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逢魔時

※時代物/メリバ 彼に此処に住むように言われてから 釣りや絵を描く為に出かけていた俺が 監獄に捕えられた罪人のように外に出なくなってしまった。 此処には俺を見張る看守もいないと言うのに。 この頃では外気に触れるのさえも億劫で 敷いたままの布団から出るのすら・・・ 否・・・ 夢の中でずっと微睡んでいたくて 気怠い躰を無理矢理起こすのは何時だって夕方過ぎだ。 だから・・・か? 元よりそれ程白く無かった肌だったが 陽を浴びなくなったせいで以前より白くなり こんな生活を送っているから碌に食事も摂っておらず 脂肪やら筋肉やらはすっかり落ちてしまい 成人男子にしては貧弱過ぎる躰にまでなってしまった。 そのせいか・・・ 夕方過ぎになってやっと庭の見える縁側の襖を開ければ 学校帰りの悪餓鬼共が生垣から庭に石ころを投げ込み言う 「幽霊が出た!」 その声が余りにも今の俺に当てはまり過ぎていて思わず笑えば 「母ちゃんが言ってた、此処に住んでる人は白痴だって!」 今度は明らかな差別を含む軽蔑した言葉を投げられて。 だが、それを苦とすら感じない俺は 通りを駆け抜けて行った悪餓鬼共の言う通りなのかもしれない。 年号が昭和になったとは言え裕福なのはごく一握りなご時世の中 こんな庭付きの一軒家に俺一人で暮らしているのだ。 しかも成人した男が働きにも行かず 天気が良かろうが悪かろうが昼間は襖も締め切ったままなのだから。 悪餓鬼共で無くともそう言いたくなるだろうし 偶にふと夕焼けが見たくなって空を眺めて 縁側に幼くもないのに足をぶらぶらと揺らして座る姿は 先程悪餓鬼が言い逃げしたように幽霊みたいで。 例えそう思えたとて何故か笑えてしまうのだから 俺はもう普通の精神を持ち合わせていないのかもか知れないし 躰の何処かに病巣が蔓延り俺の血と肉を喰らい 生きながらにして死人になってしまったのかも。 近所で行われてる井戸端会議では多分・・・ こう言われてるのだろう。 「あそこの家に越してきた人・・・胸を患ってるらしいわよ。」 「え?私は心を病んでると聞いたけど・・・」 「違うわよ、白痴なんですって!  ほら・・・夜遅くに来る人いるでしょ?  何でもその人、親戚だったかしら?  いやお兄さんだったかしら?  ちょっと忘れちゃったけど、その人が面倒見てるそうよ。  身形からして立派なスーツを着ていたし・・・  やっぱり金持ちは違うわよね。」 頭の中で想像しただけだと言うのに 五月蠅く話す女の声が聞こえて来てしまうのだから 空想の彼女等が言う様に俺はやはり・・・ 心を病んでるのか、はたまた白痴なのかも知れない。 嗚呼・・ 女は嫌いだ。 兎に角ああだこうだと五月蠅い。 嗚呼・・・ 女は好きになれない。 兎に角注文を付けてきて煩い。 特にあの女は。 彼を・・・ 書類上はもちろん世間からも独り占め出来てると言うのに 「どんな事があろうとも食事は家で摂って下さい。」 そう言って注文を付けて 俺から彼と過ごせる僅かばかりの時間をも奪う。 だから俺は・・・ 重箱にぎっしりと詰められた食事を・・・ 嫌いな女が口にしたであろう同じ料理を・・・ 今日も今日とて渋々ながら食っている。 痩せ細ってしまった俺を心配した彼が 『あなた独りでは食事もしないでしょ?』と 使用人に詰めさせた重箱を毎夜持参するからだ。 俺からすれば有難迷惑な話なのだが。 だってそうだろ? 