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第2話

バイトを終えると、外はもうかなり暗かった。昼間よりも冷えた風が吹いていて、身を寄せて歩くカップルが目に入る。 「凛太郎〜」 姿を探す前に向こうから体当たりしてきた。手間が省けて良かったと思う程度には、やはり面倒だと思っている。 (そうだ、玲さんは) 携帯には何も連絡は来ていなかった。今夜は来ないだろう。 「ね、凛太郎。久しぶりにお好み焼き食べたいから向こうのお店行こうよ」 友人である翠は凛太郎の腕を強引に引っ張って、バイト先の書店から移動していく。 「ちょ、ちょっと待って」 「なに?誰か探してるの?」 「いや、そういう訳じゃ…」 ざっと見渡してみたが、暗くてよく分からない。凛太郎を待っている時は、書店前の電信柱の横でガードレールに凭れていることが多い。ここにいないのなら、今日は大丈夫だ。 「お腹空いたから早く行こうよぉ」 「うん。俺もすげぇ腹減った」 クリスマスはどうするの?予約してもいい?という、気の早い話に笑って返事を濁しながら歩き、彼女の目当ての店に着いた。 よりによって、元宮とその恋人が頻繁に訪れている店だ。暖簾をくぐる前に嫌な予感がしたのだが、店内に入るなりばっちり目が合った。 顎髭の黒澤は、手にしていたビールのジョッキをあげて凛太郎に笑顔を見せた。 向かいの席に座っていた元宮の視線は、凛太郎の腕に密着する翠へと向けられている。 「なんだ。デートか」 「友達ですよ」 店内は混雑していて、案内されたのは二人から離れていて一安心した。 「ね、今のオジサン知り合いなの?」 思わず吹き出しそうになったが、そうだよ。と返事をした。 「なんか、エッチ上手そうな感じよね」 「翠ちゃん。周りの人に聞こえるから」 小声で注意をしてメニューを渡すと、アイラインに縁取られた瞳がぱちくりとした。 「なに?」 「凛太郎さぁ。やっぱりちょっと変わったよね。何?付き合いが悪くなったのと関係あるの?」 少し前までは、よく元宮に飲食店で低能な話はするなと足を蹴られていた。それを考えれば、確かに変わったのかも。 「ん〜、どうかな」 「誤魔化さないで教えてよぉ」 派手な色をしたネイルでメニューを振っていた彼女の手にそっと自分の手を重ねた。 ぴくりと揺れて動揺するのを確認した凛太郎は、少しだけ上半身を前に倒して距離を詰めた。 「その話は後でね」 彼女にしか聞こえない声音に色を乗せて囁くと、嬉しそうに笑った。 「やっぱり凛太郎変わった。前より格好よくなってる」 「はいはい、ありがとうね。それで、何食べるの?」 「オムそば!」 普段はSNSに相応しい店を選びがちな翠が珍しい。 彼女こそ何かあったのだろうか。 「翠ちゃん、今日は何か話したいことでもあった?」 「うん。あるにはあるけど。とりあえず、やること全部終わらせてからにしない?」 夕飯の後のホテルまで含まれていることが分かって、どうしようかと逡巡しつつ二人の席を見た。 元宮は凛太郎達を気にする素振りもなく、向かいに座る恋人と楽しそうに食事をしている。 幸せそうな二人を見て、胸が気持ち悪くなった。 「…優しく出来る自信ないんだけど。いい?」 翠は凛太郎の問い掛けに、小さく頷いた。 控え目にいっても楽しんでしまった。 乱暴にしてと望まれたんだと言い訳しても、単に自分が発散したかっただけ。 まるで子供みたいだ。 「今までで一番良かった…」 体力を使い切った凛太郎は、全裸のまま大の字になっていた。先にシャワーを終えた翠が、凛太郎の隣に寝転んで密着してきたのだが、欲求が満たされるともう面倒だ。 「今までね…」 本当にどうしたんだろう。相手が望んだからと張り切った強引なセックスで、満たされたはずだ。溜まっていた性欲は解消されて、身体はスッキリしている。なのに、把握出来ない身体の隅で消化不良を起こしている。 それがなんなのか、よく分からない。 「今の凛太郎なら、恋人になってもいいんだけどなぁ」 「え?翠ちゃん、彼氏欲しいとか言ってたっけ」 「そりゃあ、ずっと一人でいたいとか思ってないよ」 「ふーん」 自分で聞いておいて興味のない返事をしてしまった。 「あ、そうだ。話なんだけどね」 「あぁ、うん」 身体がだるくてシャワーを浴びに行くのも面倒だ。 「うちのお兄ちゃん、カメラマンなんだけど。誰か一人イケメン連れて来いって言われてるのね。それで、凛太郎に来て欲しいんだ」 へぇ。