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帰宅 3

「お兄ちゃんが帰って来なくても。あたし達はずっと待ってた。お母さんは待ってた。死ぬまで待ってた。あの子が何も言わずにどこかへ行くはずない。帰って来ないのは理由があるんだって」 妹は店のドアに鍵をかけ「臨時休業します」と書いたをボードを貼った。 妹が店の裏にある住居スペースに向かおうとしているのがわかった。 ついていく。 妹はキイチと同じ身長になっていた。 やたらと背が伸びてたもんな、と悔しく小柄なキイチは思ってしまう。 「お前の店?」 キイチは分かりきったことを聞く。 「そう。お父さんの仕事手伝ってみたら意外と面白くてね。でも弄ったり改造する方が好きで、それをネットで趣味で紹介してたら仕事になった。今はバイクをカスタムして売ってんの。需要あるんだよ。カッコいいだろ?」 妹は笑った。 自慢げに。 仕事が好きなのがわかる。 そう。 そうか。 ちゃんとその笑顔に、高校生だった妹もいた。 兄の死をのりこえてきたのだとわかる。 「お父さんも。お兄ちゃんをずっと待ってる。あたしには言わない。あたしにはお兄ちゃんがいなくなったことに囚われるな、って言ってたくせに、お父さんもずっとお兄ちゃんを待ってた」 妹は言う。 昔とは違う玄関が裏の住居スペースにはあった。 住居部も随分オシャレになっていた。 妹の店は流行っているようだ。 「お父さんは工場もしまうつもりだった。あたしにもどこにでも好きなところに行けって言ってた。確かに最初は落ち込んでるお父さんを励ましたくてこの仕事手伝ったけど、あたしはもうこの仕事が好きだったのにね。でも、あたしがまあ、そこそこ有名になったから今は納得してくれてる。でも、今度はずっと自分が出ていく、出ていくって言ってる」 妹は寂しそうな顔をした。 なんでそんな顔をする。 なんで? なんで? 「あたしが結婚しないのも、あたしが恋人を作らないのも、あたしがそうしたいことなんだってのは分かってもらえないんだなぁ。してるんだけどね、好きなように」 妹は肩を竦める。 「まあ、お前が人の言うこと聞くわけないしな」 キイチは言った。 この妹は誰の言うことも聞かないのだ。 「でしょう?」 妹が言った。 唇を尖らせて。 確かにまだ高校生の妹がそこに重なった。 二人は家に入っていく。 家には人の気配がする。 テレビの音も。 笑い声がする。 誰かが笑っていた。 女性の声だ。 部屋の間取りが全く変わってしまっていた家を歩く。 玄関も何もかもが作り替えられ、廊下には手摺までついていた。 段差は1つもない作りになっていて。 その意味をキイチは知ることになった。 「お父さん、ただいま。キムラさん、いつもありがとうございます」 妹は部屋の前で明るく言った。 妹の後ろから部屋に入った。 そこに父親はいた。 痩せこけた腹から管がのび、その管は点滴のような袋に繋がっていた。 流動食を直接胃に流しこんでいるのだ。 キイチはボランティアで老人ホームに行ったことがあるから知ってた。 自力で食事が取れない人は胃から直接栄養をとることがある。 その流動食の袋とチューブを、今の妹と同じ歳頃の女性が笑顔で父親に話しかけながら調整してた。 父親は介護ベッドの頭の部分を持ち上げられ、座るような姿勢をとっていた。 これが父親? この老人が? あの強くてがっしりしていた父親の身体はどこにもない。 細い枯れ枝のような右手が曲がったまま胸のあたりにあるから、右手が麻痺しているのがわかる。 脳梗塞。 これも老人ホームで知ったことだ。 父親は脳梗塞で倒れて、麻痺状態になり、長く寝たきりなのだとわかった。 それもそうとう長く。 薄い掛け布団の端から見える萎えた足首がそれを証明していた。 キイチはショックを受けた。 妹の変わりようよりもショックだったけど、これは。 枕の位置を治してもらい、父親は女性に動く左手と、頭の動きだけで感謝を表していた。 父親の唇は動くが言葉はでない。 言語障害。 そうなのだと、キイチは分かってしまった。 父親は身体の自由も言葉も奪われている。 だが。 父親は笑顔で、女性も笑顔だった。 妹の声も明るい。 「キムラさん、ごめん、ちょっと早いけど、ごはん食べててもらえる?お客さんが来たから。ここは私がするね」 妹が言った。 キムラさんと呼ばれた女性は頷くと部屋をでていこうとし、妹の影にいるキイチに気付き、首を傾げる。わ だが、直ぐにまた笑顔で部屋から出ていった。 父親からは自分は見えないだろう。 だが、父親の表情もキイチには見える。 父親の訝しげな顔が見えた。 「お父さん、ビックリしないでね。会わせたい人がいるんだけど」 妹が悩みながら言っているのがわかる。 「もしかしたら、私だけが見てる幻覚なのかも知れないんだけど」 そういう妹の気持ちも理解した。 だよな。 そう思う。 父親が首を傾げる。 何を言ってんだお前は。という顔だ。 その通りで。 それもわかる。 「お兄ちゃんが帰ってきた」 妹が腕を引っ張るから。 キイチはおずおずと前に出た。 キイチには数日ぶりで。 父親には40年ぶりで。 父親の目が大きく見開かれた。 唇が震えた。 「黄一」 父親の唇が言葉を紡いだ。 それは確かに。 キイチのよく知る父親の声だった。 「お父さん、喋った!!」 妹が驚く。 父親はキイチにむかって、左手を伸ばす。 伸ばせるのが左手だけだからだ。 「黄一!!」 その声は絞り出すようで。 キイチは駆け寄らずにはいられなかった。 時間を超えて。 キイチは帰ってきたのだ。 父親のもとに。

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