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第6話

もうすっかり使い慣れてしまった浴室で、熱いシャワーを浴びてやっと落ち着いてきた。肌に湯の温度が染み渡り、頭の中も寝起きよりはクリアになった。その上で、浴室の壁に手をついた。 「恋人ってなに…?」 容量オーバーで漏れた声は、シャワーの湯と共に流れていく。足の上を流れていく様を見つめながら、そういう事なのかと理解した。 恋人もできたことの無い、所謂陰キャな自分だけれど、状況と彼の言葉を聞けば嫌でもわかる。 (恋愛の事なんてラノベの中のしか分からないけど) それでも、気になったラノベが実写映画化されれば観に行くし、話題に上がっている恋愛ものだって読む時はある。物語に出てくる主人公達が、結ばれる前に乗り越える壁や、すれ違い。お決まりの流れが自分にピッタリ当てはまるなんて。 (凛太郎くん、やたらと嫉妬したって言ってた。どこに要素があったのかは分からないけど、俺が好きだからって事なのか…?) いや、そうじゃない。今考えるべきはそこじゃない。自分でも本当に不思議だが、恋人になって。なんて同性に言われたのに、嬉しく思っている自分自身の事を考えなければ。 「おーい。玲さん、平気?」 「わぁっ!」 浴室の扉が叩かれて響いた彼の声に飛び上がってしまった。 「なっ、なに?」 「出てくるの遅いから心配になったんですけど」 「もう、もうあがるところだからっ」 まだ洗えてもいなかったが、扉を空けられたらという動揺で嘘をついてしまった。 「のぼせないようにね」 「わかった。ありがとう」 半透明の樹脂パネルの向こうに見えていた凛太郎の姿が居なくなったのを確認して、手早く全身を洗った。普段は彼が早すぎると驚く程入浴時間の短い玲が、出てこないのを気にかけてくれたのだろう。なんて事ないやり取りだが、胸の奥がむず痒い。これは、もう誤魔化しようがない。 嫌われたと思って辛くて、夜も眠れなかった。また彼と一緒に酒を飲んだり、食事を共にしたいと願い、会いたくて仕方なかった。 面と向かって請われたなら、跳ね除ける理由を探す方が難しいかもしれない。 前回泊まった時に置いていったスウェットの上下を着ると、この家の匂いがする。 (…いい匂い) 洗面所で深呼吸をした玲は、覚悟を決めてリビングへと移動した。 「おかえり。お水でいい?」 「ありがとう」 ペットボトルを受け取り、彼が座るソファの隣へと移動した。 蓋を開ける指に上手く力が入らず、もたついてしまった。そんな些細な事も見られていたら恥ずかしいと感じてしまう。 「…えーと、玲さん。落ち着いた?」 「わ、分からない。けど、落ち着いてると思う」 神経を全身に巡らせ、大丈夫だと確認した。 「じゃあ、さっきの続きを話してもいい?」 「…いいよ」 凛太郎は、背筋を伸ばすと膝をこちらへと向けた。思わず玲も同じ様にした。 「あの…。前からずっと、玲さんといる時間って俺にとっては特別だったんだ。それが好きってことに繋がってたのに気がつくのが遅くて、なんか…ごめんね」 膝の上で握り締めた手に視線を落としていた彼が、玲を見た。弱ったような表情に何故か胸がきゅうと苦しくなる。 「そ、そんな謝る事じゃ」 「あ、待って。俺に先に言わせて。お願い」 両手を合わせて頼まれ、玲は口を閉じた。彼は律儀にありがとうと礼を言うと、玲の手からペットボトルを取り去り、両手で玲の手を包んだ。 「俺、玲さんが好きだよ。玲さんとつきあいたい。恋人になって欲しい」 彼の綺麗な瞳が真っ直ぐに玲に向けられた。その言葉も飾り気のないもので、正直驚いてしまった。彼ほど、色恋に慣れた者ならば簡単に言葉を紡いでしまうと思っていた。 意外だ。と、感じると同時に、たまらなく嬉しなっている。 「り、凛太郎くん…」 「はいっ」 「俺はさっきなんだ。君の事、好きなんだって自覚したの」 「え…ほ、んとうに?」 身を乗り出してきた彼に肩を鷲掴みにされたが、胸を押して待てと示した。 「でも、その申し出は…受けたい…です」 どう言えば格好がつくのかわからず、変な言い方になってしまったが、言い終わると同時に長い腕に抱きしめられた。遠慮のない強い力に押し潰されそうだ。長身の彼と自分ではかなり体格が違う事を再認識してしまった。 「ちょ、っと苦しい」 「…嬉しい…玲さん、大切にするから」 「……う、うん…」 気の利いた事は言ってやれないが、代わりにその背中に手を回した。 「ね、玲さん」 腕をゆるめて顔を覗き込まれ、友人では有り得ない近さに心臓が揺れた。 (もしかしてキス?え?たった今気持ちを確認しあったところなのに?) 瞬時にパニックに陥ったが、そういうものなのかもしれない。顔を近付ける凛太郎は既に目を閉じていて、視界は彼の顔面しかない。意外に睫毛も色素が薄めで茶色いんだな。と思いつつ、覚悟を決めて目を閉じた。 直後に響いたのは、凛太郎の携帯の着信音だ。 「…り、凛太郎くん、電話だよ」 思わず彼の肩に手を当てて、反発した。 「ちゅうしてから」 「電話切れちゃうよっ」 「かけ直せばいいから」 押し返されたが、着信は途切れなかった。 「あぁ、もう!」 悔しそうな顔で離れた凛太郎は、携帯の画面を見てから玲に向かって、手でごめんねと謝った。 その仕草が可愛いなんて思うのは変だろうか。 「はい。…え、い、今からっすか?」 緊急でバイト先にでも呼び出されたのだろうか。彼は今からは無理だと繰り返し訴えていたが、結局は仕方なくといった感じで了承した。 「ごめん、玲さん。…俺今すぐ出なきゃいけなくなった」 ソファに座る玲の前に来た凛太郎は、床にしゃがむと玲の膝に頭を置いてきた。 実家で飼っている大型犬を思い出す仕草が愛らしくて、思わず派手な色の髪を撫でた。 「わかった。いつも通り帰るから」 「夜には帰れるから、なんならここに居てもいいんだけど」 「それは申し訳ないよ。平気だから気にしないで。ほら、急ぎなら早く支度しないと」 急かしてやると、急いでいると言った割には丁寧に鏡の前で身支度をしていた。きっちりと身なりを整えた彼は、とても魅力的だ。玄関で靴を履く様子を見て、モデルだと言われても違和感がないなと感心した。 「また改めて説明するから」 「? わかった。気をつけて、行ってらっしゃい」 既に何度かこのやり取りはしているのに、凛太郎は何故か目を丸くしている。心なしか頬も赤くなっていて不思議に思っていると、彼の指が玲の顎にかけられた。 「行ってきます。玲さん」 その言葉の後に、玲の頬にキスをした凛太郎はひらひらと手を振ってドアの向こうに消えた。 柔らかな唇が触れた場所を確認するように指先でなぞると、膝から力が抜けて玄関でしゃがみ込んだ。 なんだアレは。 照れた様に微笑みながら出て行った凛太郎の愛らしさにやられてしまい、暫く帰り支度が出来なかった。

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