と返事をしかけたが、翠の話に具体的な内容が入っていない。兄がカメラマンだと前にも軽く聞いた気がする。 「…翠ちゃん、それさ。俺じゃなくてもいい一人だよね」 「んふふ、流石ね〜。あのね、何人か集められると思うんだけど、凛太郎には絶対に採用されて欲しいの」 打算的な女の子の笑顔は少し怖い。もしかして、ヤらせてやったんだから了承するだろうと言う目論見なのか。 「…俺から誘ってないよね?」 「凛太郎はエッチした相手が困ってるのを、見捨てたりしないもんね?」 ただのセフレのくせに、困っている時だけこれだ。 凛太郎はややこしそうな話を聞かされる前に、シャワーを浴びに浴室へと向かった。 仕事終わりの更衣室は、学生の頃の記憶を呼び起こす。 会話を交わす友達は一人もいなかったが、体育やプール終わりの更衣室にいると、周囲の賑やかな話し声のお陰で、自分も友人たちの輪の中にいる錯覚に陥るのだ。当時はただ黙って着替えを終えて一人で行動していたが、今は違う。 「よぉ、有坂!今週はどうだ?」 黒澤より上の立場にある上司に声をかけられて、思わず笑ってしまった。 先週末、この上司に飲みに誘われたのだが、友達との約束があると断ったのだ。だから今度こそ。と、言いたいのだろうが、今日はまだ月曜日。気が早すぎて吹き出してしまった。 「今日月曜日ですよ。若者を成人病まっしぐらコースに誘うのは勘弁してやってくださいよ」 玲が返事をするより先に、長身の逞しい背中に庇われてしまった。 「お前が付き合い悪いから、有坂を誘ってんじゃねぇか」 「とにかくコイツは酒も強くねぇんで、健全な食事会にしてやってください」 就職した当初は、こうした誘いを上手く断るのも下手で困っていたが、今はそうでもない。 だが、面倒見のいい黒澤班長は今でもこうして間に入ってくれる。 (相変わらず男らしい体格だな) 彼は見た目や体格だけでなく、性格もかなり男前だと思う。玲が人生で初めて好きになった人が、パートナーに選んだ相手だ。付け入る隙もなくて当然だ。 「や、今週末ならいいですよ。特に約束もないんで」 黒澤の背中を見ながら返事をすると、勢いよく振り向かれて驚いた。 「おぉ、そうかそうか!じゃあ、いい店用意してやるからな!」 今週末はどうやら夕食をご馳走になれそうだ。 「おい、いいのかよ。無理して付き合わなくていいんだぞ」 「大丈夫ですよ。それより、早く帰ってあげてください」 好きな人が出来て、自分から勇気をだして行動する事で色々と知ることが出来た。世の中は、思ったより悪くない。僅かな成長かもしれないが、学生時代の自分からは想像出来ないほどだ。 「お前、生意気言うようになったな」 「黒澤さんのお陰でね。あ、すみません。元宮さんのお陰でした」 わざとらしく言い直すと、大きな手に髪を乱された。きっと、元宮さんが彼に惹かれたのもこういう所だろう。 「汐月がさ、近いうちに飯でも食いに来いって言ってたぞ」 「え。新居にですか?」 「あぁ。やっと引越しの荷物も片付いたしな。チャラい君と二人で来いよ」 凛太郎と行くのなら、二人で新居祝いを選びに行かなければ。 「いい加減名前で呼んでやればいいのに」 「大人気なくて悪かったな。まぁ…、もう汐月は完全に俺の嫁だから、許してやってもいいけどな」 許すも何も、元宮が凛太郎と身体の関係をもったのは、黒澤と恋人になる前の話だ。黒澤は元宮の事になると、少し男前度が下がる。 「なんだよ。そんな目で見るな。仕方ねぇだろ。汐月はモテ過ぎるから心配なんだよ」 過去の男まで気にし始めたらキリがないのに。だが、玲は誰とも交際したことは無いので、その辺りは未知数だ。そんなもんですか。と、リュックを背負った。 「また汐月と相談しておくからな。チャラい君にも伝えておいてくれ」 凛太郎は元宮と同じ職場なのに。と思ったが、それは言わずに頷いておいた。 外へ出ると、風がかなり冷たかった。暗くなるのも早くなり、季節がかわっていくのを肌で感じる。 先週の金曜日の夜は、渡も一緒に凛太郎の自宅に泊まった。彼の実家はかなり裕福らしく、大学生の一人暮らしには贅沢過ぎるマンションに住んでいる。彼は玲とはまるで正反対で、明るい笑顔で誰とでも仲良くなってしまう。 元宮が言うには、毎日違う女の子を連れて遊び回る今時の大学生らしいが、玲が知る凛太郎は違う。フラれたもの同士だからと遊びや飲みに誘い、やたらと玲の相手をしてくれる。 優しい凛太郎といるのは楽しくて心地いい。だが、元宮と黒澤が同棲し始めた時、凛太郎と頻繁に会っていて気がついた。