嫌いな・・・ 憎む程嫌いな女が口にしたであろう料理を 何故俺が嬉々として食わなきゃならないんだ? だから案の定箸は進まない。 何となく目の前に置かれた重箱の料理の上で箸を遊ばせていたら 「それ、美味かったよ。  妻の料理は食べれたもんじゃないが、華さんの作る料理は美味い。  だから食べて・・・  そんな躰じゃ、病気になってしまうよ。」 優しいのか、優しくないのか分からない言葉と笑みを彼から向けられる。 何時もの事だが彼は・・・ 俺の躰を心配しても心は・・・ 気持ちまでは気にかけてくれないのだろうか? 俺の前で妻なんて単語を態々出す必要が何処にある? 全く彼の無神経さには腹が立つ。 が・・・ それに何一つ言えない俺。 それは・・・ 俺が彼に惚れているから。 妻と言う女よりも後に出会い 子を成せないその女よりも劣る男の俺に こんな立派な屋敷を用意してくれ 彼の自宅から車で数十分も掛かる離れた此処まで 毎夜こうして会いに来てくれるのだから その妻とやらより愛情を注いでくれている事は 手に取って見なくとも分る。 それが分るからこそ・・・ 俺はその彼からの無神経な言葉と笑みに俺も笑みを返し 嫌々ながらもその気持ちを笑顔で覆い隠し 遊ばせていた箸を彼が美味かったと言った料理を取り 無理矢理口に運ぶ。 この一瞬が・・・ 卓袱台の上の重箱に詰められた料理に箸を突く時が 我ながら本当に自分が嫌になる瞬間でもあり だけれどそんな嫌な想いを押隠せる程 彼を愛してしまっている自分に気付く瞬間でもある。 そして思う、今日こそは・・・と。 あの悪餓鬼共が俺を罵って家族が待つ家に帰って行った あの夕暮れ時・・・ 逢魔時に空を見上げて思った事・・・ 今夜こそ彼を殺めて俺だけの物にしてしまおうか・・・と。 そんな末恐ろしい事を考えてるとも露知らず 重箱の料理に箸を進める俺を見て更に満面の笑みを浮かべる彼。 嗚呼・・・ 本当にあの女が憎いと思った。 彼の口から妻と表されるその女が。 だってそうだろ? 今、俺に向けて愛しそうに笑みを見せている彼が 例えば事故に遇って死んだとて はたまた戦争が始まって召集令状が来て戦死したとて 俺にはその一報は届かないんだ。 彼からこんなに愛されているのに。 彼をこんなに愛しているのに。 憎くて憎くて仕方がない女より俺は愛され愛してるのに。 書類上でも世間からも認めらていない日陰の身の俺は 彼が此処に来ないと言う事実だけが突き付けられるだけ。 ならいっそ・・・ そう思うのだけれど 半分も食せてない重箱を卓袱台の上に残し 敷いたままになっている布団の上で俺を抱く彼の 指や唇が曝け出された肌に触れれば吐息が洩れ   「愛してるよ・・・」 そう火照った躰に猛った杭を打ち込まれて囁かれれば また明日もこの腕に抱かれこの熱に狂わされたいと思ってしまう。 だから・・・ 何時になっても逢魔時に居た俺は何処か遠くに追いやられ ひっそりと鳴りを潜め結局何一つ実行に移せないまま 毎夜彼が持参する重箱の料理を箸で突いている。 そして情事の跡が残る布団の中で独り寂しく朝を迎えるのだ。 嗚呼・・ 女は嫌いだ。 兎に角ああだこうだと五月蠅い。 嗚呼・・・ 女は好きになれない。 兎に角注文を付けてきて煩い。 特にあの女は。 いっそ彼でなく彼が妻と呼ぶ女を殺めてしまおうか。 逢魔時・・・ 縁側でなく彼の自宅前に居る俺はそう思った。 悪餓鬼共に幽霊だの、白痴等と言われてもいないのに。 了

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