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第4話
後悔と言うのは文字通り後で悔やむと書く。
凛太郎は、あの夜の自分の行動を思い返しては後悔し、羞恥で穴に入りたい思いに駆られていた。
もう何日も悩んでいるようだったが、数日しか経過していない。
もう、はっきり理解した。
玲が目の前で元宮を褒めたり、話せないと隠し事をするような態度をして腹が立ったのは、凛太郎が玲を好きだからだ。
知り合った頃は元宮のストーカーだと認知していたが、知れば知るほど彼を好ましく思っていた。いつから彼に対して特別な感情を抱くようになったのかは、曖昧でよく分からない。
とにかく、あの夜の凛太郎の態度は酷かった。拗ねて意地悪をした。言葉にしてみると、まるで幼い子供の我儘だ。
なのに、玲は凛太郎を責めなかった。可哀想に、一度も凛太郎の方を向かずに俯いたまま逃げる様に帰ってしまった。
その姿にも胸が締め付けられた。すぐに追いかけて引き止め、抱き締めて押し倒したくなったのだが、それはしてはいけないことだ。
どうすればいいだろう。
ずっと考えているが、自覚してしまって我ながら驚いている。
親密になりたいと思った相手には、躊躇したことが無い。凛太郎は自分の感情に素直だ。それが自分の長所だと思っていた。可愛いと思った女の子にも、物珍しさから近寄った元宮相手にも、鬱陶しいと言われてもアプローチは続けた。
それなのに、玲を相手に考えてみると、それは選択出来ない。
彼は明らかに凛太郎を友達としか見ていない。それも、人生初めての親友だと、以前酔っている時に話してくれた。
凛太郎とは違う意味で友達に恵まれなかった彼が、友達という貴重な存在だと認めてくれている。
(ダメだ。俺からは何もできねーじゃん)
そもそも、ここまで急激に意識してしまったのは、意味深な電話のせいだ。
深夜に電話をしてくる事も珍しいのに、あえて凛太郎の自宅で話したい事があるなんて匂わせたのは向こうだ。
照れたような声音で言われれば、誰だって期待するんじゃないだろうか。
告白されちゃうのでは?なんて、凛太郎の勘違いだったが。
そんな恋の駆け引きもなにも知らない、純粋な玲が好きだけれど、腹が立つ。
「まーたサボってる。仲くん、さっきから同じ所モップかけてません?やる気ないんやったら上がったら?」
外は大雨で店内には客も少なく、凛太郎は休憩室の床掃除を言いつけられていた。
だが、確かに自販機前から始めた割には立ち位置が動いていない。
「よう降ってるから、もうお客さん来んやろね」
「…元宮さん、休憩?」
「見たらわかるやろ。は〜、温かいコーヒーが美味しい季節になったわ」
凛太郎はモップを持ったまま元宮が座る隣に腰を下ろした。
「サボりなや」
「あのさ、玲さんから連絡きてない?」
「来てへんけど」
男性用化粧品のポスターを見て、直接元宮へ電話をしたのかと思っていたが、していなかったようだ。あのポスターを見つけたと話す様子は、嬉しそうだった。それを早く話したくて電話をしてきたのだと、冷静になった今ならわかる。嬉しかったから、凛太郎に話したかった。その事実はとても嬉しい。そして、そんな彼が可愛いと感じてしまう。
「…モップ抱き締めてニヤつかんといてや。気持ち悪いねんけど」
「えっ。俺、ニヤついてた?」
「理由とか聞きたないから言わんでええよ」
元宮は昔から、とことん凛太郎には冷たい。そうさせてしまったのは凛太郎なのだが。
「ニヤついてる場合じゃないんだけどな」
「あ。玲くんが元気にないんは仲くんのせいなん?」
「…元気ないの?」
自分のせいで元気がないと聞いたのに、どうして少し嬉しくなってしまうんだろう。直後に元宮が頭を叩いてきて、顔が緩んでいたかと焦ってしまった。
「喧嘩したんやったら、はよ仲直りしぃや。元気なくてどんよりしてるって丈晃から聞いてるで」
「…玲さん、元気なくてしょぼくれてんの?」
「だから、そうやってゆーてるやろ。ほんまに何?なんでちょっと嬉しそうなん」
今度も顔に出ていたか。口元を手で隠したが、元宮相手にそれは無意味だ。
「仲くん」
ドスを効かせた低い声を出したつもりなのだろうが、それでも愛らしさは消えない。ここでからかうと後が大変なので、凛太郎はそのまま黙っていた。
「もしかして、意地悪してるん?」
口を押さえたまま頭を横に振った。
「言い合いしての喧嘩やったら、そんなにへこまんと思うねんけど。仲くんが一方的に冷たくしてるとかやったら、納得できるねん」
そんなに嬉しくなっても仕方がない。玲が落ち込んでいるのは、他に友達が居ないからだ。決して、凛太郎が好きで冷たくされたから落ち込んでいるんじゃない。
(それでも嬉しいな。俺の事でしょぼんってなってるなんて、めちゃくちゃ可愛いじゃん)
