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【スピンオフ】ワケあり医者は狼青年を大事にしたい/3 怯える狼と診察する医者
もうそろそろ着いたかな。夏本番を前に、到着に一日はかかる遠い森へ、先生は診察に出かけていった。
先生を呼びに来たのは真っ黒な烏で、足に付いた筒に入っていた紙切れを見た先生は「はぁ!?」って声をあげて、それからバタバタと準備をして大急ぎで家を出て行った。ドアを閉める直前に「明日の朝のうちには帰って来るから、いい子で待ってろよ」なんて言って、いつまで僕のことを子どもだと思ってるんだろうって思わず笑ってしまった。
「それにしても、あんなに遠い森にまで患者さんがいるなんで、先生は本当に有名なんだなぁ」
今回、先生が向かった森はお城の近くにあって、そこに住んでいる古い知り合いに呼ばれたんだと言っていた。
そういえば昔、お城にも何度か行ったことがあるって話してたっけ。お城にまで呼ばれるなんて、本当にすごい先生だ。人だけじゃなく僕たち狼のことにも詳しくて、狼にとっては貴重なお医者さんでもある。それに先生の弟子は国のあちこちにいて、みんないいお医者さんだって聞いている。
「そんなにたくさん弟子がいるなんて、先生っていくつなんだろ……」
僕を拾ってくれたときには、もう有名なお医者さんだった。いまと同じようなモジャモジャでボサボサの短い黒髪で、顎には短いヒゲだって生えていた。
あのときの僕には人の年なんてわからなかったけど、たぶん「おじさん」って呼ばれる年だったと思う。だって、あのときと変わらないいまの先生に、村のおばさんたちが「おじさんなんだから、もう少し身なりに気をつけなさいよ」って言うんだ。ということは、先生はおじさんってことに違いない。
「そういえば、先生って見た目が全然変わらないかも」
まぁ、いつも似たような格好だし、……控えめに言っても小綺麗ではないから、同じように見えるだけかもしれないけど。
「まぁまぁかっこいいんだから、もっと小綺麗にすればいいのにね」
人では「おじさん」なんだろうけど、脱いだらまぁまぁ筋肉がある。髪の毛をさっぱりしてヒゲを剃れば、顔だってそこそこいいんだからかっこよくなると思う。
「狼的に言えば“きれい”なのがいいんだろうけど、……僕は先生みたいに“かっこいい”ほうが好き、かな」
ふざけているように見えて、先生は患者さんのことをいつもちゃんと考えている。薬を調合するときなんてすごく真剣な顔で、あの顔を見るたびにドキドキして胸が苦しくなるんだ。
それに先生の大きな手で撫でてもらうと、とても安心する。拾ってもらったあと、体中が痛くて泣いていたときも先生が大きな手で撫でてくれたら、不思議と痛くなくなったのが忘れられなかった。
先生の手は魔法の手だ。あんなにたくさんの薬を作れるし、魔女の力と同じくらい、すごい力があるに違いない。
そんな先生は、とてもかっこいいと思う。だって、人の本には先生みたいな人のことを“かっこいい”て言うんだって書いてあったから。
「ふぅ」
先生のことを考えていたら、体がじんわり熱くなってきた。これも祝福のリンゴの影響なのかな。
僕が知っている症例は人のものばかりで、狼側のことはほとんど知らない。先生もあまり見たことがないって言っていたけど、体が熱くなるのは僕が先生を受け入れる体に変わりつつあるからだって教えてくれた。
(先生を、受け入れるための体……)
そう思ったら、お腹のあたりがジクジクしてきた。最近、よくお腹がジクジクする。熱くなるのは下腹で、ジクジクするのはもう少し上のほう。これもリンゴの影響なんだろうか。
「お腹を下しているわけじゃないし、熱もないし……まぁ、大丈夫かな」
我慢できないような痛みじゃないから、痛み止めを飲むほどでもない。うん、きっとリンゴの影響に違いない。
「そんなことより、明日の準備をしておかないと」
先生は朝のうちに帰って来ると言っていた。いくら最新の馬車を使うとは言え、片道に一日かかる距離を半日くらいで移動するなんて、結構な無茶をする。
ってことは、きっと満足にご飯を食べる時間もないに違いない。それなら帰ってすぐにご飯を食べられるようにしておきたい。
「先生が好きな赤いスープにクリームもたっぷり入れることにして、あとは……、クルミのパンを焼いておこうかな」
クルミのパンはお母さんが得意だったパンで、僕が家を出た日のお弁当にも入っていた。最近、ようやくお母さんの味に近づいてきたクルミのパンを、先生も「うまいな」っておいしそうに食べてくれる。
「うん、決まった。じゃあ先にパンを仕込んで……」
乾燥させたクルミを出して、ついでに小さな木の実も出す。この木の実は最近入れるようになったんだけど、これがお母さんの味にグッと近づけてくれた。
(きっと、あの丘の近くにもあったんだろうな)
もうほとんど思い出せない故郷の丘の周りはどうだったかなぁなんて思いながら、黙々とパンの仕込みを続けた。