凛太郎が今までの友達や女の子と遊ぶ時間を邪魔しているんじゃないかと思ったのだ。 いつだったか、二人だけで飲んでいる時に自分も友達が少ないと聞かせてくれた。女の子の友達は多くても、同性の友人がいないと言うのだ。それはきっと、沢山の女の子から慕われる凛太郎が羨ましいだけじゃないかと、玲は思った。 俺もそれが原因だと思う。と、凛太郎は笑っていた。その時、強い人なんだな。と、素直に感じた。友達がいないなんて、言葉にして楽しい人はいないだろう。望んでそう在る人は別だが、玲自身もそうだから理解出来る。 黒澤に、友達はいないしひとりが楽だから。と話していた時の自分は、卑屈だった。どうせ誰にも分からない。この気持ちを知ってもらおうとも思わない。そんな風に意固地になっていた癖に、実際は構って貰える嬉しさを噛み締めていた。 (凛太郎くんは、俺の事を似ているもの同士なんて言ってくれるけど。絶対違うよ) 彼といると、心が軽くなる。仕事で失敗した重い気持ちも、元宮と黒澤を見送る時のせつない気持ちも、全部笑顔に変えてくれる。 そんな魅力溢れる人を、独り占めするなんてとんでもない事だ。そう気がついてからは、自分からは誘わないように意識しているのだが。 結局は、彼からまめにメールが届く。誘ってくれるならと断らずにいると、今までと何も変わらない。 (俺のが歳上なのに。これじゃ駄目だよな) 自宅手前の弁当屋で夕食のハンバーグ弁当を買った。ご飯を大盛りにすると、いつも利用してくれるからと、店主らしき男性がおまけにトンカツをつけてくれた。 寒いとやたらと空腹になる。有難いサービスに礼を言って店を出たところで、トイレットペーパーが無かったことを思い出した。 もう自宅のマンションは目の前で、ドラッグストアはない。 温かい弁当を早く食べたい。どうしようかと数秒足を止めていたが、弁当屋の斜め向かいに古びた薬局があるのが目に入った。 小さな個人経営のその店は、狭い店内に薬とちょっとした生活用品を置いていた。 店先にトイレットペーパーが見えて、そこで買うことにした。 ドラッグストアで普段購入しているものよりは値段がはるが、背に腹はかえられない。 高齢の女性にレジで代金を払っている時に、女性の後ろの棚に大きなポスターが貼られているのが目に入った。 どうやら化粧品の広告のようだ。綺麗な女性の顔が並んで映っている。なんとなく目に入って眺めていたが、突然気がついた。 「え!」 大声を出した玲に驚いて、店員の女性が釣りの小銭を落としてしまった。 「あ、すみません」 「ビックリした。心臓止まっちゃうかと思ったわ」 「本当にごめんなさい」 謝罪しながら落とした小銭を拾って、細くなって皺の目立つ女性の手の上に乗せた。 「あ、あの、ポスターって」 「え?これ?少し前のやつなんだけどね。綺麗だから貼ったままにしてるのよ。この人達のファンなの?」 女性にレシートと小銭を渡され、思わず頷いてしまった。 「これは私も気に入ってるからあげられないけど、これならまだあるわよ」 女性は背を向けると、ポスターの下にある引き出しの中から出したものを玲に差し出した。 それは、試供品の小さなパックがついたものだったが、貼り付けてある紙にはポスターと同じ写真があった。 「化粧水の試供品なの。男性用のやつだから、お兄さんも使ってみて」 「も、貰っていいんですか」 「試供品だからね」 よっぽどファンだと思われたのか、写真なら撮ってもいいよと言われたので、大きなポスターの方は携帯で撮影させて貰った。 トイレットペーパーを受け取った玲は、早足で帰宅した。 まだ温かい弁当を小さなテーブルの上にトイレットペーパーと置いて、立ったまま試供品についた写真を見つめた。 「…やっぱり、これ元宮さんだ!」 撮った写真を表示させた携帯で、ぱっちりとした瞳の人を拡大してみる。やはり、元宮だ。間違いない。店の女性は男性用化粧品だと話していた。 玲はリュックも背負ったまますぐに検索してみた。すると、ポスターと同じ写真が出てきた。 どうやら、男性用化粧品を販売する会社の宣伝ポスターに元宮が起用されたらしい。 一時期ネットで騒がれたらしく、女の子より可愛いというコメントを多数見かけた。 「隣の人も男性なのか…」 興奮が落ち着いてきた玲は、リュックを背負ったまま元宮にメールをした。

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