これは、思ったよりハマってしまっている。
「理由まで説明せんでもええけどな。はよ謝ってこなあかんで」
可哀想やろ。と、元宮は言った。
そんなことは無い。可愛いじゃないか。
そうだ。友達としか認識されていないからと言って、諦める必要は無い。今からでも遅くはないのだ。玲には改めて凛太郎という人間を好きになって貰えばいい。
それならば、自分の長所を知って欲しい。あらゆる女の子達から求められる、凛太郎の顔やスタイルは自信がある。
「元宮さん!」
「ビックリした。なんやの」
「俺、採用して貰えるように頑張ります!」
「……何の話か知らんけど、先に仲直りせなあかんよ」
「仲直りの為にもやんないと。よく考えたら、翠ちゃんがもってきた話しの所って、同じ化粧品会社のだった!」
「…益々何の話やねんな」
元宮は呆れ顔をしながらも、凛太郎の質問に答えてくれた。元宮がモデルをしたのは、ゲイ友達のパートナーが勤める化粧品会社らしい。
凛太郎は元宮が休憩を終えて出ていったあと、早速翠に連絡をした。
てっきりオーディションを受ける会場にでも呼び出されると思っていたのに、翠から指定されたのは駅から少し歩いた所にあるカフェだった。
先に店内に入っていた凛太郎は、レトロで落ち着きのある雰囲気のお陰で緊張感を解せた。
アルバイトかと思った男性は店主のようだ。まだ二十代に見える店主は、綺麗な黒髪をしていた。カウンター席に座る数人の常連客からひっきりなしに声をかけられているが、優しい笑顔で応えている。店の奥には大きな柱時計があって、過去の世界に迷い込んだような気分になれた。
「凛太郎。お待たせ」
現れた翠はよく似た顔立ちの男性と一緒だった。彼がカメラマンの兄だろう。
立ち上がって頭を下げると、そんなにかしこまる必要はないから。と、座るように促された。
「良かった。凛太郎が受けてくれて」
「ひとまず詳しい話を聞きたいなと思ったんですけど」
翠の言葉を遮るように言うと、兄の方に優しく微笑まれた。
「いつも妹がお世話になっています。というか、迷惑を掛けてないかな」
「あ、いえ。そんな事ないです。翠ちゃんはいつも元気なので」
当たり障りのない会話をして名刺を受け取った。
「改めて、内山一翠(いっすい)と申します」
「仲凛太郎です」
妹の翠と同じ漢字を使うのか。と、眺めていると、店主が注文を取りにきた。
「いらっしゃいませ。内山さん。翠ちゃんも、いらっしゃい」
「綴さん(つづり)、こんにちは!翠はココアで」
一翠がコーヒーを注文すると、凛太郎にも笑顔を向けてくれた。
「お兄さんもあんまり聞かない名前だけど、あの人も珍しくないですか?」
「でしょ。しかも男の人なのにめちゃくちゃ美人だし優しいから、大好きなの」
凛太郎は一翠に向けて言ったのだが、返事は翠からだった。
「翠。あとは俺と仲くんで話すから」
「えぇ〜。ココア飲んでからね」
「俺は仕事で来てるんだぞ。遊びじゃないんだから」
「お兄ちゃんがどうしてもって言うから紹介してるのに。ちょっと扱い酷くない?」
目の前で繰り広げられる兄妹喧嘩は口を挟む暇がない。どうしたものかと眺めていたが、コーヒーのカップをテーブルに置いた店主の声に二人の言い合いが止まった。
「翠ちゃん。お兄ちゃんはお仕事みたいだし、カウンターの席においで。頂き物のカステラを切ってあげる」
「やった!じゃあ、向こうに行ってるね。凛太郎、頑張ってね」
話を聞くだけなのに、何を頑張るのだろうか。それにしても、店主のさり気ない気遣いは有難い。
一翠は軽く咳払いをすると、仕切り直すように鞄からファイルを取り出した。
「翠から聞いていると思うけど、化粧品の宣伝ポスターの撮影に協力してもらいたいんだ。女性モデルと二人で撮りたいんだけれど、女性の方は決定しててね」
簡単に言うと、その女性モデルが凛太郎を指名した。という話だった。
初対面で一般人である凛太郎を指名してきたモデルの話を自宅で話してみたら、妹が知っている相手だった。そう説明されたが、翠からはそこまで決定しているとは聞かされていない。
(まぁ、あんまり決まった話だと俺が面倒くさがって引き受けないと思ってたんだろうな)
さすが、セフレ歴二年の付き合いだ。そこそこ、凛太郎の性格を把握している。
「出来れば引き受けて貰いたい。俺としても、君で撮りたいと思ってるんだ」
真剣な眼差しで見つめられ、一瞬どきりとした。
勿論、引き受けるつもりだ。自信のある分野で魅力的な所を見せれば、玲も意識してくれるかもしれない。元宮のポスターを見た時のように、感動してくれるだろうか。
凛太郎は一翠に向かって、よろしくお願いしますと頭を下げた。
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