「……あれって、出血だよな……」
お風呂から上がった僕は、さっき見たものを思い出してブルッと体を震わせた。
お風呂で体を洗っていたら、急にお腹がジクジクし始めた。それはいつものジクジクより少し強めで、ズーンと重い痛みも混じっていた。
変だなと思いながらも、いつものようにお尻の中まで洗っていたとき、ヌルッとした感触がして慌てて指を引き抜いた。
僕の細い指には、ほんのわずかだけど血のようなものがついていた。
お尻の中で出血する病気……、とっさにそんなことを考えた。だって、これまでこんなこと一度もなかったんだ。
先生にお尻の中まで弄られるようになっても、僕の体は思ったより丈夫になっていたのか全然平気だった。先生の指だけじゃなくヘンテコな道具を入れられても平気だったし、むしろちょっと気持ちよくなって困ったくらいだ。
「……もし出血だとしたら、出来物か炎症か、……最悪、難しい腫物 、とか」
腫物 のことは、まだ詳しく教えてもらっていない。でも先生が治せない病気に、難しい腫物 があるってことは知っている。「腫物 の中にはどうにもできねぇものがある。あれは魔女にもどうにもできねぇからなぁ」って言いながら、悔しそうな顔をしていたのを思い出した。
「もし、それだったら……」
急に怖くなった。
それだったとしたら、先生に治してもらうことはできない。もしとても難しい種類だったら、きっとすぐに悪化してしまう。狼がどうかはわからないけど、人が難しい腫物 にかかった場合、若いほうが早く悪くなることが多いからだ。
「どう、しよう」
狼にも難しい腫物 はあるんだろうか。狼が腫物 に弱いのか強いのかすらわからない。もし本当に腫物 だったとしたら……。
「やっと、ずっと好きだった先生のつがいになれたのに」
ようやく先生を受け入れる体に変わってきたのに。指とかヘンテコな道具じゃなくて、やっと先生のを入れてもらえる体になってきたのに。やっと先生にたくさん匂いを付けてもらえると思っていたのに。
「どうしよう……、僕、どうしたら……」
どんどん怖い考えが浮かんできて、結局僕は一睡もできないまま朝を迎えた。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「トウカー、帰ったぞー」
早朝だったがトウカのことだ、絶対に起きていると思って声をかけながら玄関のドアを開けた。
ところが予想とは違って、いつもの明るい声が返ってこない。部屋に入ってみればカーテンは閉まったままで、覗いた台所も静かなままだった。予想と違ったことに珍しいなと思いながら、台所を出て奥の寝室へと向かう。
もし寝ているんなら起こさないでやろうと思って、そっと寝室のドアを開けた。部屋の中を見れば、思ったとおりベッドの上にこんもりとした塊があった。
(そういや、拾ったばかりの頃はいっつもこんな寝相だったっけか)
あの頃はまだ人型になれなかったから、狼本来の寝相で寝ていた。狼の平均的な年齢よりも少し遅れて成体になったトウカは、その後もしばらくの間、人型になれなかった。
二年ほど過ぎてようやく人型になってからも、たまにこうして小さく丸まって寝ることがあった。とくに腹が痛いときや吐き気がするときは、身を守るために自然と丸くなってしまうのだろう。……ということは。
「トウカ、どっか痛いのか?」
丸まった毛布に声をかければ、ほんのわずかだがピクッと震えたのがわかった。
昔はこうして痛みや苦しみに耐えることが多かったが、医者としての知識が増えたいま、トウカがこんな状態で寝ることはまずない。それなのに丸まっているということは、自分ではどうにもできないことが起きているということだ。
「トウカ」
しまった、怒ったような声になっちまった。トウカに何か起きたのだと思った瞬間、頭にカッと血が上ってしまった。……はぁ、医者の俺が冷静にならなくてどうする。
「トウカ、どこか痛くしてんだろ。診せてみろ」
自分を落ち着かせるためにもと、毛布の上から優しく体を撫でてやる。こうするとトウカの存在をはっきり感じられて、俺自身がホッとできるんだ。
(拾ったばかりのときは死んじまうんじゃないかと思って、しょっちゅう撫でてたっけなぁ)
それくらいトウカはひどい状態だった。狼にしてはえらく小さい体だったせいか、見つけたときにはすでにギリギリだった。つきっきりで十日経って、ようやく普通の病人になったくらいだ。
そのときのことを思い出し、ほんの少し手が震えてしまった。
「トウカ、どっか痛いんだろ? 俺に診せてくれないか?」
声をかけて優しく撫で続けると、ようやくトウカの真っ黒な耳が出てきた。それからゆっくりと毛布がめくれ、濡れた水色の目が俺を見る。
「先生、……僕、どうしたら、」
ここ数年で一番不安そうな顔をしている。一体どうしたっていうんだ。
「どこが痛いんだ?」
現れたプクプクの頬を、敢えていつもどおり指の背で撫でてやる。
