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第3話
少し前の凛太郎ならば、男性用化粧品のモデルなんて楽しそうだと思っていたと思う。
どうして乗り気じゃないのだろう。自問自答してみても、気持ちが掴めない。
翠からモデルのオーディションに来て欲しいという話をされて、返事は保留にしてきた。
絶対に受けてもらうと鼻息を荒くしていたが、そこまで目立つ事をする時は、事前に実家へと連絡も入れなければ。
「明日…。朝から授業で昼からバイトか」
携帯でスケジュールを確認したあと、残っている玲とのメールのやりとりを眺めた。
最近、向こうから連絡してくる事が減った気がするけれど、気のせいだろうか。
こちらからメールをするとすぐに返事は来るし、誘えば了承してくれる。
(気のせい…か)
それとも、徐々に把握出来ない感情が揺らいでいる凛太郎に気付いたのだろうか。
(いや、なんだそれ。ちょっとオナニーしてる時に思い浮かべたくらいで……。これってアウトかな)
女性が対象であればごく自然な事として疑問は残らない。あの時、凛太郎の頭の中には元宮との情事が描かれていた。ただ、フィニッシュが玲だった。やはり、良くない気がする。
「なんか、あの人って俺の前だと無防備な気がするんだよな」
誰もいない自宅のリビングに響いた声に、返事をするように携帯の着信音が響いた。表示された玲の名前に、心臓がまた大きく揺れる。
「…もしもし?」
【凛太郎くん、こんばんは。ごめんね、夜遅くに】
凛太郎の友達に、わざわざ電話で丁寧な挨拶をする者はいない。
「起きてたから大丈夫だよ。玲さんこそ、平日なのに遅くまで起きてるね」
どことなく声が弾んでいる気がする。いい事でもあったのかな。可愛いな。
自然と微笑んでいると、明日なんだけど。と切り出された。
【平日だけど、夜に会えないかな】
「明日の夜?いいよ。どこで食べる?」
【あ、出来たら…。君の家にお邪魔したいんだけど】
どこか恥ずかしそうな言い方に、鼓動が早くなった。
「…俺ん家?構わないけど」
何の話かは分からないが、凛太郎が昼からバイトだと伝えると、店の前で待つからと言われた。
帰り道にピザを買って帰ろうと決めて、おやすみと通話を終えた。いつもと変わらない流れなのだが、どこか玲の声音がいつもと違っていた。
(なんだろ…。落ち着かない感じで、ちょっと恥ずかしそうな…)
思い出しながら、凛太郎の胸が徐々に騒ぎ出した。これはなんだ。何故こんなにドキドキしているんだ。
もう深夜になるというのに、妙に落ち着かなくなってきた。
凛太郎は就寝の為に入浴したが、眠れそうにないので提出期限にまだ余裕のあるレポートに取りかかった。
顔を見た瞬間から、疲れていそうな印象はあった。日が落ちるのが早くなった秋の夕暮れではよく確認できなかったのだが、彼の自宅へお邪魔して、リビングの明かりで確認すると目の下にクマができていて驚いた。
いつでも女の子とデート行けるような小綺麗なイメージが、かなり崩れている。
(いや、それはそれで失礼なのか)
なんでも頭の中で物語の登場人物のようなイメージを作り上げてしまうのは、悪い癖だ。
玲はピザの袋をテーブルに置くと、キッチンでビールを用意する凛太郎に声をかけた。
「凛太郎くん、もう少し胃に優しい食べ物の方が良かったんじゃないか?」
「ん?なんで?」
爽やかな微笑みを向けられたが、目元に疲労が漂っている。
「…疲れてるんじゃない?」
「あ、あ〜。徹夜でレポートしてたからかも」
「徹夜?寝てないのか?」
「少しは眠れたし、平気だよ」
充分ではないからクマを作ってしまったんじゃ。そんな時に、会って話したいからという理由だけで押しかけてしまった。
「俺帰るから、今からでも横になって休んでよ」
高校を卒業してすぐに就職した玲には、大学のことはよく分からない。友達もいないので話にも聞いたことがないが、睡眠不足が身体に悪いことだけはわかる。
すぐに玄関に向かおうとしたが、腕を掴まれ引き止められた。
「待って待って。玲さんを追い返す程疲れてないよ。平気だってば。せっかく美味しいピザ買ったんだから、とにかく食べよう。俺めっちゃ腹ぺこ」
缶ビールを渡されて促され、テーブルへと戻った。今日は早めにおいとましよう。
焼きたてのピザは美味しいが、つまらない理由で押しかけてしまった軽率さが美味さを半減している。
「…えっと、玲さんの方の話っていうのは…?」
どうしよう。昨夜はテンションが上がったまま電話してしまったが、睡眠不足の彼を相手に話すことではない気がする。
「や、あの…」
言い出しにくくてピザの粉がついた指を見つめていた。ここで話さないというのもどうなのか。自分から話したいからと誘ったくせに、やっぱり今度というのは良くない。
