも愛されることはない。もちろん民からもだ」  これくらいで済んだのは僕を止めてくれた騎士たちのおかげなんだけれど、王妃が気づくことはないだろう。  さて、用事も済んだことだし帰るとするか。そう思って歩き出した僕に「殿下」という声が聞こえてきた。 「陛下にお会いには……」  記憶の中よりも少し年を取った騎士が遠慮がちにそう告げる。 「会いません。父上のことなんて、いまの僕にはどうでもいいことだし」 「……陛下は悲しまれるかと」  言われなくてもわかっている。なんたって父上は、母上そっくりな僕のことが大好きなんだから。  父上は、昔から僕のことを目に入れても痛くないというくらい溺愛していた。母上が亡くなってからその気持ちは激しくなる一方で、鬱陶しくなった僕は母上譲りの金髪を茶色に染めたりしたけれど、まったく効果はなかった。 (十歳を超えた息子にキスしまくるなんて……うわ、思い出すだけで寒気がする)  同じ城に住んで毎日顔を合わせていたというのに、僕を見るたびに抱きついては顔中にキスをするなんて、いくらなんでも気持ち悪すぎるだろう。それに、どさくさにまぎれて母上の名前を呼びながらお尻を揉んだりしていたことも、はっきり覚えている。  ほかにも思い出したくないことが山のようにあって、さすがの僕もいろいろ考えざるを得なかった。……あ、暑苦しい抱擁を思い出したら背筋が凍りそうになった。 「そうだ、父上に伝言をお願いします。義妹(いもうと)には、ちゃんと“魔女のリンゴ”のことを教えておくようにって」 「はっ、承知しました。……しかし、」  みんな困った顔をしていたけれど、僕は見なかったことにした。縋るような眼差しからも視線を逸らした。  だって、いまの僕には帰りたい場所がある。仮住まい程度にしか思っていなかったあの小屋が、いまの僕にとっては大事な場所なんだ。  それに、そろそろシュウが目を覚ます頃だ。 「宮仕えはいろいろ大変だろうけど、これからもよろしくお願いします」  主に父上のことを。  母上を亡くしてからすっかり腑抜けになった父上でも、この国の王様だ。息子としては気持ち悪い……、もとい困ったところがある人でも、国王として健在でいてもらわなければいけない。義妹(いもうと)が成人して賢いお婿さんを迎えるまでは、がんばってもらわないと僕も困る。 「じゃあ、僕は帰るんで」  何か言いたそうな騎士や衛兵たちに手を振って城の外に出た。やけに眩しいなぁと青空を見上げたところで、メガネをしていないことを思い出した。 「今度は色つきのメガネにしようかな」  そんなことを思いながらメガネを取り出す。いまとなってはすっかり顔の一部みたいなものになったけれど、やっぱり何もつけていないほうが身軽な気がする。それでもメガネを外せないのは、意図しない視線に魔女の力が含まれてしまうのを避けるためだ。 (ちょっと気に入らないって思っただけで、息の根を止めかねないからなぁ)  母上が亡くなってすぐの頃、母上にあげたガラスの靴を盗もうとした父上の従姉妹の姫の命を危うく奪ってしまうところだった。盗みの現場を見て腹が立って睨んだだけだったのに、従姉妹の姫は悲鳴を上げて倒れてしまった。その後、一年意識不明になってしまった。  あのときはまだ小さかったからその程度で済んだけれど、大人になったいまはどうなるかわかったものじゃない。 「それにしても、メガネで防げる魔女の力っていうのもどうなのかな」  これも、僕が“白き狼とお姫様”の子孫だからだろうか。何にしても厄介な力を受け継いでしまったものだ。 「シュウはもう目が覚めたかなぁ」  早くあのくりっとした純粋な目を見たい――無性にそう思って森への帰路を急いだ。

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