「僕、……もしかして、腫物 、かもしれない、です」
トウカのごくごく小さな声での報告に、俺の頭は真っ白になった。
「力を抜いて、……そうだ、ゆっくり息を吐いて」
ズボンと下着を脱がせたトウカを診察室のベッドに仰向けに寝かせ、開いた両足を固定する。それから尻の中にゆっくりと器具を入れていく。痛くないように潤滑剤を少し使い、冷たくないようにお湯で人肌にも温めたが、緊張しているトウカの体はビクビクと小さく跳ねた。「大丈夫だ」と声をかけながら、ゆっくりと器具を開いて中を観察する。
(……炎症は起きてない。出来物や痼 らしきものも、見当たらねぇな)
見える範囲に異常はなかった。少しホッとしたところで、つぎは触診だ。奥のほうはどうしても目視しにくいから、指で実際に触っておかしな感触がないかたしかめることになる。
俺は丁寧に洗った右手の人差し指と中指に潤滑剤を付けて、器具で開いた尻穴にゆっくりと指を差し込んだ。それにビクビクと反応してしまうのは、俺が毎日のようにつがいとしてここを弄っているからだろう。
そう、毎日弄りながらも念のための触診は忘れなかった。だからもし腫物 ができていたら、俺が真っ先に気づいたはずだ。
(…………どこにも、それらしいもんはねぇな)
おかしな感触も固い感触もない。強いて言えば、淫液が少し溢れてきているくらいだろう。
やっぱり感じやすい体なんだなと思いながら、指が届く最奥で人差し指と中指をぐるっと動かしたときだった。
(ん? 何かあるな……。これは……。いや、でもまさか、……しかし、)
小柄なトウカは、俺の指でも腹の奥深くまで触ることができる。まぁ俺の指が異常に長いせいかもしれないが、おかげでほかの触診や治療にも役立っているから喜ばしいことだ。
そんな俺の指先に、この前触れたのと似たような感触があった。そう、これは綺麗でおっかない王子サマの友達だという狩人を触診したときとそっくりな感触。
あの狩人……、あー、ナナヤとか言ったか。あいつの腹ん中の奥にあった、腹と胎がわかれる場所にそっくりな感触だ。あのときはかろうじて指先がわかれ道に触れただけだったが、間違いなくあのときと同じだと確信できる。
そしてナナヤは、尻からわずかに出血をしたと言っていた。それで俺は診断を確定したんだ。
「トウカ、もしかして、尻から血が出たりしてないか?」
問いかければ、トウカの体がビクッと大きく震えた。
「……昨日、お風呂に入ったとき、……いつもみたいに中、洗ってたら、指に……」
……まさかと思ったが、そのまさかとは。というか、俺がいなくても尻の中を洗うとか、どんだけ俺好みになったんだ。いやまぁ、俺がそうなるように教えたんだが。
「なるほど、そうか」
俺のつぶやきに、またトウカの体が震えた。あぁ、こんなに怯えて、……くっそ可愛いな。あぁ違う、そんなことを思ってる場合じゃねぇ。
でも、このことを知ったトウカは今度こそショックを受けやしないだろうか。人だってショックを受ける奴がいるくらいだし、狼ならなおさらそうなってもおかしくない。祝福のリンゴを食べさせていたと教えたときだって、夢でうなされるくらいショックを受けていた。今度はそれ以上のショックを受けるかもしれない。
さて、どうしたものか……。
「先生、僕、やっぱり、難しい腫物 、なんですか……?」
開けっぴろげにした股の間から、不安そうにこっちを窺うトウカの顔が見える。湖のような水色の大きな目は完全に潤んでいて、ふさふさの耳だってぺしゃんこだ。診察の邪魔にならないように器具で固定している尻尾も、固定する必要がないくらいくたりと力を失っている。
(あー、むしゃぶりつきたいくらい可愛いじゃねぇか。そもそも俺は、好きな奴ほど泣かしてぇ性格なんだよなぁ)
ついでに言えば、性交では相手の頭がぶっ飛んでしまうくらいいじめるのが好きだ。そのうえ絶倫ってことで、王子サマからは綺麗な顔を本気でしかめるくらいの勢いで見られたことが何度もある。
いやいや、娼館ではさすがに手加減してたぞ? それにトウカにだって、ちゃんと手加減はしている。
そりゃそうだ、トウカは俺にとって一番大事で一番失いたくない存在だからな。泣くほどいじめたいし頭がぶっ飛んで馬鹿になるくらい感じさせたいが、同じくらいトロトロにして多幸感いっぱいの快感を味わわせたいのも本当なんだ。
「先生……」
しまった、あまりの現象にどうでもいいことに頭が逃避してしまった。
「先生、僕、」
「心配ない。こりゃ病気じゃねぇよ」
まぁ、ショックを受けたら受けたで、俺が全力でどうにかすればいいだけのこと。これから一生をかけてトウカを全力で守るし、大事にするんだから問題ない。
「トウカ、おまえの腹ん中に胎ができている」
「お腹のなかに、はら……?」
「そうだ、子どもを孕むことができる胎ができたんだ」
俺の言葉を聞いたトウカは、大きな目をより一層大きく見開いた。
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