「あ、あの、これなんだけど」
足元に置いていたリュックの中から、薬局で貰った男性用化粧水の試供品を出した。
手のひらサイズのそれは、一瞥しただけでは判別しにくい。凛太郎は手に取ってから、あぁ。と声を出した。
「元宮さんがモデルになったやつだ。これ、ポスター見た時感動したんだよね」
「そ、そうなんだ。俺もめちゃくちゃびっくりしちゃって。ポスターじっと見ちゃってたら、お店の人がくれたんだ」
「…やっぱり可愛いよね、元宮さん」
予想通りの言葉が聞けた嬉しさで、思わずテーブルに身を乗り出した。
「凛太郎くんは直接聞いたの?元宮さんから」
「んなわけなじゃん。あのバーに行った時に、これと同じやつを貰ったんだ。帝王さんに」
あのバーとは、元宮の行きつけの店だ。繁華街の隅でひっそりと営業しているゲイバーは、繁華街の帝王と呼ばれる男が経営している店で、元宮はその男と親密だった。
ストーカーのような真似をした玲には、苦い記憶でしかない。
「そうか。凛太郎くんも持ってたんだね」
「うん。…っていうか、話ってこれの事?」
「う、うん。知らなかったから。本当に元宮さんって綺麗で可愛いよな。…でも、話してみたら凄く男前な性格してるし。俺みたいなのにも優しくてさ」
我ながら相手の都合を考えない、好意の押しつけをしていた自覚がある。なのに、元宮は近寄るなとも言わず、友達だと言ってくれたのだ。
上司である黒澤から奪い取ろうなんて思ってはいないが、好きな気持ちというのは簡単に消えたりしない。
「…まぁ、そうだね。わかるよ」
凛太郎は試供品を眺めながら、目を細めている。
「…凛太郎くんも、やっぱりまだ元宮さんが好きだよな」
「ん、え?いや、まぁ」
「そうだよな。俺は元宮さんがリアルでは初めて好きになった人だけど、恋人がいるって分かってても、そう簡単に気持ちは止まらないよな」
「……玲さんは、まだそんなに好きなんだ」
「凛太郎くんもだろ?」
缶ビールを飲み干した凛太郎は、新しいものを取りにキッチンに向かった。
「寝不足なら飲み過ぎない方がいいんじゃないか?」
「平気だよ。…俺はさ、もう本当に大丈夫。確かに元宮さんの事は好きだったけど、引きずるとかはないかな。元通りとは行かないけど、女の子達とも会ってるし」
「そうか。凛太郎くんは友達多いよな」
「意味、分かってる?」
「え?分かってるけど…」
意味は理解している。要は、デートをしているのだろう。それ以外になにかあるのかと彼を見ると、テーブルに肘をついてこちらを見つめていた。
「…凛太郎くん?やっぱり調子良くない?」
「そういえばさ。少し前に酔っ払って元宮さん達に迷惑かけたって話してたじゃん。俺が電話しても連絡とれなかった日の」
何か誤魔化されたような気がしたが、余り話題にされたくない話を振られて胸が変に冷たくなった。
「なに、急に」
「詳しく聞いてなかったなって思って。結局、玲さんはどんな迷惑かけたの?」
酔っ払った勢いで、元宮を抱きたいと黒澤の元からさらおうとした。なんて、友人の彼に言えるわけが無い。いくら酔っていても、許されない類の行動をとった。黒澤からはそれがきっかけで仲直りができたからいいんだと言われたが、あの日以降飲み過ぎないようにと自分を戒めている。
「それは…あんまり覚えてないっていうか…」
「なんかさぁ。そこに関しては元宮さんも教えてくんないんだよね。だから余計に気になっちゃって」
にっこりと向けられた笑顔は、いつもの彼だ。なのに、違和感が拭えない。
「それは…話したくない」
視線を落として冷たくなっていくピザを見ながら言ったが返事はなかった。
居心地の悪いこの空気は知っている。学生の頃にも、何度かあった。気に入らないのなら放っておいて欲しいのに、気紛れで声をかけてきて話しかけてくるクラスメイトと似たような雰囲気なった。原因はおそらく、玲が相手の望む反応が出来なかったせいだ。
暫く待ってみても凛太郎から動きはなかった。
あのクラスメイト達のように、呆れた様な目をされていたらと思うと顔をあげられない。
初恋を知り色んな人と関わる事で、自分は変われたと思っていた。顔を隠していた長い髪も切り、他人と会話する事も出来ようになった。だから、凛太郎という友人もつくれたのだと。
それは自分勝手な解釈だったのかもしれない。
「…やっぱり帰るよ。凛太郎くんの都合も考えないでごめん」
発した声は震えていなかったと思う。
膝に上手く力が入らなくて立ち上がる時にテーブルに腰をぶつけてしまった。
リュックを手にしてリビングを出る時に、お邪魔しましたと頭を下げたが、結局凛太郎の顔は見れなかった。
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